希望の徳

ソース: FSSPX Japan

2025年5月29日(木)   御昇天の祝日

トマス 小野田圭志神父説教  日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)

 

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は主の御昇天の祝日です。

弟子たちが見ている前で、主イエズス・キリストは天にのぼっていかれます。弟子たちは天を見つめています。私たちもまなざしと心を天に、天国の福楽に、天主にあげましょう。

聖パウロも言います。「上のことを求めよ。キリストはそこで、天主の右に座しておられる。あなたたちは、地上のことではなく、上のことを慕え」(コロサイ3:)と。またこうも言います、「私たちの国籍は天にある」(フィ320)と。

ロザリオの栄えの第二玄義でも主の昇天を黙想しつつ「天国の福楽を深く望む心をこい願わん」といいます。これこそが希望の徳です。

しかし、一部の弟子たちは、主の御昇天の直前でも、そのことが分かりませんでした。何故かというと、彼らはこう言ったからです。「主よ、あなたが、イスラエルのために国を再興されるのは、このころですか?」 つまり弟子たちは、この地上のこと、地上の楽園を考えていました。

でも希望の徳というのは、天国、つまり「終りなき命」、私たちの究極の目的を希望することです。わたしたちがクレドで歌うその終わりが、そうです。「終わりなき命を信じ奉る」。

ですから望徳唱(ぼうとくしょう)ではこう祈ります。「恵みの源(みなもと)なる天主、 主は約束を違(たが)えざる御者(おんもの)にましますが故に、 救世主イエズス・キリストの御功徳(おんくどく)によりて、 その御約束(おんやくそく)の如く、われに終りなき命と、 これを得(う)べき聖寵(せいちょう)とを、必ず与え給わんことを望み奉る。」

希望の徳は、超自然の徳です。なぜかというとこの希望の徳によって、地上のものや被造物を希望するのではないからです。超自然の天主と、そして天主を得るために必要な聖寵の助けを希望します。ですから希望の徳というのは、信仰と愛徳とともに、天主を直接の対象とします。ですから、対神徳と言っています。

私たち人間は、絶対で永遠で無限の善を楽しむためにこの地上に生れて来ました、創造されました。わたしたちは、天主とともに、天主の至福を喜ぶために、天主だけのために、この地上に生まれてきました。ですから、天主以外のなにものをも、私たちを満足させることはできません。それ以外のものは、どんなに素晴らしいと思っていたとしても、ついには飽きてしまい、つまらなくなって、またもういやになってしまうからです。これでは足りない、もっともっと、と思うようになるからです。

聖アウグスチヌスも「告白」の中でこう書いています。引用します。

「実に、人間の霊魂は、御身に向かわない限り、どちらに向いても、他のどこにおいても、悲しみに釘付けにされるだけです。例え美しいものにおいてにせよ、御身から出るものでないならば、無でありましょう。必ずしもすべてのものが老いるわけではないけれど、すべてのものは滅びます。」deus virtutum, converte nos et ostende faciem tuam, et salvi erimus. nam quoquoversum se verterit anima hominis, ad dolores figitur alibi praeterquam in te, tametsi figitur in pulchris extra te et extra se. quae tamen nulla essent, nisi essent abs te. ... et non omnia senescunt, et omnia intereunt.

そしてさらにこの有名な言葉を書いています。

「御身は私たちを御身へと創りましたから、私たちの心は、御身において憩うまで、安らぎがないのです。」quia fecisti nos ad te et inquietum est cor nostrum donec requiescat in te.

聖アウグスチヌスからの引用を終わります。

まさに、これこそが私たちの心です。天主から創られた心です。私たちは、天主以外のものを探し求める限り、安らぎがありません。

残念ながら、私たちは日常の生活でこの超自然の希望の徳はしばしば忘れられています。何故かというと、ほとんど常に、この地上のこと、人のうわさとか、人から何と思われるかとか、自分の思い通りのことをしようしようと探し求めているからです。私たちの心に安らぎが無いのは、天国の福楽を深く望むというよりは、つまり、天主ではなく地上の福楽を深く望んでいるからです。

でも超自然の希望の徳は、私たちに天主を希望させてくれます。まさに今日の御昇天はわたしたちに超自然の希望を与えてくれます。聖パウロはこう言います。「今の時の苦しみは、私たちにおいて現れるであろう光栄とは比較にならないと思う」(ローマ8:18)と。

また最後にマリア様にお祈りいたしましょう。マリア様には私たちがこの希望の徳をしっかりと得るようお祈りしてくださいますように、このミサで願いましょう。ルルドのマリア様は聖ベルナデッタにこうも言いました。「私はこの世での幸せは約束しません。しかし、来世での幸せを約束します。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。