ベルナール・ティシエ・ド・マルレ司教:私が聖ピオ十世会を愛する理由

ソース: FSSPX Japan

ティシエ・ド・マルレ司教(2016年大阪にて)

ベルナール・ティシエ・ド・マルレ司教の 「遺言」(エコンでの説教)。

親愛なる信者の皆様、友人の皆様、

ベルナール・ティシエ・ド・マルレ司教様のご逝去は、彼の最後の住まいであったエコン神学校に空白を残したことは間違いありませんが、同時に、司教様が1960年代末にルフェーブル大司教様に真のカトリック司祭になるための養成を懇願した最初の神学生の一人であった聖ピオ十世会の会員や信徒一人一人の心にも、明らかに空白を残しました。

司祭生活の間、そして司教職に就いて間もない頃、私たちの敬愛する創立者のそばで、忠孝の心をこめて献身的にルフェーブル大司教の足跡をたどり、周知のように、大司教とその業績を知るための参考文献として間違いなく残るであろう完全な伝記をお書きになりました。

ここでは、聖ピオ十世神学校での数年間を経て、シカゴの修道院に移ったとき、ティシェ・ド・マルレ司教様がエコンで行った説教の抜粋を通して、司教様に直接に語る機会を与えたいと思います。

司教様はこの説教で、一種の霊的な遺言を残します。その中で司教様は、聖ピオ十世会の事業を要約し、聖ピオ十世会の教義的立場と霊的遺産に忠実であり続ける理由、そして聖ピオ十世会を通して、教会に、教会が常に伝えてきた信仰に、教会が絶えず提示する聖性の手段に、忠実であり続けるための手段をうまくまとめています。

ガブリエレ・ダヴィーノ神父、イタリア管区長


親愛なる信者の皆様、私はなぜ聖ピオ十世司祭兄弟会を愛しているのでしょうか?

それは、1970年11月1日、フリブール司教のシャリエール司教によって、誓願のない共同生活の会として教会に認可されているからです。この聖ピオ十世会は、他の人々が何と言おうと、教会法的にはまだ存在しています。ですから、教会によって承認されているので、私は聖ピオ十世会を愛しています。

創立者であるルフェーブル大司教様は、私たちによくこう言っていました。「私は当地の司教の許可なしには、決して何もしなかっただろう」と。彼はスイスのフリブール司教から許可を得ていました。なぜスイスなのでしょうか?ダカールの宣教に対するスイスのカトリック信者の寛大な心に対する報いです。何故なら、スイスのカトリック信者たちの寛大さのおかげで、セネガルにおける、宣教とファティック(Fatick)の教会の建設費用を支払うことが可能になったからです。

そこで彼らの司教、特にフリブールのシャリエール司教に感謝するために、ルフェーブル大司教は、シャリエール司教がファティック教会を荘厳に献堂するように招きました。それ以来、シャリエール大司教とルフェーブル大司教は友人であり続けたのです。それだけに、1969年、ルフェーブル大司教がフリブールの司教館に赴いたとき、フリブールの司教は両手を広げて歓迎し、フリブールにブドウの木を植えることを、つまり神学校を開くこと、スイスに聖ピオ十世会を創立することをルフェーブル大司教に許可しました。ご覧下さい。スイスのカトリック信者の寛大さへの報い。それが御摂理です。ですから私は聖ピオ十世会を愛しています。これは主からの報い、ご褒美です。

次に、私が聖ピオ十世会を愛しているのは、これがとても柔軟だからです。単なる約束(engagement)をするだけで入会できます。会員は囚人ではありません。会員は聖ピオ十世会ではとても安心しています。

次に、この聖ピオ十世会は聖職者の共同生活――司祭たちが共同体として生活すること――を発展させるからです。これは教会では珍しいことでしたが、しかし教会の最高の聖伝でした。すべて司祭たちは、私たちと同じように共同生活を送るべきです。つまり、食卓を囲み、寝食をともにするべきですが、何よりも祈りと使徒職の共同生活を送るべきなのです。私たちは三回の聖務日課と毎日のロザリオは共同で祈ります。使徒職は共同で行われ、共に組織されます。それはより高い聖徳を得るため、より良い効率を得るためです。誓願のない共同生活の修道会、これはルフェーブル大司教の素晴らしいアイデアでした。

私が聖ピオ十世会を愛しているのは、また、聖ピオ十世会の周りに修道生活を引き寄せているからです。私たちのオブラートのシスターたち、聖ピオ十世シスター会のシスターたち、私たちの修道士たち、そして聖ピオ十世司祭会のいわば陰で発展してきた他の多くの共同体や修道会です。私が聖ピオ十世会を愛しているのは、聖ピオ十世会が修道生活を愛しているからです。

私が聖ピオ十世会を愛するのは、それが司祭的であるからです。それこそが聖ピオ十世会の本質であり、その定義です。なぜなら、教会の危機――教会における、教会の中の危機とでも言いましょうか――とは、端的に言えば、司祭のアイデンティティの危機だからです。司祭は自分が何のために司祭になったのかを見失ったとき、まずスータンを捨て、ラテン語を捨て、すべてを捨て、最後に心を捨て、信仰を捨てたのです。

ルフェーブル大司教は、そうではない、私たちは司祭職を、その教義的純粋さと宣教的愛徳のうちに維持しなければならないと言いました。聖ピオ十世会は司祭的であり、ミサのいけにえ、ミサ聖祭に、そして私たちの主イエズス・キリストの社会的王権のために捧げられています。なぜなら、イエズスは十字架の木を通して統治し、支配しておられるからであり、したがって、カルワリオのいけにえの秘跡的継続であるミサを通して統治しておられるからです。これが、私が聖ピオ十世司祭兄弟会を愛する理由です。

私が聖ピオ十世会を愛するのは、聖ピオ十世修道会の守護聖人は聖ピオ十世だからです。聖ピオ十世は、自分の司祭たち、カトリック教会の司祭たちのために、細心の注意をはらって、司祭的精神の素晴らしい要約である使徒的勧告『ヘレント・アニモ Haerent animo』を通して、自分を与え尽くした教皇、列聖された最後の教皇だからです。また、聖ピオ十世教皇は、近代主義はまだ根絶されなかった、この異端はカトリック教会の内部に、その動脈の中に潜んでいる、と言って近代主義を排斥したからです。近代主義は一朝一夕に根絶できるものではありませんでした。そしてまた、聖ピオ十世は教会に秩序を取り戻しました。まさにこれこそ現代の私たちに必要なことです。だからこそ、私は聖ピオ十世会を愛しているのです。

私が聖ピオ十世会を愛しているのは、その創立者であるルフェーブル大司教が、私たちに規則を与えてくださったからです。私たちにとても賢明な会則、会憲、規律を与えてくださったからです。これをローマは、1971年に聖職者聖省長官のライト枢機卿の手紙によって、認可し、sapientes normae 賢明な規律であると称賛さえしました。この手紙で20ページに収まる聖ピオ十世会の会則を称賛したのです。司祭の霊性が凝縮された石版のような20ページで、そこにはあらゆることが書かれています。そして、私たちは今日でも、何一つ変えることなく、それに従って生きています。それで機能しています。誰が書いたのでしょうか?ルフェーブル大司教です。ローマでペンを走らせて。素晴らしいと思いませんか?

私が聖ピオ十世司祭会を愛しているのは、聖ピオ十世会がこれらの聖伝に根ざした神学校に司祭養成の理想を見出したからです。かつて神学校では常にそうしていたように、教理と敬虔との結合させる理想です。教理にしっかりと基づいた敬虔、また、典礼生活を送り、美しく荘厳な典礼儀式を愛する敬虔さです。だから私は聖ピオ十世協会が大好きなのです。

信者の皆様、私が聖ピオ十世司祭会を愛しているのは、ルフェーブル大司教が天才的なアイデアで、神学校に修練院のような霊性の修業の一年を設け、若い人たちに霊的な生活を与え、原理を教え、カトリックの霊的生活の原理、教会の原理を、はい、ルフェーブル大司教の原理ではなく、教会と私たちの主イエズス・キリストの原理を教え実践させたからです。

私が聖ピオ十世司祭会を愛しているのは、ルフェーブル大司教は、もう一つの素晴らしいアイデアで、――もちろん、聖トマス・アクィナスの『神学大全』とは別の――特別講座を開くことを望んだからです。それは教会の教導権の教えに関する特別な講座で、十九世紀から公会議前夜まで、現代の誤り、リベラリズム、近代主義、社会主義に対する教会の教義を伝えてきた偉大な教皇たちの回勅を教える、教会の教理に関する講座です。そしてそれ以来、毎年、神学生たちは、ペトロの真の後継者である教皇たちの回勅から、この教えを受けるのです。

私が聖ピオ十世司祭会を愛しているのは、また、天主の摂理が聖イグナチオの霊操を携えてバリエル神父をエコンに連れてきてくださったからです。それ以来、私たちは聖イグナチオを愛し、かつては専門家であるイエズス会しかできなかったことをすることができるようになりました。私たちは聖イグナチオの霊操を指導することができるのです。親愛なる信者の皆さん、それは並外れたことだと思いませんか?皆さんは、聖イグナチオの霊操が指導されている黙想の家に頻繁に行って黙想会に参加するように招かれています。聖イグナチオの霊操は、罪人を改心させるだけでなく、聖人を作るための、素晴らしい驚異です。聖イグナチオの黙想会に行ってください。エネー(スイス)かフランスで申し込んでください。

親愛なる信徒の皆さん、私は聖ピオ十世会を愛しています。それは聖ピオ十世会が信仰の戦いの中に投げ込まれているからです。躊躇することなく、不当で無効な非難を受ける危険を恐れず、使徒聖パウロが私たちに勧めている信仰の戦いに果敢に身を投じたからです。そして、私たちは今も信仰の戦いの中にいます。天主に感謝します。ですから、それを望んだわけでは無いのですが、何故なら闘うために創立されたのではなく、司祭職を伝達するために創立されたのですから、自分で望んだわけではないのですが、しかし自発的に喜んで、聖ピオ十世会は戦士となりました。私が聖ピオ十世会を愛しているのは、聖ピオ十世会が戦士であるからです。王たるキリストのための戦いを遂行しているからです。これはすごいことです。

私が聖ピオ十世会を愛しているのは、いわば、すべてを要約すれば、何故なら、聖ピオ十世会が、第二バチカン公会議と第二バチカン公会議後の背教に抵抗し、断固として立ち、ノーと言うために残された最後の砦だからです。それは貴重な最後の砦であり、それゆえ、私たちの第一の義務は、あらゆる近代主義者の感染からこの砦を守ることです。私たちの第一の義務は、未来のために、教会のために、この砦を守ることです。

出典:イタリア管区

ベルナール・ティシエ・ド・マルレ大司教
聖ピオ十世会補佐司教

ベルナール・ティシエ・ド・マルレ(1945年 - 2024年)。1969年10月、マルセル・ルフェーブル大司教によってフリブールに迎えられた最初の神学生の一人で、聖ピオ十世の会の設立に貢献。特にエコン神学校長として重要な責任を担う。1988年6月30日司教に聖別され、司教職の36年間を聖ピオ十世会の補佐司教としての職務に捧げる。マルセル・ルフェーブルの伝記『Marcel Lefebvre, une vie』の執筆に携わる。

ティシェ・ド・マルレ司教様:2016年東京にて