聖堂の意義:なぜグァダルーペの聖母は聖堂をお望みになったのか

ソース: FSSPX Japan

2025年11月9日  至聖救世主(ラテラノ)大聖堂の奉献

トマス 小野田圭志神父説教  聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は、典礼法規に従って「至聖救世主の大聖堂の奉献」の大祝日を祝っています。

「至聖救世主の大聖堂」はローマにあり、ラテン語で、

 Patriarchalis Archibasilica Sanctissimi Salvatoris ac Sanctorum Ioannis Baptistae et Ioannis Evangelistae ad Lateranum Romanae Ecclesiae Cathedralis

「ラテラノにある至聖なる救い主および洗者聖ヨハネと福音史家聖ヨハネの大聖堂」と言います。ラテラノ大聖堂とも呼ばれ、ローマ教皇の司教座大聖堂であり「すべての教会の母」と言われています。ですから、この奉献の日は、全世界でお祝いをいたします。

そして、教会はイエズス様の御体の象徴でもありますから、この大聖堂の奉献の日が主日のミサにあたる場合にはイエズス様の祝日と全く同等に考えられます。

ちなみに、今年の聖年を記念して、聖ピオ十世会がローマ巡礼をした際は、公式行事で、こちらのラテラノ大聖堂に入場いたしました。

それから、私たちの「聖母の汚れなき御心聖堂」移転計画ですが、111日(初土曜日)づけで、新しい移転地の借家契約を結びました。また、昨日118日(土曜日)には、リフォームの会社と契約を結びました。来年の春には、新しくより広い「聖母の汚れなき御心聖堂」で、ミサ聖祭を捧げ得ることができることと期待しています。

では、「至聖救世主の大聖堂の奉献」と、私たちの聖母の汚れなき御心聖堂の移転計画にちなみ、今日は聖堂の意義について、特に聖母の汚れなき御心に捧げられる聖堂が持つ深い意味と、その存在意義について一緒に黙想いたしましょう。

マリア様は、グァダルーペ、ルルド、ファチマでも、小さな聖堂が建てられることをお望みになりました。

1531129日(土曜日)のことでした。メキシコのテペヤクの丘で、マリア様は聖フアン・ディエゴに、母として語りかけます。

「知りなさい、確信しなさい、わたしの一番小さな子よ。私は完全な終生童貞聖マリアです。私たちがその方のために生きている唯一の偉大な真理の天主の母です。人々を創造した方、私たちのすぐ近くにあるもの、周りにあるものすべてを所有する方、天と地との所有者の母です。私は、ここに私のために小さな聖堂が建てられることを強く望んでいます。」

フアン・ディエゴは、私たち人類の代表です。マリア様は、フアン・ディエゴを通して、私たちにも語りかけておられます。

「わたしの一番小さな子よ!」「子供たちよ!」

次に、マリア様は、ご自分がどなたであるかを明かされます。

「私は、完全な終生童貞、聖マリアです。唯一の真の天主の御母です。全てのものの創造主の御母です。」

それから、フアン・ディエゴと将来のフアン・ディエゴたち、つまり、私たちにやさしくお願いをされます。母の愛とは、与えるだけではありません。子供を信頼し、お願いするという側面もあります。愛の程度は、与えるものによって計られますが、お願いされることによってもわかります。何故かというと、愛して信頼しているからこそ、親切や犠牲、献身をお願いすることができ、母親だからこそ、子供にお願いできることがあります。

マリア様は、テペヤクの丘で、ご自分が私たちを愛する母であること、ご自分がどなたかであるかを明かされた後に、一つのお願いをされます。

「私は、ここに、私のために小さな聖堂が建てられることを強く望んでいます。」

はい、マリア様。私たちはマリア様のために、聖母の汚れなき御心に捧げられた聖堂をお捧げ致します!

私たちの愛と汗、喜びと祈りがこもった聖堂をお捧げしたいと思います。

まだ借家ですけれども、マリア様のためにきれいな聖堂をお捧げしたいと思っています。

【聖堂の理由】

ところで、マリア様は、なぜ聖堂を望まれたのでしょうか?

マリア様は、聖堂で、ご自分が尊敬と崇敬と愛を受けることをお望みになったからなのでしょうか?

マリア様が聖堂を必要とされたのは、ご自分の愛と栄光をお見せになる玉座を持ち、そうして人々を支配するためでしょうか?

いいえ!マリア様は、フアン・ディエゴを通して、私たちにご自分のお望みの理由をはっきりと言われます。それは、私たちが想像したようなものではありませんでした。

「私はこの場所で、[人々に]彼(イエズス・キリスト)を示し、彼を高め、彼を明らかにしましょう。私の愛、私の憐れみ深いまなざし、私の助け、私の救いにおいて、私は主を人々に提供しましょう。なぜなら、私は本当に、あなたの憐れみ深い母であるからです。あなたやこの地に共に暮らす全ての人々の母、他の祖先のすべての人々、私を愛し、私を呼び叫び、私を探し求め、私に信頼する多くの人々の母です。この場所で、私はみなの泣き声と悲しみに耳を傾け、みなのすべての悩み、みじめさ、苦しみを癒し、清め、看護しましょう。」

マリア様はご自分のことではなく、ご自分の愛する子供たちのことだけを考えておられます。聖堂は、マリア様のためではなく、私たちのためのものです。そして、私たちがマリア様を崇敬し、愛するためというよりは、むしろ、マリア様の方がもっと私たちを愛し、私たちの心にマリア様の「同情と憐れみ深いまなざし」を注ぎ、私たちを天の宝と祝福で満たすためにこそ、マリア様は聖堂を欲しておられるのです。

【ミサ聖祭のため】

もう一度、私たちを愛する母としての繊細で優しい言葉遣いに注意して、マリア様の深い愛のお言葉を聞いてください。マリア様は言われます。

「私はこの場所で、[人々に]彼(イエズス・キリスト)を示し、彼を高め、彼を明らかにしましょう。」

つまり、マリア様は、ミサのためにこの聖堂が欲しいと言っておられるのがわかります。ミサにおいては、天主の御子イエズス・キリストの十字架のいけにえが捧げられるからです。十字架の足元には、マリア様もおられます。マリア様は、イエズス様と共に、世の終わりまで、常に私たちのもとに留まることを望まれます。それは、私たちがイエズス様を知り、主からの祝福を受けるためです。

イエズス様は、こんなことをおっしゃったことがあります。

「永遠の命とは、唯一のまことの天主であるあなたと、あなたがお遣わしになったイエズス・キリストを知ることであります。」(ヨハネ173

マリア様は、私たちがイエズス・キリストを知り、永遠の命を得ることを望んでおられます。

1865317日、大浦天主堂にやってきた潜伏キリシタンたちは、サンタ・マリア様の御像に、イエズス・キリストを見出してこう言いました。

「ほんとにサンタ・マリアさまだ!」「御子ゼズス様を抱いていらっしゃる!」

マリア様は、どうしても私たちにイエズス様を示さなければなりません。マリア様は、言葉を続けます。

「私の愛、私の憐れみ深いまなざし、私の助け、私の救いにおいて、私は主を人々に提供しましょう。」

先ほども申し上げたように、マリア様が聖堂を求められたのは、聖堂でミサが捧げられるからです。そして、ミサ聖祭では、私たちにイエズス・キリストが与えられます。イエズス・キリストの教えと御体が与えられ、天の宝と祝福で私たちを満たすためには、ミサ聖祭が捧げられる聖堂がどうしても必要なのです。

ルルドでも同じでした。185832日、第13回目の御出現の時、マリア様は、たくさんの人々が行列でやって来ることをお望みになりましたが、それだけではありませんでした。ミサ聖祭のための聖堂もお望みになります。

マリア様は、聖ベルナデッタにこうおっしゃいます。

「司祭たちにこう言いに行きなさい。人々がここに行列で来るように、また聖堂を建てるように、と。」

« Allez dire aux prêtres qu'on vienne ici en procession et qu'on y bâtisse une chapelle ».

聖母の汚れなき御心聖堂は、まさに、私たちがイエズス・キリストのためにミサ聖祭を捧げ、イエズス・キリストを知り、そして愛する場所です。

【聖母が母として留まるため】

マリア様がおっしゃったのは、それだけではありません。マリア様は言葉を続け、聖堂が欲しいのは、マリア様が母として私たちと一緒にいるためだとおっしゃいます。

「なぜなら、私には本当に、あなたの憐れみ深い母であるからです。あなたやこの地に共に暮らす全ての人々の母、他の祖先のすべての人々、私を愛し、私を呼び叫び、私を探し求め、私に信頼する多くの人々の母です。」

マリア様が聖堂を求められたのは、私たち子供たちにとって、母を求め、母に話しかけ、母に祈る場所が必要だとご存知だったからです。ですから、マリア様は私たちに聖堂を求めたのです。マリア様はこうおっしゃいます。

「この場所(聖堂)で、私はみなの泣き声と悲しみに耳を傾け、みなのすべての悩み、みじめさ、苦しみを癒し、清め、看護しましょう。」

また、マリア様が聖堂を求められたのは、私たちを愛し、守る場所が必要だからです。マリア様は、私たちを慰め、強め、励まし、保護し、涙をぬぐうことを望まれ、そのために聖堂をお求めになりました。世知辛いこの世で、ぐったりとしている子供たちを力づけ、あふれるばかりにお恵みを注ぐことをお望みなのです。

マリア様の母としての気遣いは、いつも子供たちのためです。私たちは、決して一人ぼっちではありません。マリア様は、どんなことがあっても私たちを見捨てることはありません。何故でしょうか? 何故ならば、マリア様はイエズス・キリストと共に贖いをなさった共贖者であるからです。イエズス・キリストと共に贖いを成し遂げ、そして、天国では、聖霊と共に、私たちにすべてのお恵みを分配される方であるからです。

マリア様のような母親を天国にもつ私たちは、どれほど幸運なことでしょうか!

私たちの聖母の汚れなき御心聖堂は、まさにマリア様が私たちの祈りを聞き、私たちに恵みと祝福が降り注ぐ場所です。

【聖母からの報い】

マリア様のさらなる言葉を説明させてください。愛の約束の言葉があるのです。

マリア様は、グァダルーペでご自分が母であることを告げ、母として子供を愛する聖堂が建てられることへの望みをお伝えになった後、次のように言葉を続けられました。

「そうしてくれたら、あなたに感謝して、必ずそれに報いることを約束します。そのことについて私はあなたに感謝し、あなたに栄光を与えるでしょう。このために、あなたの苦労と、私の使者として要求するために派遣されるという奉仕に対して、私が存分に報いるやり方に値するものとなるでしょう。」

マリア様がフアン・ディエゴにおっしゃった言葉は、私たちにも同様に言われたことです。彼は、世界各地にいる私たちを代表しているのであり、そのため、私たち一人ひとりは「フアン・ディエゴ」なのです。

マリア様は私たちに対して、単に「ありがとう」と言うのみならず「感謝して、必ずそれに報いることを約束します」とさえおっしゃったのです。

「私はあなたに感謝し、あなたに栄光を与えるでしょう。」

つまり、マリア様は、イエズス様と同じ寛大さで私たちに報われるということです。マリア様は、至聖三位一体の天主、天の全ての天使たち、全ての聖人たちの前で「あなたに感謝し、あなたに栄光を与えるでしょう」と。

なんという、素晴らしい母でしょうか!

【遷善の決心】

では、最後に遷善の決心をいたしましょう。

このように素晴らしい、マリア様というお母様をもって、私たちはどれほど幸運なことでしょうか!また、マリア様に捧げられる聖堂を捧げることができて、私たちはなんと幸せでしょうか!

私たちの小さな祈り、奉献、そして苦労は、全てマリア様が覚えておられて、それらを寛大に何千倍にもして報いられることを思うと、とてももったいない限りです。

このマリア様に捧げられる聖堂では、聖伝のミサ聖祭だけが捧げられます。

ミサ聖祭によって、私たちはイエズス・キリストのようになります。

ミサ聖祭によって、煉獄の霊魂たちは解放されます。

ミサのいけにえを通して、私たちは日々、聖なる者となっていきます。

ミサ聖祭を通して、イエズス・キリストは私たちの家庭を祝福し、私たちを、そして世界をも統治します。

ミサ聖祭を通して、多くの災いが少なくなり、平和が訪れ、そしてキリスト教大文明が栄えます。

ミサ聖祭が捧げられるために、マリア様はどうしても聖堂が必要です。

そして、最後に一言付け加えれば、ミサ聖祭が立てられるためには、どうしても聖伝の司祭が必要です。何故かというと、聖堂があっても、司祭がいなければミサ聖祭が立てられないからです。ミサ聖祭がないと、イエズス様は、霊魂を聖なるものとすることができません。ですから、私たちにはこの素晴らしい聖堂と同時に、司祭たちも必要です。

ここにいる若い小さなお友だちには、特に伝えたいことがあります。

もしもイエズス様から、司祭職や修道生活への召し出しがあったなら、イエズス様があなたを召し出し給うたならば、寛大に答えてください。何故かというと、子供たちの「はい」という寛大な言葉に、何千何万何十万という霊魂たちの永遠の救いと、天国の幸せがかかっているからです。もしも、若い皆さんの「はい」が無かったら、多くの霊魂たちは失われてしまう危険があります。

お医者さんは体を癒し、健康を与えるかもしれません。けれど、司祭は、ミサ聖祭を捧げることによって、永遠の命を与えます。霊魂を聖なるものとします。

ですから、キリストの召し出しへの招きを、その声に耳を塞がないようにしてください。それを妨げ、妨害するようなものをすべて遠ざけてください。携帯電話やコンピューターゲーム、悪いお友だち、おかしな本など、この世にたくさんありますけれども、それに十分気をつけて、イエズス様の声によく耳を傾けてください。

では、最後にマリア様にお祈りいたしましょう。

聖母の汚れなき御心が、私たちとその家族、私たちの共同体をいつも祝福してくださり、マリア様の御心に捧げられた聖堂が、ますます美しいものとなり、マリア様に多くの栄光を与えさせて頂ける喜びを、私たちが得られますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。