グリュン神父の説教:婚姻の秘跡により夫婦はイエズス・キリストとその教会という幹につながった枝となる

ソース: FSSPX Japan

2024年10月20日 聖霊降臨後第二十二主日 聖なる日本の殉教者聖堂(大宮)でグリュン神父様がミサを捧げられ、婚姻の秘跡についてお説教をしてくださいました。

グリュン神父

親愛なる信徒の皆さん、そしてカップルの皆さん、
昨日は、わたしたちは婚姻の秘跡について黙想いたしました。その最も大切なポイントは、皆さんが婚姻の秘跡を受けたその時、その二人が祭壇の前で「ハイ」と結婚の契りを結んだその時、皆さんは結婚しました、しかし、そのご結婚は特別な場所においてなさいました。どこかというと、それはイエズス・キリストとその教会において結婚なされた、ということです。

イエズス様はこうおっしゃいました。「私は葡萄の木であり、あなたたちは枝である」と。洗礼を受けたカップルが婚姻の秘跡を受けると、イエズス・キリストとその教会という幹につながった枝として、婚姻の秘跡を受けることになりました。イエズス・キリストは、愛のあまり、教会のために命を捧げました。教会は、イエズス・キリストのためだけに生きています。

では、イエズス様と教会は、どれほど深い愛を持っているかを見てください。イエズス・キリストは、その愛のあまり、教会のために苦しまれました。イエズス様は、このすべての苦難を、教会を愛するがために捧げました。イエズス様はいわれます、「友のために命を与えるほど偉大な、より大きな愛はない」と。

教会の愛はどうでしょうか。日本の殉教者を見てください。日本の殉教者は、イエズス様を愛するがために命を投げ出しました。日本だけではありません。世界中に何百万という殉教者たちがいます。イエズス様を愛して、命を捧げました。殉教者たちだけではありません。この地上に生きている多くの成聖の恩寵にいる霊魂たちは、イエズス様を愛したい、イエズス様に奉仕したい、イエズス様のためになりたい、イエズス様を喜ばせたい、という思いで生きています。地上の霊魂だけではありません。煉獄にいる霊魂たちも、イエズス様と早く一致したいと、今煉獄で愛をこめて待っています。天国にいる聖人たちを見てください。救われたすべての聖人たちはなお、いまではもうイエズス様を愛することができる、イエズス様から愛されている・・・。そして、天国にいるすべての聖人たち、そしてマリアさまも考えてください。マリアさまがイエズス様をどれほど愛しているか、わたしたちは想像もつきません。この煉獄の霊魂、地上の霊魂、また天国のすべての聖人たち、マリアさま――それは何百万という霊魂たち、何億という霊魂たちが、巨大の愛でイエズス様を愛しています。これが、教会の愛であって、この教会の愛は、イエズス様の喜びです。そのイエズス様の喜びは、教会の愛です。

イエズス・キリストと教会は、互いに愛しあって、深い愛を持っていて、そして深い喜びを持っています。イエズス様は言います、「わたしはぶどうの木であってあなたたちは枝である」と。

では、木の幹にある命は、枝に伝えられます。枝の命も、木の幹の命も、全く同じ命を生きています。わたしたちが公園に行って、いろいろな枝がありますけれども、その枝の一つ一つを見てください。その枝が生き生きとしていますが、それは木の幹と同じ生命を生きています。

イエズス様は言います、「わたしはぶどうの木であり、あなたたちは枝である」と。キリストとその教会の間の命が、愛の命が、婚姻の秘跡を受けたカップルの皆さんの夫と妻の間にそのまま伝えられています。これが愛の分かち合いです。命の分かち合いです。

ではカップルの皆さん、皆さんはいまミサに与っています。では、ミサに現存する方は、いったい誰でしょうか。

ミサにおいては、イエズス・キリストがおられます。まず、御聖櫃のうちに、イエズス様は本当に現存されています。御聖櫃のうちにおられるだけでなく、祭壇の上にも、聖変化の時に、イエズス様はまことにおられます。聖変化をされたのちにイエズス様はおられますが、その時には教会に対する燃えるような愛を持って、祭壇の上に現存されます。イエズス様は、聖変化の時に、もう一度教会のために御自分の命を捧げて、もう一度その屠りを行使します。

では、イエズス様だけでしょうか。そうではありません。全カトリック教会も、ミサの時に現存します。何故かというと、ミサというのは、カトリック教会の公式の礼拝行為であるからです。ですから、司祭、そして洗礼を受けた皆さんが、教会を代表してミサに与っています。例えば、私が皆さんに握手をしたときに、わたしの手が皆さんに握手しているのではなくて、私が皆さんと握手をしています。たとえ手という小さな部分が行動したとしても、私が行為します。ですから、皆さんがいまこのミサに与ったとしても、カトリック全教会がこのミサを捧げています。何百何億というイエズス様を愛する霊魂たちが一緒になって、一つの大きな愛をもって、このミサを捧げています。

では、親愛なるカップルの皆さん、教会とイエズス・キリストのその一致のその場所に、皆さんは参加しているわけです。ミサに与るということは、まさにそこに参与することなのです。ですから、よく見てください。枝とその幹の関係を、よく見てください。枝はいったいどこについていて、どこから栄養分を取っているのでしょうか。それは幹です。枝は幹についているからこそ、支えらえて、そして栄養を受けて、サポートを受けて、世話を受けて、すくすくと育っていきます。

ですから、イエズス・キリストと教会が現存するこのミサ聖祭こそ、皆さんがいるべき場所です。皆さんは、この幹につながれた、挿し木されたものであるからです。ですから、いわば、ここがミーティングポイントであって、こここそが絆の場所です、リンクの場所です。こここそが皆さんが命を受け取る場所であって、栄養を受け取る場所であって、世話を受ける場所であって、サポートされる場所であって、ここにこそ皆さんが本当の喜びを見いだす場所です。

ですから皆さんは、ここに、このミサに、属しています。このミサが、皆さんのいるべき場所です。もしも、ですから皆さんの家庭で喜びがあったら、それを持って、教会に来て、ミサの時に捧げてください。もしも問題があったら、あるいはなにかお願い事があったら、なにか心配事があったら、なにか恐れがあったら、なにか不一致があったら、それを持ってミサの時にそれを捧げてください。

では、わたしたちは、この婚姻の秘跡を、どうやったら美しく立てることができるでしょうか。この新しい教会と、キリストと教会のこの土台のもとに、どうやったら建設することができるでしょうか。どうやったら、この愛の交わりに、この愛にますます深く与ることができるのでしょうか。

それは、その続きは、この午後の講話の時に、申し上げます。講話も、昨日話したことの要点を最初に少しだけしますので、何もご心配なくその続きを聴くことができます。皆さんを心からご招待いたします。

最後に、カナの婚姻にいらしたマリアさまに、お祈りいたしましょう。マリア様の御取次で、水は最高のワインに変化しました。マリアさまは、このカナの婚姻のカップルをご覧になったばかりでなく、皆さんのカップルもさえもお世話して、そして気を配ってくださっております。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。