聖霊降臨の主日の説教(大宮)

聖霊降臨
聖霊降臨の主日の説教(大宮)
2025年6月8日 ロドルフォ・ヴィエイラ神父
聖霊降臨の主日の説教
第1部 三つの重要な祝日
私たちはカトリック信者です。カトリック信者には、典礼暦年に記された三つの重要な祝日があります。それは、降誕祭、復活祭、そして聖霊降臨です。
降誕祭では、人となられた天主である、私たちの主イエズス・キリストの御降誕を祝います。復活祭では、聖金曜日に十字架につけられた主が、主日に復活され、命を取り戻されたことを祝います。
そして本日、私たちは三番目の大きな祝日である聖霊降臨を祝います。
復活祭から四十日後、私たちが信経で宣言するように、イエズスは天に昇られ、父なる天主の右に座されます。主は御昇天の前に、聖霊を送ると約束されました。そしてその約束は、御昇天から十日後、御復活から五十日目に、まさに実現しました。
聖霊降臨を表す「ペンテコステ」という言葉は、ギリシャ語に由来するもので、「ペンテーコステー・ヘーメラ(πεντηκοστὴ ἡμέρα)」、すなわち「五十日目」という意味です。そしてそれは、私たちが今日祝っていること、すなわち、高間の部屋に集まって祈っていた使徒たちと聖母の上に、聖霊が降臨された日のことです。
私たちの主はその部屋で、ミサと司祭職という秘跡を制定されました。
この出来事は、外的な規則だけでなく、聖霊の内的な現存によっても導かれる教会が、目に見える形で誕生したことを示しています。
第2部 旧約との対比
聖霊降臨の重要性を完全に理解するために、旧約を振り返りましょう。
紀元前約1800年、十二部族の父祖であり、イスラエルとも呼ばれたヤコブという人がいました。彼の子孫は、大飢饉のときにエジプトに移住し、やがて奴隷とされました。約400年の後、天主は民を解放するために、モーゼを召し出されました。奇跡的なしるしと疫病によって、ファラオはついに説得させられて、天主の与える地に行くことを民に許しました。民は奇跡的に紅海を渡り、奴隷状態から解放されました。
民がエジプトを出発したユダヤの過越祭から五十日後、天主はシナイ山でモーゼに十戒を授けられました。
新約においても、同様の不思議な出来事があります。御復活から五十日後、イエズスは聖霊を送られます。使徒たちは聖母とともに、霊的な黙想会のように集まって祈っていました。すると、使徒行録にあるように、その出来事が起こったのです。
「突然、天から激しい風が吹いてくるような音が聞こえて、彼らの座っていた家に満ち、火のような舌が現れ、分かれておのおのの上にとどまった。すると、彼らはみな聖霊に満たされ、霊の言わせるままに、いろいろの国の言葉で話し始めた」。
この聖霊降臨の瞬間は、教会の公的な使命の始まりを示しています。聖霊に満たされた使徒たちは、恐れを克服して、私たちの主イエズスから聞いたことや見たことを、大胆に宣べ伝えました。その日だけで三千人が回心しました。
モーゼが律法を受けてイスラエルを導いたように、使徒たちは聖霊を受けて教会を導きました。どちらの出来事も、五十日目、ペンテコステの日に起きたのです。
第3部 聖霊と掟
しかし、このすべては、現代の私たちにとって、どのような意味があるのでしょうか。
私たちの主イエズスは、これ以上ないほどに、はっきりと言われました。「私を愛するなら、私の掟を守れ」。
また、こうも言われました。「私の言葉を守る者なら、父もその人を愛される。そして私たちはその人のところに行って、そこに住む」。単純です。
言い換えれば、外的な行為以上のものです。天主は、私たちの内的な忠実さを望んでおられるのです。天主が私たちに求めておられるのは、愛から掟を守ることです。恐れや習慣、人間的な動機からではなく、私たちの霊魂を変容させ、私たちを天に上げてくれる真の超自然の愛によって掟を守ることなのです。
これが、聖霊が私たちの内で行われることです。聖霊は私たちに、人間の力を超えた超自然の愛で天主を愛する恩寵を、成聖の恩寵によって天主の御旨を行う恩寵を与えてくださいます。
聖霊降臨の場におられた聖母以上に、私たちを助けてくださるのにふさわしいお方がいるでしょうか。聖母は、祈り、従順、強さにおいて私たちの模範です。この聖霊降臨の聖なる日に、私たちのために取り次いでくださるよう、聖母に願いましょう。洗礼の時に受け、堅振の時にはさらに深く受け、愛徳の行いのたびに受けた聖霊に、私たちも満たされますように。それによって、私たちが、至聖なる三位一体への愛をもって、また心を天に向けて、忠実にカトリック信仰を生きることができますように。