大いなる傷(2):ヴィトゥス・フオンダー司教との独占ビデオシリーズ

ソース: FSSPX Japan

大いなる傷(2):ヴィトゥス・フオンダー司教との独占ビデオシリーズ
DIE GROSSE WUNDE
Exklusive Videoreihe mit Bischof Vitus Huonder

教導権は、恣意的に信仰を変更して、受け入れを義務付けることはできません。受け継がれてきた信仰の規則にこそ、私たちがルフェーブル大司教の態度と仕事を正しく判断するための基準があるのです。ルフェーブル大司教は、司教の義務、実際にはすべての信者の義務であること以外には、何もしなかったのです。

5.ノブス・オルド・ミサ

聖ピオ十世会はある意味で、教会における危機の子です。私たちは、すでに次のように観察しています。教会の危機は、伝えられた信仰からの、聖伝からの、信仰の実践からの、部分的な背教の結果です。聖伝からの逸脱は、変更されたミサの聖なる犠牲の典礼において、最も痛みをもって感じられます。この変更は正当な動きだったのでしょうか。この変更は公会議の意向だったのでしょうか。

聖なるミサに関して、典礼に関する憲章「サクロサンクトゥム・コンチリウム」(Sacrosanctum Concilium)はこう言っています。「われわれの救い主は、渡されたその夜、最後の晩さんにおいて、自分のからだと血による聖体の犠牲を制定した。それは、十字架の犠牲を主の再臨まで世々に永続させ、しかも、愛する花嫁である教会に、自分の死と復活の記念を託するためであった。それは、いつくしみの秘跡、一致のしるし、愛のきずなであり、キリストが食され、心は恩恵に満たされ、未来の栄光の保証がわれわれに与えられる復活の祝宴である」【47番】。その一方で憲章は、改革に対しては、こう警告しています。「なお、真に教会のために確実に役立つものとして要求されている改革でなければ行ってはならない。また、すでに存在している形態から、新しい形態がいわば有機的に生ずるように、慎重に配慮する必要がある」【23番】。

それにもかかわらず、大きく変化した新しい儀式が、同様に変化した聖なるミサの神学とともに提示されています。すでに指摘したように、聖伝の聖体信仰からの逸脱は、1969年に、使徒的憲章「ミサーレ・ロマーヌム」(Missale Romanum ex decreto Concilii ecumenici Vaticani II instauratum)および「ノブス・オルド・ミサ」(Novus Ordo Missae ミサの新しい式次第)導入によって明らかになりました。同年のミサの新しい規則の検討の際、専門家による委員会は次のような結論を出しました。「ノブス・オルドには、トリエント公会議が教えた信仰を提示する意向がない。それにもかかわらず、カトリックの良心は、トリエント公会議に永遠に拘束されることは明らかである。そのため、ノブス・オルドの公布により、忠実なカトリック教徒は最も悲劇的な選択肢に直面している」。委員会【のこの言葉】は、あまり真剣に受け止められていませんでした。導入されたミサ典礼書が訂正されれば、この困難は解決されるはずでした。現実には、オルド【ミサ式次第】自体は、作られたそのままに残り、すなわち、もはやトリエントの信仰を十分に提示するものではありませんでした。長い年月を経て、使徒的勧告「デジデリオ・デジデラーヴィ」(Desiderio Desideravi、2022年)で、ついにそのこと【トリエント公会議で決定的に示されたカトリック信仰を新しいミサが示していないこと】が明らかになりました。一見すると、カトリックの用語や敬虔な態度、ミサ挙行という解釈があるにもかかわらず、大部分は聖なるミサについてのプロテスタント的な概念であると判断しないためには、目を逸らさなければならないのです。この教皇の書簡は公会議に言及しています。したがって、それは公会議の憲章の解釈として理解されます。ある比較・たとえだという考えは、ほとんど成り立ちません。

 

6.真正なローマ典礼

第二バチカン公会議まで受け継がれてきた教会の典礼は、本質的に真正なローマ典礼です。これは歴史的事実です。これを否定することはできず、できるのは無視することだけです。この聖伝の典礼は、時々トリエントの聖なるミサとも呼ばれますが、これはちょっと正しくありません。教皇ピオ五世は、新しい「トリエント」典礼を導入したのではありません。彼は教会に、ミサの聖なる犠牲の純粋な聖伝のテキストを渡したのです。1570年7月14日の「クオ・プリームム」(Quo primum)で、彼は、とりわけ聖なるミサの挙行に関して次のように述べています。

「又、何によってであろうとも【司祭が】このミサ典礼書を変更すべく強いられ、強制される事無く、又この手紙が決していつの時代でも変更されることの無く、却って〔この手紙が〕常に堅固、且つその適応範囲において有効であるように、同じく余は規定し宣言する」。

後継の教皇は、このような条項を無視してはなりません。彼がそうしてはならないのは、典礼文の古さのためであり、また、この主題それ自体のためでもあります。なぜなら、この教えは、単に変化しやすい規律に関するものだというだけではなく、信仰の遺産、つまり祈りの形式での信仰の真理と言えるからです。聖伝のローマ典礼は、信経に等しいものです。その実質は変更されてはなりません。したがって、それを禁止することはできません。教皇ピオ五世は、何も新しいものを作り出したのではありません。むしろ彼は、この形式の典礼による信仰を行使することの正当性を確認したのです。彼は、この信仰が真正なものであることを裏付けたのです。このような善は、信者から奪われることは決してあり得ません。第二バチカン公会議の後、ミサの聖伝の典礼を廃止する意向で起こったことは、不公正であり、権威の行き過ぎでした。

7.圧力の道具

第二バチカン公会議後の教会生活の発展にとって、つまり、危機が起こるために、次の二つの概念が決定的なものでした。それは、「従順」と「生ける教導権」です。これらは、次の一文に要約することができるでしょう。「生ける教導権には絶対的に服従しなければならない」。この二つの概念のある種の解釈は、近年の教会生活の否定的な発展を支持しました。なぜなら、この二つの用語は、革新的なものを受け入れるための圧力の手段として使われたからです。それ以前の時代には、信者は、従順の範囲について十分に紹介されていませんでした。彼らは、教導権と聖伝の重要性についてあまり指導を受けなかったのです。従順が隷属的かつ服従的な用語で、死体のような【知性も理性も働かせない】従順として理解される場合があまりにも多くありました。特に18世紀から19世紀にかけての教会への攻撃と教皇の権威に対する過度な狭量な見方は、絶対的で疑うことのない従順だけが知られるという効果をもたらしました。この従順が信者に教え込まれました。ですから信者は、教会の刷新が必要とされるとして提示されたものに対して、異議を唱えることなく屈服したのです。ルフェーブル大司教は、1976年9月1日、教皇パウロ六世に謁見した際、次のように強調しました。「私は跪いてすべてを受け入れたいのですが、自分の良心に逆らうことはできません」。このような態度は、当時の多くの信者にとって考えられないことだったでしょう。教会当局の前では、あえてそうする必要はなかったのですから。良心に訴えるということが、ほとんど教えられていなかったのです。しかし、この謁見の経過は、権威というものが、当時どのように使われたか、今日でもどのように使われているかをよく明らかにしています! 権威の乱用(信者に恐怖を与えること)は決して無視できません。すべてのカトリック教徒は、このことを常に意識していなければなりません。

もう一つの用語である「生ける教導権」は、聖伝に固く結ばれていない新しい教えを持ち出すために、しばしば悪用されましたし、今でも悪用されています。しかし、教皇の権威は、あらゆる教会の権威と同様に、「信仰」の規則に縛られています。この意味で、教会の権威は、何を信じるべきかを決定するものではありません。教会の権威は、信仰の遺産を引き継ぎ、それを守り、それを保護し、それを説明します。これが、生ける教導権の意味するものです。教導権は、恣意的に信仰を変更して、受け入れを義務付けることはできません。ここにこそ、つまり、受け継がれてきた信仰の規則にこそ、私たちがルフェーブル大司教の態度と仕事を正しく判断するための基準があるのです。ルフェーブル大司教は、司教の義務、実際にはすべての信者の義務であること以外には、何もしなかったのです。つまり、信仰の規則という下地に照らし合わせて、教会の権威の教えと行動を綿密に検査しただけでした。

8.失われた忠孝(pietas)

「教会法」(Codex Iuris Canonici、CIC)は、教義学や道徳の教科書ではありません。しかし、それは、信仰の教理、信仰の生活を保護するものです。その意向は、主に信者の霊魂の救いのためです。私たちはすでに、第二バチカン公会議当時に施行されていた1917年の教会法で、第23条に「前法が廃止されたか否かにつき疑いがある場合には、前法の廃止は推定されない。この場合には、後法は前法の範囲内におかれ、しかもできるかぎりそれと協調させなければならない」とあるのを知っています。この原則は、1983年の教会法でも、第21条に盛り込まれています。

このような原則が人間の法律学に、実定法的な教会法に適用されるのであれば、その原則は、天主の法の保護のために、教理の宣言と典礼生活の規制にもより一層適用されなければなりません。なぜなら、それによって信者の霊魂の救いが直接影響を受けるからです。公会議以降、教会で起こった革新や変化のすべては、この原則に基づいて判断されなければなりません。過去の教えとどこまで首尾一貫しているのでしょうか。この点では、父祖たちに対する、教会の過去に対する、聖伝の教えと実践に対する信心と尊敬である忠孝(pietas)も存在します。信仰の問題には選択肢はありません。後のものは前のものと調和していなければなりません。信経は、福音やその他の啓示と首尾一貫していなければなりません。公会議の決定は、信経に一致していなければなりません。後に続く公会議の決定は、それ以前の拘束力のある公会議の決定と首尾一貫していなければなりません。正確に言えば、忠孝は、公会議の時代にも、公会議後の時代にも、ほとんど存在しませんでした。当時、教会の信仰がどれほどひどく扱われてきたことでしょうか! たとえば、教会や教会の調度品、祝別された祭服、聖伝を固守する人々、良心に従って聖伝の典礼に忠実でありたいと望む司祭たちが【どれほど軽蔑されて捨てられてきたことでしょうか】! このことは今日でも、教会に重くのしかかっています!

神学者たちは、自分たちの教えによって、教会の原点に戻るという妄想によって、どれほど傲慢になっていたことでしょうか。そのキャッチフレーズはこうです。「今、教会はすべて良くなっている。私たちは、より良い変化をもたらす世代なのだ」。それは、広範囲なグループにあったある種のムードであり、軽蔑や皮肉、うぬぼれをもって過去を見下すようにさせ、神聖で触れることのできないものさえも平気で無視するというムードでした。パウロ六世の教皇就任以来、教会の教理や規律への重大な介入が繰り返し記録されており、それは忠孝を欠いたものでした。おそらく最も困難なものは、聖なるミサの典礼への介入でした。私たちの信仰の最も神聖な部分が、忠孝もなく、敬意もなく扱われたのです。

しかし、教会は常に、聖なるテキストと典礼上の教えを細心の注意を払って保存し、伝えてきました。そして、教会が変更や追加を行う際には、まったく不本意ながらであり、また敬意を持っていたのです。教皇の権限に関して第一バチカン公会議が定式化した原則は、教皇だけでなく、教会のすべての役職に適用され、特に聖なるミサの犠牲に適用されます。「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである」【第一バチカン公会議の教義憲章「パストル・エテルヌス」(Pastor Aeternus)第4章6番】。

すべてのことが起こった後、人はこう自問することができます。「あの起こったことは、信頼に足る行動様式だったのだろうか。それは敬虔さによって決定されたのだろうか」と。

Die grosse Wunde (Teil 2/3) – Exklusive Videoreihe mit Bischof Vitus Huonder

00:00 導入
00:16 ノブス・オルド・ミサ
04:16 真正なローマ典礼
06:43 圧力の道具
10:13 失われた忠孝(pietas)