マリア様の汚れなき御心の呼びかけ

2025年秋田巡礼 聖伝の荘厳ミサ
2025年5月3日(初土) 聖母の汚れなき御心の随意ミサ
アンドリュー・クランショー神父説教 同時通訳トマス小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる神父様、そして巡礼者の皆様、
今日は5月の初土曜日です。
非常に意味のある時、意味のある場所におります。
5月13日、ファチマでマリア様は私たちに呼びかけました。
初土に信心をするようにと。
そして、私たちが今ここに集っているのは、その呼びかけに応えるためでした。非常に摂理的です。
ファチマでマリア様がおっしゃったのは、汚れなき御心の呼びかけでした。秋田でも同じく汚れなき御心の呼びかけでした。
そして、私たちはこの汚れなき御心の呼びかけに応えて、秋田に、ここにいます。
ファチマでは、マリア様は御心を私たちに開いてくださいました。秋田でも同じです。心を開くということは、二つのことを表しています、意味します。
一つは、私たちの計り知れない愛を示すということです。
それと同時に、私たちはとても傷つきやすいところを見せるということです。
したがって、ファチマでもマリア様でも、全世界に向けて私たちに愛を示すと同時に、御自分の傷つきやすい部分を、非常に敏感な部分を示しておられます。
なぜそうかというと、なぜ敏感かというと、もしも私たちがマリア様の呼びかけに応えなかったとしたら、天主が私たちにくださる最後の希望を、私たちがもはや使い尽くしてしまった、ということであるからです。もうこれ以上、他に望みがないということを意味するからです。
マリア様の御心を開くことには二つの意味がありましたが、マリア様が御心を開くことによって、三つの告知を、三つの警告をしています。
一つは、大きな天罰があるだろうということです。
第二には、マリア様は私たちに希望を与えます。
この天罰を避けるか、あるいはそれを弱める手段を私たちに与えてくれるからです。
第三に、マリア様は御自分を提供します。御自分を与えます。
私たちの救いとして、あるいは、私たちの天罰における保護として、あるいは天国に行くための道として、マリア様は御自分を与えます。
では、マリア様が私たちにくださった二番目の手段とはなんでしょうか?
それは、カトリック教会が私たちに提供する手段であって、非常にカトリック的なものです。
一つは祈り、第二は痛悔、償い、そして秋田では特に、第三番目に清貧を挙げています。
マリア様は私たちに呼びかけます。
非常に簡単な祈りをするように、そして、非常にカトリック的な信心をするように。
非常にカトリック的な祈りというのは、ロザリオのことです。
非常にカトリック的な信心というのは、ミサ聖祭のことです。
マリア様は、私たちがイエズス様の聖心を慰めるように、そして、マリア様の汚れなき御心を慰めるようにと呼び求めておられます。
どうすることによって慰めるかというと、祈りと償いと清貧によって、またロザリオの祈り、そしてミサに対する信心を行うことによって慰めることを求めて、呼びかけておられます。
非常に聖伝のカトリックに適った呼びかけであり、そしてこれをすることによって、私たちはイエズスの聖心とマリア様の汚れなき御心を慰めることができるのです。
マリア様の最後の呼びかけは、シスター・ルチアと、シスター・アグネス笹川を通して私たちに与えられましたが、それは教会の位階制度のために祈る、教皇様、司教、また司祭たちのために祈るということです。
私たちが、ちょうど今コンクラーベの時期に秋田にいるということは、どれほど御摂理的なことでしょうか。
この巡礼の日々、また秋田の聖地を訪問するその時に、特にコンクラーベのためにお祈りしましょう。
聖霊が強く働きますように。また、教皇様を選ぶ枢機卿様たちが、聖霊のインスピレーションに従順に従いますように。
そして、良い教皇様を選ぶ主の道具となることができますように。お祈りいたしましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。