グァダルーペの聖母「あなたのお母さんであるわたしが、ここにいるではありませんか。」

ソース: FSSPX Japan

2024年12月15日 待降節第三主日 説教 「グァダルーペの聖母」

トマス小野田圭志神父

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、先日の12月12日は、グァダルーペのマリア様の祝日でもありました。そこで今日はぜひグァダルーペのマリア様についてお話ししたいと思っています。

聖なる日本の殉教者聖堂の一階の入り口に、マリア様が手を合わせて優しいほほえみを浮かべながら、皆さんをお招きしているのがわかります。このマリア様の御影がグァダルーペのマリア様ですが、いったいこのマリア様にはどんな話が込められているのでしょうか。ぜひ今日はそのことを知ってください。このマリア様についてはたくさん話や研究がなされています。今日はそのほんのちょっとを味わうことにいたします。

【1531年12月9日土曜日】
時は1531年、12月9日、土曜日でした。これは今から五百年前のことで、聖母の無原罪の御宿りの祝日の八日間(オクターブ)、それの最初の日でした。土曜日、マリア様の日でもありました。場所は今のメキシコ・シティです。メキシコは高地にあるので、冬は寒く、乾燥しています。

すでに1525年に妻と一緒に洗礼を受けていた先住民インディアンのフアン・ディエゴ【もとの名前はクワウトラトアチン(Cuauhtlatoatzin)】は、その当時、トゥルペトラク(Tulpetlac)という村に二人で住んでいましたが、子どもを授かることなく妻マリア・ルチアは、二年前の1529年に亡くなってしまいました。そこで伯父さんだった、そしてカトリックだったフアン・ベルナルディーノと一緒に、フアン・ディエゴは生活していました。トゥルペトラクという村です。

57歳のフアン・ディエゴは朝早く起きて、毎週土曜日そして主日には、トラテロルコ(Tlatelolco)というフランシスコ会の教会に行って、ミサに与り公教要理を与っていました。それが習慣でした。今日も土曜日ですから、トラテロルコの教会に朝早く起きて、寒かったので、ティルマというマントを羽織ってフランシスコ会の教会まで行きます。これは首都のテノチトラン(Tenochtitlan)の郊外にあって、自分の家からだいたい18キロメートルぐらいの距離にあります。ですから4時間以上は歩いていかなければなりません。

さて朝早くでかけたフアン・ディエゴですけども、三時間ぐらい歩くと、ちょうどテペヤクという丘にたどりつきます。そしてこのテペヤクの丘のふもとに着くと、もうすでに夜は明けていました。

これから話をするのは、フアン・ディエゴが亡くなる前に、アントニオ・バレリーノ(Antonio Valeriano (1520–1605))というラテン語やスペイン語そしてナワトル語(フアン・ディエゴが話していた言葉)をよく知っている人が記録に残したもの(ニカン・モポワ Nican Mopohua)で、その一番古い写本(16世紀のもの)は、ニューヨーク図書館(New York Public Library)にあります。そのニカン・モポワという古文書にもとづいた話を、これからお知らせします。

フアン・ディエゴが、テペヤクの丘に近づくと、その丘の上から美しいたくさんの小鳥の声が歌声のように聞こえてきます。メキシコに行くと今でもたくさんのいろいろな鳥が飛んでいますけれども、それらの鳥に勝る美しい歌声が聴こえてきます。そこでフアン・ディエゴは立ち止って、辺りを見まわして、
「いったい、今聞いているのは、わたしが聴くにはふさわしいんだろうか。ただ夢を見ているだけなんだろうか? いったいわたしはどこにいるのだろうか。これは昔の人たちが語った、花咲く地、この地上の天国なんだろうか?」
などと呟いています。

そして、ふもとからテペヤクの丘を見ると、鳥の歌声が止み、自分の名前が呼ばれるのが聞こえます。
「わたしのいとしい子フアンちゃん、わたしの愛する息子フアン・ディエゴちゃん」。
と呼ぶのです。

そこでフアン・ディエゴは、そちらの方へ行ってみようと思います。何の疑いもためらいもなく、恐れもなく、とても幸せな気分でいっぱいでした。呼ばれた所に行ってみると、丘を登ってみると、そこには若い美しい女性が立っていて、そして“こちらのほうにおいで!”という合図をします。そしてこの方の前に行くと、あまりにも高貴な方で、あまりにも美しい方で、その美しさにみとれます。

ホアン・ディエゴの描写によると、その衣は太陽のように燦然と輝いていた、きらきらと輝いてそしてその輝きによって足もとの石や小石でさえも美しく輝いていた、とあります。そしてこの方は最も美しい宝石――たとえばアホルカ(ajorca)よりももっと美しくひかり輝いていて、そして周りにあった草・木でさえも――サボテンや薊(あざみ)の棘でさえも宝石のように、葉っぱはトパーズの様に、あるいは棘は金のように輝いていて――とても美しい姿を見せていました。

するとその姿を見て、フアン・ディエゴは跪いてひれ伏していると、その方はお声をかけられます。愛に満ちて、そしてフアン・ディエゴを惹きつけて、フアン・ディエゴをとても大切に思っているということがよく分かる声でした。
「よくお聞きなさい、わたしの子どもの中で一番小さなフアンよ。どこへ行くのですか?」
するとフアン・ディエゴはいいます。
「あぁ、私のとても大切な方、愛する娘よ。わたしは、メキシコのトラティロルコにいるあなたの家に行きます。そして、主の代理者である神父様たちが教えて下さったように、天主の教えを守るに行きます。」
というと、マリア様は、この方は、こうおっしゃるのです。
「では、よく知りなさい、わたしの一番小さな子よ。わたしは、完全な終生童貞聖マリアです。まことの天主の母、つまり、そのお方を通して人々が生きている天主、人間の創造主、近くに有るものと遠くにあるものを所有して、天と地の所有者である天主、その御母です。ここに私の聖なる小さな家(Teocalli)を建ててほしいと熱烈に望んでいます。ここで人々に彼・・・つまり天主イエズス・キリスト・・・を示して、彼を高めて、彼を明らかにいたしましょう。」

マリア様は言葉を続けてこう言います。
「ここでこの場所で、わたしはこの聖堂で、わたしは、わたしのすべての愛と、わたしの憐れみのまなざしと、わたしの助け、わたしの救いとともに、彼を人々に、天主を人々に、与えましょう。なぜかというと、わたしは、ほんとうにあなたがたの憐れみ深い母、あなたたちの母であるから、この地に一致して住む全ての人々の母、全人類の母、わたしを愛し、わたしに叫び、わたしを探し求め、わたしに信頼を置く人々の母だからです。そこでこの聖堂で、わたしは、彼らの嘆きや悲しみをよく聞きます。彼らの全てのさまざまな痛みや惨めさや悲しさを癒します。そして彼らの苦しみを治し、軽くしましょう。わたしの同情・わたしの憐れみに満ちた眼差しが求めていることが実現するように、メキシコの司教様のところに行き、わたしが深く願っていることを伝えなさい。つまり、司教さまがわたしのために家を準備すること、司教さまがこの平地にわたしの聖堂を建てることを望んでいると、そしてそれを知らせるためにわたしがあなたを派遣したと、司教様に言いなさい。あなたが見たこと、感動したこと、聞いたこと、すべてを司教様に話しなさい。わたしはあなたに感謝して、それに報いると確信しなさい。わたしはあなたを豊かにして、栄光を与えます。あなたの苦労・あなたの奉仕、またその骨折りに対して充分に報いましょう。愛しい子よ、あなたはわたしの声を聞きました。さあ、行って、できることをすべて果たしてください。」

すると、フアン・ディエゴはその御前にひれ伏して、
「わかりました、いまから司教様に会いに行きます。」
と言って、司教様に会いに行きました。

でも司教様は…その司教様は第一代の司教さまでフアン・デ・スマラガと言うのですけれども…聖フランシスコ修道会の司教様でしたが…司教様は、フアン・ディエゴの話をフンフンと聞いたものの、信じようとはしませんでした。そしてがっかりして家に向かうと、すでに日は暮れていました。

でも、このマリア様の言葉をよく黙想すると、マリア様のことを尊重するというのは実は「マリア様は御子をわたしたちに示したい。御子をわたしたちに与えたい。ただそれだけだ。」ということがわかります。またマリア様の聖堂を建てるというのは、「そのマリア様の聖堂で、マリア様はわたしたちの母として、わたしたちを慰めたい。癒したい。悲しみを取り除きたい。苦しみを失くしたい。母として子供を助けたい。」という母心に満ちていることがわかります。親心子知らずとはいいますけれども、わたしたちの想像を超える母の愛が滲み出ていることが、わかります。そしてマリア様は「その聖堂を建てることについて十分な特別な御恵みと報いを与える」と約束しておられます。

家に帰る途中…がっかりして四時間の道を戻るのですけれども…途中でテペヤクの丘のふもとを通ると、マリア様がお現われになります。二回目です。

すると、がっかりしたフアン・ディエゴを見ていたマリア様が「どうしたのか」というと、フアン・ディゴは「ダメだったんです。わたしではなくて他の方を送ってください。お願いします。」と説明します。

するとマリア様は、フアン・ディエゴにこう言います。
「よく聴きなさい。わたしの子どものなかでもっとも小さなかわいい子よ、もちろんわたしの願いを成し遂げてくれる僕(しもべ)はたくさんいます。でも、あなたが!あなたがやることを望んでいます。だから、あなたにお願いします!」

天主の御母が言うんです。
「お願いします!わたしの子どもの中でもっとも小さなものよ!明日もう一度行って、司教に会ってください。わたしからだともう一度言ってください。わたしの望みを伝えてください。わたしの教会を建てるために!さあ、永遠の童貞女マリア・天主の御母があなたを遣わした、と彼に言いなさい。」
と言うのです。

【1531年12月10日主日】
はい!と言ってフアン・ディエゴは家に帰って、そして翌日の主日、まずトラティロルコの教会でミサに与って、そしてミサの出席をチェックして、それから、そのあとで司教様に会いに行きます。でも、司教様は、なかなか会ってくれようとしません。

「お願いします」と面会をお願いすると、ついに会ってくれるんですけれども、司教さまはいろいろなことを質問します。「どうだったのか、どこであったのか、どんな姿だったのか」と詳しく尋ねます。いろいろ説明したのちに「その話だけでは、納得いかない。別なしるしが、証拠が必要だ。」というんです。

そこでフアン・ディエゴを家に帰らせます。フアン・ディエゴは「またダメだった…でもマリア様に会ったら、この“しるしが欲しい”ということを伝えよう」と思いながら家に帰ります。

フアン・ディエゴが家に帰るのを見ると、司教様は僕(しもべ)を送って「後を付けろ」と言います。僕(しもべ)たちがフアン・ディエゴの後をついて――1時間ほどでテペヤクのところに着くのですけれども――そのテペヤクのところでフアン・ディエゴの姿を見失ってしまいます。すると彼らは非常に怒って「これは嘘つきだ。隠れたんだ」と文句を言って「もしももう一度あいつがやってきたら罰してあげよう」と言います。そして司教様のもとに戻ります。

ところで、フアン・ディゴがテペヤクのところにいくと、マリア様がもう一度フアン・ディエゴを待っていて、フアン・ディエゴに聞きます、「どうだった?」と。三回目です。
そして、フアン・ディエゴから司教様がしるしを欲しがっているということを聞くと、
「よろしい!我が息子よ、明日ここに戻りなさい。そして求められたしるしを司教様にもっていきなさい。そうしたらあなたを信じるでしょう。これでもう迷ったり疑ったりしないでしょう。私に対する心遣い、苦労、骨折りにすべてわたしは報います。さあ、明日、待っています。」

【1531年12月11日月曜日】
翌日12月10日、月曜日、フアン・ディエゴは本当はマリア様のもとに行かなければならなかったのですけれども、実は主日に家に帰ると一緒に住んでいた伯父さんが、フアン・ベルナルディーノが、非常に重い病気にかかっていました。その当時有名だった伝染病です。一晩中看病して、そしてその翌日の月曜日もマリア様との約束を果たすことができずに、伯父さんの看病をします。

しかし伯父さんはますます苦しみ、もう死ぬばかりです。もう自分は死ぬしかない、死ぬ時が迫っているとはっきりとわかっていました。もう二度と起き上がれない。治る見込みもない。もう駄目だ。そこで伯父さんはフアン・ディエゴに言います。
「神父様を呼んでほしい。終油の秘跡と告解の秘跡を受けたい。明日行って、神父様を呼んで来てほしい。」

【1531年12月12日火曜日】
そこで、12月12日、火曜日、まだ暗いうちに、フアン・ディエゴは起きて、家を出て、トラティロルコにいる神父様のところに行きます。四時間の歩きです。三時間ほど行くとテペヤクの丘が見えます。「あっ、まずい。ここにいるとまたマリア様に会ってしまう。呼び止められてしまう。でも神父様を急いで呼ばなければならないので…」といって遠回りをします。

テペヤクの丘を避けて別の道を通るのですけれども、マリア様が丘の上からフアン・ディエゴが通るのを見ていたんです。そしてフアン・ディエゴが遠回りをするのを見ると丘から降りて来て、
「フアン・ディエゴ、どうしたの? わたしの子どもよ。どこに行くのですか? 」
と、聞くのです。
フアン・ディエゴは非常に狼狽(うろた)えて、お茶を濁します。
「あぁ、お元気ですか。良いお目覚めですか? お体の調子はいかがですか? 」
というのですけれども、そのあとで説明します。
「実は伯父さんが死なんばかりで、いまから神父様をお呼びして、終油の秘蹟をお願いします。今あなたの家に急いでいるんです。ですからちょっと待ってください。嘘は申しません。また戻って来ます。明日戻って来ます。」

すると、マリア様はこうおっしゃるのです。
「わたしの子どもの中で最も小さなものよ。よーく聞いて心に留めてください。何も恐れ、悩むことはありません。心を乱したりしてはなりません。病や、痛み、苦しみも怖れてはなりません。あなたのお母さんがここにいるではないですか? あなたは私の保護のもとにいるではないですか。わたしの覆いの中にいるではないですか。わたしはあなたの喜びの泉ではないですか? あなたはわたしのマントにくるまれて、私の腕の中にいるではないのですか? このうえいったい何が必要なのですか?
何もあなたを悩ませたり、心を乱したりしてはいけません。伯父さんの病気のことで悲しんだり、うちひしがれたりしないようにしてください。この病気で死ぬことはありません。良くなっています。」

そのマリア様がそのおっしゃったとき、同じマリア様は同じ姿で、伯父さんのフアン・ベルナルディーノに現われて、その病を一瞬のうちに癒してくださいました。

そのテペヤクのふもとで、そのマリア様の声を聴いていたフアン・ディエゴは、それを信じます。
そして、マリア様の言葉を聴き続けます。
「さあ、わたしの愛する小さな子よ、テペヤクの頂きに登りなさい。この前会ったところに行きなさい。するといろんな花が咲いています。それを摘んで集めてひとまとめにして、ここに降りてきなさい。そして、わたしの前にそれを運んで来なさい。」

その通りにします。メキシコの乾燥された冬、本当はアザミとか茨とかがせいぜいあるばかりで、花などあるはずもありません。季節でもありません。しかし、フアン・ディエゴはそれを信じて登りますと、驚くことにたくさんの花がきれいに咲いていて、そして良い香りが漂っています。

それをマリア様がおっしゃる通り摘んで、ティルマというマントに入れて、マリア様のもとに行くと、マリア様はそれを綺麗に並べて「さあ司教様のところに持って行くように」といいました。「これが証です。すべて正確に司教様に言いなさい。」

そしてこの花を司教様のところに持って行くのですけれども、司教様はなかなか会おうとしてくれません。召使いたちは、このフアン・ディエゴを見つけて苛めようとします。わざと会せないようにします。しかしずっと耐え忍んでいたフアン・ディエゴを、ついに司教様は、きっとしるしを持って来たんだろうと理解して、来て入るようにと言います。

ついに面会を許されたフアン・ディエゴは、司教様の前にすべてを説明します。そして、これがしるしですと言って、司教さまの前に花をテイルマを出すと、花は特にスペインのカスティーヤの薔薇の花などがたくさんあってとても良い香りが司教様の周りに漂います。まだ摘みたてのとても新鮮な花です。

すると、見る見るうちに司教様の前でそのフアン・ディエゴの着ていたティルマに、マリア様の御姿が映しだされたんです。この姿を見て、そしてこの薔薇の花を見て、司教様は跪いて「ほんとうにこれこそ本物だ!」と信じて、そして今ではそのフアン・ディエゴの会ったテペヤクの平地にマリア様の大聖堂が建って、そしてそこに今でもフアン・ディエゴのティルマに映されたマリア様の絵が額に入れられて飾られています。

【ティルマ】
実は、フアン・ディエゴの着ていたティルマはいま化学で分析をすることができて、それはアガベというサボテンの一種の繊維から出来た粗末な布なんですけれども、だいたい十年着ればボロボロになってしまいます。大切に大切にすれば、三十年持つかもしれません。しかしフアン・ディエゴのそのティルマはいまでも、五百年経った今でも、そのままあります。色は褪せることはありません。そのコピーは、そのマリア様のその通りに写した油性あるいは他のコピーは、黒くなったり劣化して修復しなければなりません。オリジナルは、そのまま、あたかも今日できたかのように、そのままの色を保っています。

【その後のメキシコの回心】
このマリア様の御出現があってから、十年の間に一千万人が洗礼を受けました。教会上の歴史の中でこれほど多くの人があっという間に洗礼を受けて回心したという例はありませんでした。いまでも十二月十二日になると、何百万人という方が巡礼に集まります。何日もかけてグァダルーペのテペヤクの丘まで歩いて行きます。

マリア様は、わたしたちにこう呼びかけています。

「あなたのお母さんであるわたしが、ここにいるではありませんか。あなたはわたしの保護のもとにいるではありませんか。腕の中にいるではありませんか。何も心配することがありません。なにも恐れることはありません。わたしがあなたを守っています。いつも喜んでいなさい」と。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。