白衣の主日の説教―洗礼の約束(2025年、大阪)

ソース: FSSPX Japan

キリストの洗礼

白衣の主日の説教―洗礼の約束(2025年、大阪)

2025年4月27日 ブノワ・ワリエ神父

「天主から生まれた者は世に勝つ。…イエズスが天主の子であると信じる者のほかに、誰が世に勝てるであろうか」(書簡)。

親愛なる兄弟の皆さま、

今日の主日は、復活祭に新たに洗礼を受けた人が受ける白い衣にちなんで、「Dominica in albis」、つまり「白衣の主日」と名づけられました。このミサの直前に、二人の成人の洗礼式がありましたし、二人は白衣姿で初聖体も受けますから、いわゆる洗礼の誓いについて話すのがふさわしいと思われます。

1.悪魔を捨てます。

悪魔は、私たちの主イエズス・キリストの最大の敵であり、キリストの国を滅ぼそうとしてきました。

悪魔はまた、私たちの最大の敵でもあります。なぜなら、「悪魔は吠える獅子のように、食い荒らすものを探して、あなたたちのまわりをまわっている」(ペトロ前書5章8節)からです。

聖ヨハネは、私たちにこう警告しています(ヨハネ第一書2章15節)。「世と世にあるものを愛するな。世を愛するなら、御父の愛はその人の中にはない」。世は常に、悪魔に協力しています。悪魔は、私たちに悪しき望みや肉の欲にふけるよう促し、最も恐ろしい悪徳を擁護して弁解し、常にキリスト教との戦争状態にあります。したがって、悪魔を捨てるということは、単に悪魔を捨てるだけではなく、この世の精神を捨てるということでもあるのです。

2.悪魔のすべてのわざを捨てます。

悪魔のわざとは、すべての罪のことだと私たちは理解します。罪はまさに、悪魔のわざです。なぜなら、悪魔によってこの世に罪が入ったからであり、また、悪魔は、人間を罪に導いて滅びに陥れようと絶えず努力しているからです。私たちは、洗礼の際に、荘厳にこれらのわざを捨て、「罪の欲に従うように、私たちの死すべき体を罪に支配させる」(ローマ6章12節)ことを決してしないと約束しました。

カナダのある先住民が、洗礼とご聖体を受けました。一年後、宣教師が宣教に戻ると、その若いキリスト信者は聖体拝領を求めました。宣教師はそうする用意があることを告げましたが、彼に対して洗礼後に犯した大罪を告白するように言いました。あわれな先住民は、泣き出してこう言いました。「神父様、神父様は私に大罪を告白するように言われました! 洗礼を受けた後に、大罪で天主を侮辱するなんて、誰ができるというのですか」。森のあわれなこの子どもは、洗礼の後、とても敬虔に生きてきたため、故意に、意図して小罪を犯したことさえなく、ましてや大罪を犯すなどあり得なかったのです。

3.悪魔のすべての栄華を捨てます。

高慢は、悪魔のわざの中でも、特に述べておくべきものです。なぜなら、悪魔は高慢によって堕落したからです。高慢はまた、悪魔が特に人間を誘惑する悪徳でもあります。ですから、悪魔は、私たちの最初の父祖を欺き、禁じられた実を食べれば神々のようになれると告げたのです。繰り返しますが、キリストが言葉と模範によって私たちに教えておられるように、キリスト教と絶対に両立できないのは高慢なのです。「まことに私は言う。あなたたちが悔い改めて、子どものようにならないなら、天の国には入れぬ」(マテオ18章3節)。最後に、高慢は最も大きな罪に至らせるものであり、すべての善いわざから天国への功徳を奪ってしまいます。「他人の前で善いわざを行って人に見せびらかさぬように気をつけよ。そんなことをすれば、天にまします父からの報いは一切受けられぬ」(マテオ6章1節)。

4.イエズス・キリストに永遠によりすがります。

洗礼の約束に要求される最初のものは、こうです。「私は悪魔と、そのわざと、その栄華を捨てます」。もう一つ同じくらい重要なことは、こうです。「私はイエズス・キリストに永遠によりすがります」。

洗礼の直前、司祭は次のような質問をします。「天地の創造主、全能の父なる天主を信じますか。この世に生まれ、われらのために苦しみを受け給うた御独り子、われらの主イエズス・キリストを信じますか。聖霊、聖なる公教会、諸聖人の通功、罪の赦し、肉身のよみがえり、終わりなき命を信じますか」。

そして、これらそれぞれの質問への答えは、こうです。「信じます」。信仰は救いのために絶対に必要なものであり、信仰がなければ洗礼は何の役にも立ちません。「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅ぼされる」(マルコ16章16節)。

ですから、司祭が私たちに洗礼を授ける前に、私たちには、信仰を約束する義務がありました。言い換えれば、いかなる犠牲を払ってでも、揺るぎなくキリストに身を捧げることを表明するのです。

結論

親愛なる兄弟の皆さま、

次の言葉は、聖エフレムの厳しい警告です。「洗礼の際に行った誓いと約束を忠実に守らなかった者は、私審判および公審判において、イエズスの口から、福音書にある次の恐ろしい言葉を聞くことになるであろう。『悪いしもべだ。私はあなたの言葉に基づいて裁こう』(ルカ19章22節)。つまり、『あなたは荘厳に約束を行ったのに、恥ずべきことにその約束を守らなかったのだから、私はあなたを裁き、滅びの宣告をする』ということである」。

皆さまは、このアメリカ先住民のように、洗礼のときに悪魔を捨て、イエズス・キリストに永遠によりすがりました。しかし、皆さまは彼と同じように、誠実に約束を守っておられるでしょうか。

聖ペトロの言葉を聞きましょう。「新たに生まれたみどり児のように、混じりのない霊的な乳を望め。あなたたちは、もはや主の慈しみを味わったからである」(ペトロ前書2章2-3節)。