ケネディ・ホール著『聖ピオ十世会:擁護』聖ピオ十世会は離教の状態にあるのか?
ケネディ・ホール著『聖ピオ十世会:擁護』3
聖ピオ十世会は離教の状態にあるのか?
コロナウイルスのパニックが世界を覆った時、多くの忠実なカトリック信者は教区でジレンマに直面しました。場合によっては、典礼の機能性に制限が課され、良心に従って普段のミサに出席することが事実上不可能になりました。 出席登録の義務化、マスク着用義務、音楽の禁止、座席数の大幅な制限、さらには聖体を敬虔に(跪いて舌の上で)拝領するやり方の停止まで、ほぼすべての場所で課せられました。
その結果、多くの信徒は地元の聖ピオ十世会聖堂への出席が可能かどうか関心を抱くことになりました。
確かに、インターネット上には様々な意見が溢れています。普通の教区の司祭や、聖伝のラテン語ミサを捧げる司祭たちに尋ねても、様々な答えが返ってくるでしょう。私自身、様々な司祭から次のような意見を直接聞いたことがあります。「彼らはルター派のようなものだ」「正教会のように離教的だ」「彼らのミサは問題ないが、お勧めはしない」「問題ない。むしろ[大司教]ルフェーブルはおそらく聖人だった」「はい、そこへの出席を勧める」など、その中間にある、ありとあらゆる意見までがありました。
聖ピオ十世会を「カルト」と呼ぶ者もいれば、唯一の救いの箱舟のように振る舞っていると非難する者もおり、聖ピオ十世以降の教皇を一切認めない会だと主張する者もいます。こうした主張の多くは明らかな中傷・讒言です。互いに矛盾する主張が同時に全て真実であるはずがありません。したがって、明確化が必要です。
聖ピオ十世会の議論を進める前に、離教という概念について用語を定義しなければなりません。何十年も「離教」という言葉が飛び交うのを耳にしてきたにもかかわらず、その真の意味を真剣に考えたことのない人があまりにも多いのです。
聖トマス・アクィナスを引用するならば、離教とは教会の一致に直接反する罪であり、真の離教者は自らを教会から分離させる意図を持つと言います。10
【Thomas Aquinas, Summa Theologiae, IIa IIae, Qu 39 https://www.newadvent.org/summa/3039.htm】
アクィナスはまた「離教者とは、教皇の最高の権威に従うことを拒み、その権威を認める教会の成員との交わりを保たない者である」とも述べています。11
【Thomas Aquinas, Summa Theologiae, IIa IIae, Qu 39 https://www.newadvent.org/summa/3039.htm】
一見すると、ルフェーブル(ひいては聖ピオ十世会)が常に教皇の意志に従わなかったことから、彼らが離教者だと主張する者もいるかもしれません。しかし、この聖トマス・アクィナスの記述が、『神学大全』における天使の博士(聖トマス・アクィナス)の唯一の主張ではありません。
聖パウロが公の場で聖ペトロを叱責した聖書の箇所(ガラチア2:11)を踏まえ、アクィナスはこう記しています。「もし信仰に対する危険が生じた場合、上位者は下位者によって、たとえ公の場であっても叱責されねばならない」。12
【“Can a Catholic Ever Disobey a Pope?”, Paul Casey, 2020, https://onepeterfive.com/disobey-pope/】
背景には、聖ペトロがユダヤ教的慣習への回帰という誤りを容認したように見え、パウロが初代教皇のその行為を誤りだと明確に指摘した事実があります。これはパウロがペトロの権威の喪失を信じていたことを意味するのでしょうか? もちろん否です。
さらに、もしペトロが下位の者にユダヤ教式儀式への参加を求めた場合、下位の者は必ず従わねばならないと考えるべきでしょうか? これもまた否です。教皇の権威を認めつつ、特定の教皇の誤りを指摘することは可能だからです。
したがって、アクィナスの離教に関する論考は、彼の他の著作や天主の啓示という文脈の中で理解されねばなりません。
さらに聖パウロ自身も離教について論じ、私たちにさらなる区別を示しています。パウロはコリント人への手紙でこう記しています。
「兄弟たちよ、主イエズス・キリストのみ名によって、私はあなたたちに切に勧める。みな同じく語り、たがいに分裂せず、同じ心、同じ考えをもって完全に一致せよ。」(コリント前 1:10)(強調は筆者)
明らかに、パウロがここで言う分裂とは、並列した聖職位階を持つ別個の教会が存在するというような絶対的な意味ではありません。パウロが指すのは、重大な問題をめぐってキリスト者間に生じた分裂の存在であって、彼らが一致するよう懇願しているのです。この勧告において聖パウロの立場に立つことは当然可能ですが、パウロの言葉を本来の意味を超えて解釈してはなりません。
パウロは、教義を極めて重要視し、必要ならば教皇をも戒める覚悟であったことは明らかです。ゆえに、一致のためだけに誤りや冒涜、異端を受け入れねばならない、と解釈してはなりません。さらに、教会史をざっと見渡せば、ローマが離教を癒すためだけに教義問題で譲歩した例は歴史的に存在せず、これは信仰の真理が第一であり、一致は真理の中でのみ可能であることを示しています。
マルセル・ルフェーブルは決して別の教会や聖職位階を設立したことはなく、1988年の聖ピオ十世会司教四名の聖別式における説教でこう述べています。
「私たちにとって、自らローマと離れることなど問題外です。教会と関係のない政府の下に身を置くことも問題外です。ある種の別個の教会を作り上げるなどということも問題外です。
私たちにとって、このようなことを行うのは全くの問題外です。考えにもありません。ローマから離れるというこの惨めな考えなど私たちには一切ありません!その反対に、私たちがこの聖別式を執り行おうとしているのは、私たちのローマへの愛着を表明するためです。
永遠のローマ、教皇聖下、最近の教皇聖下達に先立つすべての前任の教皇たちへの愛着を表明するためなのです。」
【https://fsspx.jp/ja/rufuefurudasijiaonolishidenashuojiao-sijiaoshengbieshi-46908】
読者がルフェーブルの状況分析や行動に同意するか否かにかかわらず、彼がローマから分離する意図は全くなかったことは明らかです。
つまり、トマス・アクィナスが離教の罪を犯すために必要と述べた条件は満たしていないのです。さらに、ルフェーブルは並行する教会を設立する意図もなかった(実際に行わなかった)ため、彼が何らかの本当の離教を生み出したとは言えません。
したがって、批判者がルフェーブルに対してどのような非難を投げかけようと、離教の罪や離教者であるという非難は現実と一致しません。
以下では、聖ピオ十世会が離教状態にないこと、あるいは離教者ではないことを裏付ける、様々なローマ教会の聖省や高位聖職者による文書を数多く検討していきますが、これらは有用ではあるものの、私たちの主張を証明するために必ずしも必要ではないことに留意すべきです。
なぜなら、ルフェーブルが離教者ではなかったことは、いかなる文書によっても変えられない事実だからです。したがって、ローマからの法的文書が聖ピオ十世会支持者を正当化している場合、それは良いことではありますが、私たちの主張は完全にそれに依存しているわけではありません。
聖ピオ十世会とは何か?
聖ピオ十世会は、マルセル・ルフェーブル大司教によって教会法に従って設立された司祭の修道会であり、聖伝のカトリック信仰を維持・普及させ、良き司祭を養成・支援することで聖なる司祭職を守り続けることを目的としています。
その会員は離教状態にあるのか?
いいえ。離教について述べた内容から、これは簡単かつ明確な答えです。
聖ピオ十世会が離教状態にないという事実は、キリスト教一致推進教皇庁評議会の名誉会長エドワード・カシディ枢機卿によって確認されています。同枢機卿は1994年5月3日付の公式書簡(Prot. N. 2336/94)で次のように宣言しました。
「まず指摘しておきたいのは、『エキュメニズムに関する指針』は聖ピオ十世会を対象としていない点です。聖ピオ十世会の会員の状況はカトリック教会の内部問題です。同会は『指針』が用いる意味において、別の教会あるいは教会共同体ではありません(強調は筆者)。」13
http://www.catholicapologetics.info/apologetics/defense/sspxap.htm
カシディ枢機卿が1994年(聖ピオ十世会の司教たちの破門解除とされる15年前)に述べたことが真実であるならば、聖ピオ十世会が離教状態にあった、あるいは現在も離教状態にあるということは、カトリック教会の内部に離教が存在すると主張することに他ならないことです。これは不可能です。1994年当時、聖ピオ十世会がカトリック教会に「内部」に存在しながら、離教ゆえに何らかの形で教会「外部」にも存在していたという状況はあり得ないからです。
歴史的には、大破門と小破門の区別がなされていたため、批判者は聖ピオ十世会の司教や司祭たちは小破門のみを受けており、罰則下ではあったが依然として教会内に留まっていたと主張できるかもしれません。仮にそれが真実だとしても、教会内にいながら離教状態にあるという矛盾は解決されません。
1988年の四人の司教の破門(詳細は後述)を文字通り受け取ったとしても、それらは今や権威をもって無効と宣言されています。
1988年6月30日にマルセル・ルフェーブル大司教によって聖別された四人の司教に対する「破門」は、1988年7月1日付の司教省布告で宣言されました。聖ピオ十世会が常に異議を唱えてきたこの破門は、ベネディクト十六世の委任による教令により撤回され、2009年1月21日に同じ司教省からこれが公布されました。
「教皇ベネディクト十六世によって特別に私に与えられた権能に基づき、この教令の効力により、1988年7月1日にこの聖省によって宣言された自動破門(latae sententiae excommunication)の刑罰を、ベルナール・フェレー司教、ベルナール・ティシエ・ド・マルレ司教、リチャード・ウィリアムソン司教、アルフォンソ・デ・ガラレタ司教にたいして取り消し、私は、上記の日付で出された教令を、本日をもって、いかなる栽治権上の効力を失うことを宣言します。」14
【聖ピオ十世会司教たちの自動破門の撤回の教令は次にある。
https://www.vatican.va/roman_curia/congregations/cbishops/documents/rc_con_cbishops_doc_20090121_remissione-scomunica_en.html】
それらの破門は、修道会に所属する数百人の司祭たちや、彼らから秘跡や牧会的世話を受ける信徒たちには決して適用されませんでした。
前述の通り、「離教状態にある」というのは、別の教会を設立する意志がある時に成立する用語(formal term)です。15
本質的には、教皇が、教会に対して普遍的な権威を持つという真理(あるいは司教が自身の教区に対して権威を持つという真理)を拒絶することを意味します。
実際的には、離教派の集団が独自の権威を樹立または支持し、カトリック教会の教会法上の管轄権や教会法そのものを否定することを意味します。
典礼的には、ミサにおいて教皇や現地司教のために祈らないことを指します。しかし聖ピオ十世会はこうした離教行為の罪を一つも犯していません。
【教会法751条は、離教(schism)を「ローマ教皇への服従、または教皇に従属する教会の成員との交わりを拒否すること」と定義しています。これは単に教皇やその他の教会の権威への服従を拒否するだけでなく、教皇への原則的な服従を拒否し、教皇の権威そのものを拒否することを意味します。】
批判者たちは、聖ピオ十世会の司祭たちが教皇フランシスコや現地司教への服従を示すためにミサの典文(カノン)で彼らのために祈る行為は、いわゆる古カトリック信者のような他の離教派グループも同じことをしているため不十分だと主張します。しかしこの比較は知的に不誠実です。古カトリック教会のグループの一部は完全に道を踏み外し、多くはその後実際に異端者となっています。その証拠に、彼らは今や女性を司祭に「叙階」しているが、これは異端であり不可能な行為です。16
【詳細については、カトリックアンサーズが発行した記事「古いカトリック教会の秘跡の有効性」を参照してください。https://www.catholic.com/qa/the-validity-of-old-catholic-church-sacraments】
聖ピオ十世会を古カトリック信者のような団体と比較するのは、悪意ある者だけが行うことであり、おそらくは、より良い知識を得る理由のない一般大衆の無知につけ込むために行われています。
さらに、破門されたからといって離教状態にあるとは限りません。
例えば、個人がある罪で破門されても、それによって他の教会や宗教団体の権威下に置かれるわけではないからです。加えて、破門された者は、破門の原因となった特定の罪を告白するか、あるいはその罰の解除を求める必要があるでしょう。教会に属していない破門者が、罰の解除や罪の赦しを求めてカトリック司祭や司教に接近できるのでしょうか?
離教状態にある、あるいは離教を引き起こしたと公式に宣言・裁定できるのは正当な権威のみです。カストリヨン・オヨス枢機卿は、教皇庁委員会「エクレジア・デイ」(教皇の委任により聖ピオ十世会問題を担当し、委員会解散まで活動したバチカン機関)の委員長在任中、聖ピオ十世会が離教状態にないことを明確に表明しました。この表明は複数回行われています。
2005年、教皇の許可なく行われた1988年の司教聖別について、同枢機卿は「正式な離教(schism)ではないにせよ、分離(separation)の状況を生じさせた」と述べました。17
【“Rapprochement by unhasty stages, but not too slow either” http://www.30giorni.it/articoli_id_9360_l3.htm】
しかしこの分離(separation)が離教(schism)でないなら、一体何なのか、誰にも説明できません。
また2005年、オヨス枢機卿はこう述べました。「正確かつ厳密なはっきりとした意味では『離教状態にある』とは言えない。…彼らは教会内に存在する…」18
【https://sspx.org/en/news-events/news/commentary-muller-statement-3099】
これは、"聖ピオ十世会が離教状態にあった、あるいは現在もそうである"と言うことが「不正確で、不厳密で、曖昧である」という意味でしょうか?
さらに2007年、ホヨス枢機卿は聖ピオ十世会の司祭たちとその支持者たちは「離教者ではない」と表明しました。19
【https://cathcon.blogspot.com/2007/02/president-of-ecclesia-dei-commission.html】
離教状態にあるか否かは二者択一の問題です。――離教状態にあるか、そうでないかのどちらかです。中間はありません。主はこう言われます。「あなたがたの言葉は、はい、はい。いいえ、いいえ。それ以上のものは、悪から出るのである」(マテオ5:37)。
さらに、ホヨス枢機卿が確認したように「聖ピオ十世会が離教状態にあると言うのは誤りである」。それ以外の答えは、現実には、不完全で難しい状況を、実際とは違うものとして提示しようとする曖昧な試みに過ぎません。
加えて、オヨス枢機卿はフェレー司教宛ての書簡で「貴会が、異端を流布したり、離教的態度を助長したりしたことは決してありませんでした」と記しています。20
【Christopher Ferrara “Rumbles from France”, The Latin Mass Magazine, Summer 2002 http://www.latinmassmagazine.com/articles/articles_2002_su_ferrara_1.html】
ホヨスは続けてこう述べました。「したがって私は、貴会が聖伝への奉仕という独自のカリスマを維持し、聖ピオ五世のミサ典礼を確保し、健全な教義を守り、カトリックの道徳と規律を保持する努力を完全に追求するための完全な保証を与える方策を模索することに尽力したこと…この基本的かつ前向きな姿勢を起点として、貴会が置かれている不規則な状況を解消する希望が当初から育まれてきました。というのも、異端の兆候や正式な離教を引き起こす意思は一切示されず、現在の状況下において聖伝に関する聖ピオ十世会の特異なカリスマを保持しつつ、普遍教会の益に貢献したいという願望のみが示されていたからです…」21
【Christopher Ferrara “Rumbles from France”, The Latin Mass Magazine, Summer 2002 http://www.latinmassmagazine.com/articles/articles_2002_su_ferrara_1.html】
異端や離教の「兆候すら」ないとは。なんという離教者たちでしょうか!
さらに、教皇ベネディクト十六世(天主の祝福を!)でさえ、ラッツィンガー枢機卿時代である1991年、ハワイの司教に対し、聖ピオ十世会司教によって子供たちの堅振式を受けた教区民を誤って破門した件で戒告しています。これは、関係者(信者たち)が正式に離教に加担したとの口実のもとに行われました。
1993年、教理省は、問題となっている個人、つまり聖ピオ十世会の信奉者および支持者は「厳密な意味での離教行為を行っておらず、離教の罪を構成しない。したがって、教理省は1991年5月1日の布告(破門の布告)は根拠を欠き、したがって無効であると判断する」と裁定しました。22
【https://sspx.org/en/hawaii-six-case】
もしも離教が存在したならば、聖ピオ十世会司教から秘跡を受けた信徒たちは明らかにその離教に加担したことになります。1991年当時の聖ピオ十世会の教会法上の地位がどうであれ、ラッツィンガーは実質的に離教は存在しないと明言したのです。
公平を期すならば、批判者はこの結論に異議を唱え、信徒であれば、破門された離教派から聖体拝領をした場合でも、破門や離教状態に置かれない可能性がある、と主張するかもしれません。確かに、カトリック信者は、重大な罰則下にある場合や教会外にいる場合でも、特別な事情があれば有効に叙階された司祭に接近できます。しかし、ハワイの信徒たちは、死の危機に瀕しているといった特別な差し迫った危険のために聖ピオ十世会司教と聖体拝領したわけではありませんでした。
罰則が取り消された聖伝のカトリック信者たちは、善意に基づいて正当な理由で聖伝の秘跡を求めたと推測されますが、私の主張は、外部からの視点と法文の上では、破門者かつ離教派とされる司教から聖体拝領を受けるカトリック信者の姿が見えるという点です。
聖トマス・アクィナスの見解によれば、これは「重大な破門」に相当します。聖トマス・アクィナスは、破門された者と交わる者は破門を招くと記しています。23 天使の博士の意見では、破門された者に単に好意(favor)を求める行為さえも、罰則を招くのに十分です。
【https://www.ccel.org/ccel/aquinas/summa.XP_Q23_A2.html】
聖ピオ十世会の司教たちが、教会史上最高の神学者(聖トマス・アクィナス)によって理解された形での破門を、もしも本当に受けていたのならば、ラッツィンガーがかつて下した裁定は完全に誤りだったと言わざるを得ません。さらに、破門が解除されたと認められるまでは、聖ピオ十世会の司教たちと何らかの関わりを持った者も同様に破門されたと仮定せざるを得ません。
それだけでは足りず、聖ピオ十世会司祭によって叙階された全ての司祭が当然の帰結として破門されたと仮定せねばならず、それは聖ピオ十世会司祭と聖体拝領を共にした信徒一人ひとりが罰則下に置かれる可能性を意味します。
皮肉なことに、これが長年にわたり聖ピオ十世会の敵対者たちがとってきた行動様式であり(今もなお多くの者がそうしている!)、ラッツィンガー枢機卿はそれとは全く逆の行動をとったのです。
皮肉にも、この行動はラッツィンガーを教皇の意志に「不服従」とする結果となりました。後述するように、教皇は聖ピオ十世会の破門を、聖トマス・アクィナスが論じたような重大な破門であるかのように語っていたからです。
ヨハネ・パウロ二世は1988年に離教が存在すると断固として主張し、次のように警告さえしました。「これまで様々な形でルフェーブル大司教の運動と結びついてきた者たちは… 離教に正式に帰属すること(formal adherence)が天主に対する重大な罪であり、教会法によって宣告された破門の罰則を伴うことを認識すべきである」24
【Ecclesia Dei Afflicta https://www.vatican.va/content/john-paul-ii/en/motu_proprio/documents/hf_jp-ii_motu-proprio_02071988_ecclesia-dei.html】
これは私たちに少し難題を残します。ハワイの信徒たちは「ルフェーブル大司教の運動」と「結びついて」きて、そのために最善を尽くしたように見えます。ハワイの教区司教は教皇の宣言を文字通り遵守したにもかかわらず、その決定は覆されたからです。
もちろん、聖ピオ十世会への批判派はこう主張するでしょう。ラッツィンガーが "聖ピオ十世会の信奉者や支持者は離教者ではない" と明言したからといって、聖ピオ十世会そのものが離教的ではないとは限らない、と。しかしこの反論は――聖ピオ十世会批判者たちの他のあらゆる反論と同様に――失敗に終わるでしょう。なぜならヨハネ・パウロ二世の書簡には、「様々な形で結びついて」いるという理由で破門されるのは、離教のためだと明記されているからです。
したがって、もし破門されずに「ルフェーブル大司教の運動」に結びつくことができる者が存在するのならば、離教がどこか別の場所にあると考える必要があります。
本書の後半でヨハネ・パウロ二世の宣言を検証しますが、ここで言えるのは、それを検証すると法的に不十分であると判明する点です。「様々な形で結びついている」といった表現が法的に曖昧で全く意味をなさないことは、教会法学者でなくとも理解できます。「様々な形で結びついている」とは具体的に何を意味するのでしょうか?
例えば、近所の聖ピオ十世会の学校に雇われている用務員は、「ルフェーブル大司教の運動」と「様々な形で結びついている」と言えるのでしょうか?(そんな馬鹿な!)
この宣言がいかに荒唐無稽かを示す不条理な例はいくらでも挙げられます。
要するに、実際に検証してみると、幻のように消え去ってしまう離教だけしかないように見えます。これが「離教」を宣言した教皇から委任を受けたラッツィンガー枢機卿が判断したことでした。
もしも「本当の離教」に帰属する(adhering)とされる理由――しかも教皇による拘束力のあるとされる宣言の厳格な文言に逆らって行動した――であっても、破門されることができないということが分かったのならば、私たちはこう問わねばなりません。離教はどこにあるのか?と。