第三戒「なんじ、安息日を聖とすべきことをおぼゆべし」

ソース: FSSPX Japan

2026年7月19日  聖霊降臨後第8主日

トマス 小野田圭志神父 説教  日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

天主の十戒シリーズの第五回目です。今日は第三戒「なんじ、安息日を聖とすべきことをおぼゆべし」を黙想しましょう。

第二戒は、第一戒の当然の結果として、愛すべき天主の聖なる御名(みな)について敬意を払うことを命じています。

ところで、天主は個々人の天主だけではありません。一家族の天主だけでもありません。全世界・全宇宙の天主、社会と国の安寧と福利を与えてくださる天主ですから、社会として天主を礼拝しなければなりません。ですから第三戒では、私たちが社会として、唯一の真(まこと)の天主に対する外的な公式の礼拝と感謝を容易に果たすことができるように、一定の時を定められました。

では、今日は一緒に、第三戒の特徴と、第三戒が命じていることと禁じていることを黙想して、最後に遷善の決心を立てましょう。

【第三戒の特徴】

第三戒の特徴はなんでしょうか?

「安息日を聖とせよ」という第三戒は、その本質は、社会として真の天主に礼拝を捧げることです。この本質は、自然に適う掟であって同時に永遠の掟です。ですから、いかなる理由によっても変化することはありえません。ちょうど人間には、体の休息や睡眠など、必要な機能のために一定の時間が必要ですが、それと同じように、精神や霊魂にとっても、天主についての祈りや観想で自己を新たにするための一定の時間が必要です。

ところで、特定のどの日付を公式の礼拝の日に定めるか、あるいは、どのような特定の儀式で天主を礼拝するのかというのは、本質ではなく典礼法規に属することです。ですから、第三戒の「一定の時期を定めているという点」については、祭儀に関すること、典礼法規に関することと言わなければなりません。本質からは外れていることです。この儀式に関すること典礼法規に関することについては、旧約の祭式や儀式は、キリストのご死去と共に、同時に廃止されました。

「(十字架上の犠牲としての)ご自分の肉体において、その(割礼対無割礼という)敵対を亡ぼし、二つのものを一つのものとされた。それは、多くの掟といましめとをもつ律法を廃止する(…)ためであった。」(エフェゾ2-15)「その無能と無効とのために、前の規定は廃された。律法は、何事も完成させなかった。」(ヘブレオ7:18

使徒たちは、キリストから受けた権威で、一週間の七日の最初の日(日曜日)を天主の礼拝にあてることを決定しました。何故ならば、世界創造が始まった週の最初の日であり、贖い主イエズス・キリストのご復活の日であり、聖霊降臨の日でもあるからです。そしてこの日は「主日」と呼びならわされるようになりました。聖ヨハネは、黙示録において主日(主の日 Dominica die)について書いています。「私、ヨハネは()パトモスという島にいたが、主日(主の日 Dominica die)に脱塊状態になり、うしろでらっぱのような大声をきいた」(黙1:10

聖パウロも、コリント人への手紙の中で毎週の最初の日について語っています(コリント前16:1-3)。一週間は主日から始まります。月曜日からではありません。主日(日曜日)はウイークエンドではなくウィークスタートです。

また、初代教会の多くの教父たちも主日を守ることを書き残しています。たとえば、107年に殉教したアンティオキアの聖イグナチオも「土曜日ではなく主日を守ること」(マグネシオスへの書簡)と記録しています。

【第三戒で命じられていること】

では、第三戒「安息日を聖とすべきことをおぼゆべし」で命じられていることはなんでしょうか?

1)第一に、安息日を聖とすることを常におぼえていなさい、いつも記憶していなさいと命じています。つまり、単に安息日を聖として過ごすのみならず、一週間のすべてにおいて、いつも主日のことを眼中におき、一週間のすべての仕事をしなければならないということです。それは、主日に労働を持ち越さないようにするためです。

2)第二に、主を知らない人々や、知っていても無視をするようなこの世の人々の真似をしてはいけない、主日を聖とすることを怠る人々――天主を無視するような見世物や商売に夢中になる人々のようになってはならない、倣うなと注意しています。

究極のところ「安息日を聖とする」とは、主日を天主に関する聖なる務めのための日として、充実した霊的な休息の日として過ごすことです。ですから、そのためにこそ肉体労働や商売などを休み、心と体をもって信心深く天主を礼拝する、これがこの掟の真の固有の意味と言えます。ミサ聖祭に与り、できれば告解の秘跡も受け、御聖体を拝領するほど有益で効果的な聖化の仕方はありません。

【第三戒で禁じられていること】

では、第三戒では何が禁じられているのでしょうか?

天主に対する礼拝を妨げるものは一切避けなければなりません。また、天主に関する事柄に対して、心の熱心さを奪うような物事や、また、天主の愛から私たちを全く引き離してしまう罪そのものをも避けなければなりません。ちょうど、聖なる場所で罪を犯すと、その罪の他に、汚聖・涜聖の罪を犯すことにもなるように、聖なる日(主日)に罪を犯すこともそれと同様、涜聖の罪を重ねてしまうことになってしまいます。

主日には肉体労働が禁じられていますが、肉体労働がそれ自体として悪いというのではありません。ただ、労働のあまり、私たちの心が天主の礼拝からそれてしまう危険を避けるためです。ですから、天主の礼拝のための仕事や労働、たとえば祭壇の飾り付け、祝祭日のための教会の装飾などは、肉体労働ではあっても許されています。主は、神殿で働く司祭たちは安息日の掟を破らないし、罪もおかさない、とおおせられています。「安息日に司祭たちが神殿で安息を破っても罪にはならないと律法にしるしてあるのも、読んだことはないのか」(マテオ12:5)と。天主のためならばどんなに難しいことでも行うべきなのに、天主は私たちに休め、安息日には地上的な心配事をせずに休息せよ、そうすれば祝福をうける、とお命じになりました。

ところで、有名なアルスの聖司祭(聖ヨハネ・ヴィアンネ)は、ある時その教区民にこう説教したことがあります。「主日に労働するのは、肉体と霊魂を壊し、霊魂を悪魔に売り、主をもう一度十字架につけ、洗礼の約束を破り、地獄に行って永遠に嘆くことだ」と。さらに言葉を続けて「人は主日に労働するのは、もっと儲けるためだ、全ては自分の働きにかかっている、と考えている。しかし、それは間違っている。天主こそ全てを支配しておられる方だからだ。天主に逆らっては何もうまくいかない。私たちはこの世を去る時、地上のものを何も持っていくことができない。私たちの最終目的は天主だ。この地上のものはそのための手段に過ぎない。主日は主の日である。一週間をつくられたのは主だ。全てをご自分のために取っておくこともできたが、六日を私たちにくださり、一日だけをご自分のために取っておかれた。主日は主の所有物だ。人は盗んで豊かになることはできない。私は貧しくなる二つの方法を知っている。主日に労働すること、もう一つは、盗みを働くことだ。」

【遷善の決心】

最後に遷善の決心を立てましょう。

主日を聖伝のミサによって聖化するならば、天主の御前(みまえ)に跪いて礼拝し、祈り、カトリック信仰を学び、多くの聖寵と祝福を受けることができます。21世紀の日本にいる私たちの環境は、主日の労働を避けることが時として難しいかもしれません。それでも、できるだけのことをいたしましょう。ミサに与ることができなかった場合には、少なくともロザリオを唱え、霊的読書をすることによって、主日を聖化いたしましょう。もしも主日にミサ聖祭に与ることができない場合には、平日に与ることも検討してください。

1846919日、ラ・サレットの聖母は涙ながらに訴えたことがあります。聖母の涙の原因は二つです。その一つは「主日の無視」であり、もう一つは「冒瀆の罪」です。この二つが「御子の手が人類を罰せざるを得ないほど重くなっている理由です」とマリア様は説明されました。そしてマリア様は言葉を続けて「もしもこれらの罪が続くのならば、農作物は腐り、飢饉があるでしょう」と警告されました。

最後にマリア様にお祈りいたしましょう。

私たちが生涯、主日を聖とすべきことを考えて生活することができますように。そしてついには、私たちが皆、永遠の復活の主日に、つまり永遠の天国で永遠の安息に憩うことができますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。