大天使の聖母への言葉を黙想し、主イエズスのご謙遜の神秘を賛美する

ソース: FSSPX Japan

2024年10月6日 聖霊降臨後第二十主日 聖なる日本の殉教者聖堂(大宮) 説教

トマス小野田圭志神父
 

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、十月はロザリオの月ですから、一緒にロザリオの玄義を黙想いたしましょう。

ロザリオでは「めでたし、聖寵みちみてるマリア」と天使祝詞を繰り返しお祈りします。

これは、実は、天使たちが、わたしたちの救霊に非常に多くの役割を果たしているということを表しています。

大天使聖ガブリエルが、天主さまの代理者として、また人類を代表するマリアさまに告げる言葉をわたしたちはロザリオでいつも繰り返して祈ります。

何と言ったでしょうか。天使がマリアさまに告げたこのお言葉のなかに、わたしたちの救霊の核心が、またロザリオの玄義の核心が、すべて種として含まれています。

つまり何と言ったかというと、「天主の御子が――つまり天主御父とまったく等しい永遠の無限の栄光に満ちているお方が――私たちを愛するがために!人間となられる、ちっぽけな人間となられる!」という、ものすごい神秘をわたしたちに伝えてくれます。

ですから、今日はこの天使の言葉を一緒に黙想しながら、わたしたちもロザリオの祈りを唱えながら、イエズス・キリストのために、主に倣って、わたしたちも謙遜となる恵みをこい求めましょう。

それでロザリオの祈りを祈りながら、人間の本当の偉大さとはいったい何なのか、また主の精神、真理に満ちた主の精神というのはいったい何なのか、いったい何を求めておられるのか、ということを理解する恵みを請い求めましょう。

【1:喜びの玄義:天主の御言葉のご謙遜】
まず第一は、天主のご謙遜です。これは喜びの玄義に通じています。

聖ルカの聖福音によるとこうあります。「大天使ガブリエルは、(…)マリアという童貞女のもとに、天主からつかわされた。天使はマリアのところに来て「あなたに挨拶します、恩寵にみちたお方!主はあなたとともにおいでになります。(…)あなたはみごもって子を生むでしょう。その子をイエズスと名づけなさい。(…)」」(ルカ1:26-31)といわれます。

考えてもみてください。全能の天主の御独り子が人間となる、これは無限の御方が無に等しいものになるということと同じです。

確かにマリアさまの御体は、聖霊によって非常によく準備され、聖徳によって飾られ、罪の汚れが全くない清い聖なるお方、御聖櫃のような方です。この地上のどんな至聖所よりも、どんなに聖なる場所よりも、さらに聖なる完璧に聖なるお方の御体です。それにしてもマリアさまの御体は被造物です。ですから創造主の全能の天主の崇高な御稜威をいれるにはふさわしくないと言わなければなりません。なぜかというと無限の隔たりがあるからです。

それにもかかわらず、イエズス様は、天主の御言葉は、このマリアさまの胎内に小さなちっぽけなちっぽけな弱々しい胎児となることをお望みになりました。それを選ばれました。これは主の深いご謙遜をあらわしていなくていったい何でしょうか。イエズス様は私たちに謙遜の模範を示しています。私たちも主に倣って、謙遜になるようにお望みなのです。イエズス・キリストの弟子という名誉あるタイトルをいただくためには、主の模範にならわなければなりません。

イエズス様もこうおっしゃいました。「私は、心の柔和な、謙遜な者であるから、私のくびきをとってならいなさい」(マテオ11:29)と。

【2:苦しみの玄義:イエズスの偉大さ】
次に、天使はマリアさまにこうも言います。「あなたはみごもって子を生むでしょう。(…)それは偉大な方で、いと高きものの子といわれます」。

これは、苦しみの玄義を表しているかのようです。マリアさまがお生みになる子どもは、「偉大な方となるだろう hic erit magnus」と天使は言います。これはどういう意味でしょうか。

なぜかというと、わたしたちはイエズスさまの生涯をよく知っているからです。イエズス様は、誰も知らないようなところで、極貧のうちに馬小屋でお生まれになりました。しかも生まれた当時すぐに王様から命を狙われて、外国に逃亡します。そしてようやく故郷に帰ってきたとしても、人知れず三十年間肉体労働をして、そして最後には極悪人であるかのように十字架の上に磔になって処罰されて、息を引き取ることになります。

「偉大な方となる」と・・・人間の目から見ると、この預言とこの実現は、大きな差があるように思えます。

でも、偉大ということは何なのでしょうか?私たちの普通の言い方では、偉大な人というのは、より多くの人々に、普通のやり方をとはさらに超えて、もっと大きな善を施して、より多くの善のために貢献することが、偉大な方だといっているのではないでしょうか。

ですから、天主の目から見ると、イエズス様はまさに偉大な方です。なぜかというと、「永遠の命の回復」という「全人類に超自然の命を与えるという大事業」を成し遂げる方だからです。

罪の不従順によって天主の栄光は粉々に破壊されました。イエズス様は従順によって、これを完璧に回復させます。そして、全人類のすべての罪を豊かに贖いました。そしてイエズス様は、わたしたちのためにすべての人々のために、罪と死と地獄とに打ち勝ちます。

何と偉大な方でしょうか。これはどうやってなさったかというと、清貧を耐え忍ぶことによって、苦しみを堪忍して受けることによって、また屈辱をそのまま受けとることによって、この偉大な事業のために道具として使いました。イエズス様は、すべて天主御父のみ旨を果たすために、自分のやりたい放題ではなく、主のみ旨こそがなされるようにして、そして自分の栄光をすべて犠牲(ぎせい)にして犠牲(いけにえ)にして そして御父のために従順でした。これは苦しみの玄義です。

イエズス様は、私たちも偉大であるように、偉大な者となるようにお望みです。何故ならば、イエズス様は、わたしたちが主の模範に倣うように、私たちが主の弟子となるように望んでいるからです。わたしたちの偉大さも、イエズスさまの偉大さと同じところにあります。つまり、わたしたちがイエズス様の愛のために自己愛に打ち勝って、この世の辛いことや苦しいことを雄々しく耐え忍んで、そしてイエズス様に倣うことです。イエズス様が私たちに送ってくださる十字架を受け取って、イエズスさまのように考えて、イエズス様のように判断して、イエズス様のように行う者となるようにしなさいと招いておられます。そして、そうするとき、イエズスさまと同じ栄光、同じ偉大さをわたしたちも受け取ることができます。

天使はさらにいいます。「この子は、いと高きものの子といわれるでしょう Filius Altissimi vocabitur」と。

もちろんイエズス様はいと高き者です。いと高き者の御子です。天主御父の御一人子です。本性によって、永遠の昔から、天主御父とまったく同じく全能、まったく同じ無限に完全なる方、永遠に至福に満ちた方、です。しかし、わたしたちを愛するがために、ただ単にひたすらに愛するがために、すべての侮辱と貧しさと苦しみを受け入れて、そして、私たちを愛するがあまり、わたしたちに御自分の幸せを与えるがために、十字架の死さえも受け入れました。

ですから、イエズス様は私たちをも、「いと高きものの子ども」となることをお望みです。つまり、天主の養子となることをお望みです。そのために、イエズス様は、わたしたちも主への愛のために主イエズスを愛するがために十字架を受け入れて本当に天主の子となる、という栄光を受けるようにお望みです。つまり言いかえると、苦しみの玄義こそが、栄えの玄義へと私たちを導いているということです。

【3:栄えの玄義:イエズスの御国】
では最後に第三の点ですが、天使はイエズス様の御国について話します。「また、かれは、主なる天主によって父ダヴィドの王座を与えられ、永遠にヤコブの家をおさめ、その国は終わることがありません」。

イエズス様は、愛によって私たちを統治することを、欲しています。もちろんイエズス様は、全能の天主として全被造物の上に主権を持っています。今日の福音を見てください。「おまえの子どもは生きている!」と言えば、熱だろうがどんな病気だろうが、あっという間に回復します。全宇宙はイエズスの命令に従っています。しかし、イエズス様は、私たち人間には、愛の御国を確立しようと望んでおられます。愛による支配を望んでおられます。つまり、私たちが天主をお愛し申し上げて、そして天主に従って天主に栄光を帰すならば、私たちは救われて永遠の幸せに入ります。そして私たちが救われるならば、私たちは天主に栄光を帰すことになります。天主の御国の栄光と私たちの救いというのは、分かちがたく離れないように結びついています。これが栄えの玄義です。

イエズス様は、十字架によって主の愛の御国を拡張するようにお望みで、わたしたちにこの御国に来るように招いています。この世の戦争では敵軍の兵士の血が流されて敵軍の兵士の命が奪われることによって、もしかしたら自国の勝利が得られるかもしれません。しかし、イエズス様の戦い方は違います。イエズス様は罪と悪とに対する戦いにおいては、ご自分が愛によって血潮を流されて、そしてご自分の死を受けることによって、そして復活によって勝利し、そして愛の御国を確立しました。この御国にわたしたちが招かれています。この御国はけっして終わることがありません。

では、一体どうしてこのようなことが可能なのでしょうか?確かにわたしたちはイエズス様の弟子となりたい、イエズス様の愛する子どもとなりたい…でもわたしたちはイエズス様に倣って謙遜になるにはどうもあまりにも傲慢であるし、イエズス様に倣って主のみ旨に従うにはいつも自己愛に満ちているし、罪に満ちている…どうしたらよいのだろうか。

天使は、すでにわたしたちの疑問にも答えています。「聖霊があなたにくだり、いと高きものの力のかげがあなたをおおうのです。(…)天主には、おできにならないことはありません」。

もちろん、マリアさまに聖霊が与えられたことと わたしたちに聖霊の助けが与えられることの程度は、天と地の差があるかも知れませんが、「天主にはおできにならないことはありません」…これは全く同じです。ロザリオの祈りによって、わたしたちはイエズス様の望みをかなえることができます。

【4:遷善の決心】
では最後に選善の決心をたてましょう。聖パウロは今日の書簡でこう言っています。「今の時は、悪い」と。「思慮のないものではなくて、天主のみ旨が何であるかを理解するものとなれ」と。「知恵のある者として時を贖いつつ歩め」といいます。

今現在この世界を見ると、あるいはカトリック教会を見ると、世界は、教会は、信仰の危機において苦しんでいます。

聖ピオ十世教皇様はすでに指摘していました、教会の敵は教会の内部にいると。すでにマリアさまは、ルルドで、ファチマで、そしてまた、この日本の秋田で、全世界に向けて、わたしたちにどうしたらよいかを教えています。

ロザリオを祈るようにと。

「ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」。秋田のマリアさまの言葉です。

ですから、今日、特に現代において、ロザリオを唱える決心を立てましょう。

そしてロザリオをよく黙想しながら、イエズス・キリストの精神、ご謙遜の精神、そして本当の偉大さ、イエズス・キリストの求めている永遠の御国に到達することができるように、マリアさまにお祈りいたしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。