聖木曜日の説教(2025年、大宮)

弟子たちの足を洗うイエズス
聖木曜日の説教(2025年、大宮)
2025年4月17日 ブノワ・ワリエ神父
聖木曜日の説教
親愛なる兄弟の皆さま、
今晩、教会は何をお祝いするのでしょうか。私たちの主の最後の晩餐、そして主のご受難の始まりです。
この日、イエズスはモーゼの律法(出エジプト記12章)の条件に従って、弟子たちとともに過ぎ越しの小羊を食べられ、弟子たちの足を洗われ、真の天主の小羊として、パンとぶどう酒の外観の下に、ご自分の御体と御血を弟子たちに与えられ、彼らの霊的な糧とされました。ご自分を記念して弟子たちにも同じことをするように命じることによって、ミサの聖なるいけにえと司祭職を確立されたのです。(ですから、キリストのいけにえが今、使徒の後継者たちによって、世界中で毎日、血を流さない形で再現されているのです。)
最後の晩餐の後、イエズスは弟子たちに、互いに愛し合い、御自分と御父が一つであるのと同じように、一つになるようにと諭されました。そして、ご自分の受難が近づいていることに備えて、慰め主を送るとの約束によって、弟子たちを強められました。弟子たちのために祈られた後、オリーブ山に行かれ、苦悶の中で血の汗を流されました。間もなくユダに裏切られ、ユダヤ人たちに捕らえられ、まずアンナのもとに、次いでカヤファのもとに連れて行かれ、衆議所によって死刑を宣告され、中庭でペトロに否認されました。
ですから、この日は、教会がこれまで儀式によって示してきたように、喜びと悲しみの日なのです。悲しみとは、キリストのご受難ですが、喜びとは、清い心で私たちのうちに無限の愛を受け、それによって、教会が、ベルの音とともに「グローリア・イン・エクセルシス・デオ」で宣言する喜びを完成させるようにという招きなのです。
結論
親愛なる兄弟の皆さま、
今晩、私たちは、どのような心構えでいなければなりませんか
私たちは、1.私たちの主のご受難という出来事について、信心をもって熱心に黙想し、祭壇の聖なる秘跡と司祭職を制定してくださった主に、感謝しなければなりません。2.主が使徒たちの足を清められたように、私たちの心を清めてくださるように願いながら、聖体拝領で主をふさわしく受ける準備をしなければなりません。3.最後に、私たちは互いに足を洗い合うことを、すなわち、たとえ非常に不快に思えることであっても、愛徳を実践することを決意しなければなりません。
この聖なる三日間、悲しみの御母マリアとともに、私たちが黙想を続けることができますように。アーメン。