使徒聖ペトロと聖パウロの祝日の説教(大宮)
使徒聖ペトロと聖パウロ
使徒聖ペトロと聖パウロの祝日の説教(大宮)
2025年6月29日 イヴォン・フィルベン神父
使徒聖ペトロと聖パウロの祝日の説教
親愛なる信者の皆さま、
かつて、教区の司祭全員が参列した聖香油のミサに、一人のプロテスタントの牧師が参加していたことを思い出します。司教は喜んで、こう言われました。「牧師の先生、ご参加いただいたおかげで、教会は完全に再統一されました。」この司教にとっては、プロテスタントは教会の一部だったのです…このような考え方が、教会の構成員の中に広く行き渡ってしまいました。しかし、それは全くの誤りで、私たちはそのことをよく理解しておく必要があります。教皇の権威を認めなければ、キリスト教徒ではあり得ないのです。この権威が濫用されているかどうかは別として、キリスト教徒であるためには、ペトロの権威を原則的に否定することはできません。プロテスタントや正教徒は、イエズス・キリストの教えに不忠実です。イエズス・キリストは、聖ペトロと聖ペトロの後継者たちが上に立つ教会を打ち建てることを望まれたからです。
今日の主日の福音で、私たちの主は、シモンに新しい名前をお与えになり、シモンは、「岩」を意味する聖ペトロとなります。この説教では、この「岩」という意味の新しい名前の意味を説明して、私たちの主のご意向をよりよく理解したいと思います。そうすれば、私たちの主が打ち建てることを望まれた教会に一致するのは、ローマ・カトリック教会のみであることが、更によく理解できることでしょう。
I/ 新しい神殿のための新しい岩
1/ 神殿の岩
イエズス・キリストの時代には、ある非常に有名な岩がありましたが、それは、今も存在しています。エルサレムの神殿の丘に行くと、神殿の建物はなに一つ残っていませんが、イスラム教の建物が二つ建っています。アル・アクサ・モスクと、岩のドームです。岩のドームは、黄金のドームをもった大きな青い建物で、神殿の丘の真ん中に建っています。
岩のドームというのは、まさにその名が示す通りです。その地面には、地下から盛り上がったシオンの山の岩があるのです。ユダヤ教の伝えるところでは、ここが契約の櫃のあった場所です。この岩については数多くのユダヤ教の伝説があり、アベルの最初の生贄の場所、ノアの最初の生贄の場所、また、アブラハムが息子のイザアクを天主への生贄として捧げた場所とされています。これらのユダヤ教の伝説のいくつかはおそらく後代のものでしょうが、私たちの主の時代には、この岩が、イスラエルの信仰において非常に重要な場所であったことは確かです。だからこそ、この岩の周りに、神殿が建てられたのです。
2/ ペトロは新しい岩である
このことから、聖ペトロに対して、私たちの主が次のように言われた時、主が何を意図しておられたかが分かるのです。「あなたはペトロである。私はこの岩の上に、私の教会を立てよう。」(マテオ16章18節)私たちの主は、古い神殿が岩の上に建てられていたように、ご自分の教会を新しい岩の上に建てることによって、新しい神殿を打ち建てることを望まれたのです。私たちの主がご自分の教会を建てられるというのは、単なる信者の集まりではなく、新しい神殿を打ち建てられるということです。この新しい神殿は、エルサレムの神殿で行われていた旧約の宗教に代る、新しい宗教を持った神殿です。ですから教会は、祭壇があり、香が焚かれ、ミサの生贄という真の生贄がささげられる教会堂を持つ、新しい宗教なのです。
3/ もはやエルサレムにおいてではない
しかし、この岩というのは、象徴的な岩です。この岩は聖ペトロという人であって、本当の岩ではありません。ですから、礼拝は、もはや一つの地理的な地点においてのみ行われるのではありません。礼拝は、ペトロとペトロの後継者たちという人を中心とするもので、旧約の時代の神殿のように、もはや一つの国に限定されるものではありません。カトリック教会は、ミッションを通して、神殿を世界中に建ててきました。
私たちの主が、神殿を打ち建てるにあたって、このような予想外の場所を選ばれたという事実は、聖地を離れるという主のご意向を明らかに示すものです。実際、フィリッポのカイザリアという場所は、北方の国境にあって、イスラエル王国の辺境であり、そこには数多くの異教の祠があり、その名さえ、異教のものでした。私たちの主は、エルサレムとは全く反対の場所でご自分の新しい神殿を打ち建てることを敢えて選ばれ、それによって、すべての国々へと行く使命を宣言されたのです。
私たちの主が聖ペトロに新しい名前を選ばれたことから、私たちの主が、特定の地理的地点に限定されない新しい神殿を打ち建てることを望まれたことが分かります。
「岩」という名前はまた、私たちの主がペトロとその後継者たちに与えられた権威を意味するものです。
II/ ペトロの権威
ペトロは、私たちの主から、普通の人の権威を遥かに超える権威を受けます。聖書では、「岩」という単語は、「石」という単語と明確に区別されています。石という単語はいつも、人によって切られ、建物を建てるのに使われる石を意味しています。一方、岩という単語は、自然のもので、人ではなく、忠実かつ力強い天主ご自身を意味しています。「主は私の岩。」(詩篇18篇3章)
聖マテオの福音で、ペトロの名前として与えられた単語は「ペトロス」です。この単語は、ギリシャ語の聖書において「岩」という単語の翻訳として常に使われる単語で、「石」という単語を翻訳する際には決して使われません。私たちの主は、ペトロに天主の権威を意味する名前をお与えになったのですから、主は聖ペトロに、天主の権威をお与えになったということです。ペトロは、人からなる組織の単なる頭ではなく、主の教会の上に、天主から与えられた裁治権を持つ頭なのです。「私は天の国の鍵をあなたに与えよう。」(マテオ16章19節)
教会内の危機という現在の状況の下では、私たちは、教会の権威の濫用、特に権威が信仰に反して使われるときには、自らを守る行動を取る必要がありますが、それによって、聖ペトロの権威から独立したものとなってはなりません。この権威は、私たちの主イエズス・キリストご自身が望まれたものなのです。
親愛なる信者の皆様、私たちの主が「岩」という単語を使われたことで、主のご意向は明らかです。自ら固有の典礼を持ち、ペトロとその後継者たちの権威を中心とした新しい神殿である教会を造ることです。まさにこれこそがローマ・カトリック教会が標榜するものであり、この教会のみが、私たちの主イエズス・キリストが打ち建てることを望まれた教会にあたるのです。