子供たちを良く育てるためには

ソース: FSSPX Japan

2026年1月18日  御公現後第2主日

トマス 小野田圭志神父説教  聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)聖フランシスコ・ザベリオ巡回聖堂(名古屋)           

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

親愛なる兄弟の皆様、

今日の福音では、私たちの主が最初に行われた奇跡について読みました。イエズス様は、聖ヨゼフやマリア様と共に30年間の家庭生活を送られた後、ガリラヤのカナの婚姻の席において、水をぶどう酒に変える奇跡を行われました。

私たちは、良い婚姻と家庭生活のためにいったい何をすべきか、特に子供を良く育てるための秘密と秘訣について一緒に黙想いたしましょう。

【1:カナの婚宴】

新約時代において、主は模範をもって婚姻と家族生活の大切さをお示しになり、婚姻の絆を秘跡の尊厳にまで高められました。

カナの婚姻で結ばれたこの夫婦は、どれほど恵まれた幸せな夫婦でしょうか!

何故ならば、家庭生活の始まりである婚姻の時から、イエズス様とマリア様が、この夫婦と共におられたからです。この夫婦は、私たちにとってとても良い模範ではないでしょうか?

夫婦が共に歩み始める最初の時から、その生活の中心に私たちの主イエズス・キリストがおられなければなりません。何故ならば、夫婦が婚姻の秘跡で結ばれるのは、天主の祭壇の御前であるからです。そして、夫婦を分かちがたく結びつけるのは天主御自身です。イエズス様もおっしゃいました。

「人は、天主がお合わせになったものを離してはならない」(マテオ196節)

私たちは、主が始められたものを、主と共にずっと続けていかなければなりません。

ところで、婚姻の宴席には必ずぶどう酒が必要でしたし、おそらくぶどう酒をお飲みにならなかったマリア様も、それはご存知だったでしょう。これと同じように、婚姻の主要な目的は、子供の出産と教育です。男女が結婚する際に、もしもこの目的が無かったとしたら、それはもはや結婚とは言い難いほどに重大な目的です。

主が、最初の奇跡で水をぶどう酒に変化させてくださったように、主は、新約の婚姻の秘跡において生まれてきた子供たちを、洗礼の秘跡を通して超自然の命に変化させることを望んでおられます。私たち人間は、自然的には人(アダム)の子にして罪人ですが、洗礼の秘跡の聖寵によって天主の子供・養子となり、そして「永遠の命の候補者」(テルトゥリアン)となります。そのため、主の制定された婚姻の秘跡の目的は、子供の出産だけではなく、良い養育と教育が含まれます。

それでは、天主から委ねられた宝である子供たちを、私たちはどのように教育し、育てていく必要があるのでしょうか?

【2:子供の養育】

子供の養育・教育は、肉体と霊魂どちらにも関わることです。ですから、単に子供に食べ物を与え、服を着せ、文字書きを教えるだけではなく、霊魂を聖なるものとすることにも関わっています。キリスト教の夫婦には、子供たちを究極の目的である永遠の生命へと手引きして導くことが任されています。

この世に宿る命は皆、例外なく天主から深く愛され、天主が望まれたからこそ生を受けました。全ての子供は、イエズス様の御血によって等しく贖われ、秘跡を通して聖寵の命と主の祝福を受け、ついにこの地上での生活を終えた後には、天主と同じ至福の命に入るために生まれてきました。子供は父母のペットではなく、主から与えられ、委ねられた宝物です。ですから、父母の大切な役割とは、聖寵の働きに協力し、その御助けと共に、天主の御計画に答えるよう子供を育てることです。この世に授かる全ての子供たちが永遠の命へと招かれていますし、中でもカトリックの家庭に生まれた子供たちは、特別な御恵みによってより易しく天国に入るようにと招かれています。父母には、子供の養育という、誰にも代わりをすることができない、かけがえのない役割が天主によって委託されているのです。

教皇ピオ十二世は、1941115日、若い夫婦のグループに訓話を通して次のように教えました。

【ちょうどノエの箱船に入らなかった全ての人々は、洪水で滅んでしまったのと同じく】天主の通常のやり方(御摂理)は、教会の外においては永遠の救いに達することができないということである(救われるためには、どうしても教会にはいらなければならない)。それと同じように、天主がお望みの通常のやり方は、婚姻の秘跡で結ばれた父母が、自分に与えられた父母の役割を果たし、その家庭生活において、子供たちがキリスト教的な生活を送り、育っていくということである。

つまり、天主は父母の協力を求めておられるということです。

教皇レオ十三世も、1880年に Arcanum divinae sapientiaeという回勅で次のように話されました。

「婚姻の一致の最も高貴で最も崇高な目的は、人類の繁殖だけではなく、教会に「聖徒たち(聖なる人たち)の同市民(天国の市民)、天主の家族」(エフェゾ219)を与えることである。つまり「真の天主であり、私たちの救い主であるイエズス・キリストを礼拝するための民が生まれ、これを育くむ」(ローマ公教要理第8章)ことである」と。

ですから、教会はいつも私たちに教えてきました。夫婦の子供に対する最初の使命は、子供が生まれたら洗礼の秘跡を授けて、子供を超自然の命にまで導くことであると。そのため、教会法はこのように規定しています。

「子供たちはすぐに quamprimum 洗礼を授けられなければならない」(CIC 1917, can. 770

次いで、夫婦生活の中心にはいつも主イエズス・キリストがおられるようにしなければならないことを教えています。ある司教様(フランスのアラスの司教Mgr Eugene Julien, Lettre pastrale, 1918)は、家庭生活を次のように描写しています。

生まれた子供たちにイエズス・キリストについて教える最初の先生(教師)は、お父さんとお母さんです。また、子供が眠るゆりかごは、子供の最初のチャペルであり、お母さんの胸と膝は、子供の最初の跪き台です。子供はそこでイエズス様について学び、お祈りを始めます。子供は、お父さんとお母さんの祈りを真似て祈り始めます、と。

【3:父母の権威】

では、子供たちが超自然の命に導かれた後、次に大切なことはなんでしょうか?

それは、このように特別な使命を受けたお父さんとお母さんに、天主が与えた特別な権威です。

自然の秩序においては、家庭の父親に全ての権威の原型があります。政治や学問、教師が持つ権威を始め、その他いろいろな全ての権威の源は、家庭の父親を原型としています。何故かというと、父親の権威は、天主御父の権威に由来しているからです。聖パウロはこう言っています。

「私は、主イエズス・キリストの父のみまえに跪こう、この父から、天と地とのすべての家族が起こった」

Flecto genua mea ad Patrem Domini nostri Iesu Christi, ex quo omnis paternitas in caelo et in terra nominatur. (エフェゾ314-15

お父さんだけではなく、もちろんお母さんも子供たちに対して権威を持っており、お父さんとお母さんの二人において、一つの同じ権威があります。ですから、お父さんとお母さんは、子供たちに対していつも同じことを教え、教育していかなければなりません。

権威を乱用することは悪ですが、権威それ自体は天主に由来する神聖な善です。しかし、今ある世界の秩序や私たちの社会を破壊しようとする革命思想は「権威」を敵であると見なし、権威こそが自由を阻む邪魔ものであるとしています。ですから、社会を破壊するために革命を遂行しようとする革命家たち、つまり、自身が天主に代わり、黙示録の時代をつくろうとする人々は、究極的に父親の権威を失墜させようと、あの手この手を使って努力しています。そうして生まれた考えの一つを自由主義思想(リベラリズム)と言い、権威を放棄させようと世界中で宣伝されています。

リベラリズムによれば、自由であることが強調され、子供が義務を持っているというよりは「権利がある」と主張します。その宣伝文句は「自分のやりたいことをやる」「自由な人生を送る」「自己実現をする」といった、私たちを傲慢にさせるような内容です。これら宣伝文句の影響を受けて、お父さんもお母さんも、子供に徳(たとえば、従順・忍耐・愛徳など)を身につけさせるために、自分に委ねられた権威もって教えることを、時に躊躇し、または放棄してしまっています。

このリベラリズムの思想にしたがって子供を叱らない、子供につらい思いをさせない、好きなようにさせる、といったことが良い教育であると考えるお父さんやお母さんが多くなってしまいました。あるいは、子供を自分の弟か妹のように考え、または、自分と同等な同僚であるかのように取り扱い、そのような人間関係を「教育」と呼び、誤解している人々もいます。

しかしよく考えてみると、主から委ねられた権威を行使しないということは、子供たちに対する責任を放棄することです。そうすることによって、子供たちは犠牲者となってしまいます。何故かというと、自由主義の教育の影響を受ける子供たちは、たとえ大人になっても、ほんの少しの苦しみを耐えることさえ難しくなってしまうからです。つらいことがあると、どうしたら良いのかわからないという、子供のような幼い大人が出来上がってしまいます。

そして、子供は経験も知識もなく、恩も知りませんから、そのような子供が甘やかされ、やりたい放題に育てられてしまうと、自分を「王様」や「偶像」のように考え、そのようになってしまう危険もあります。そうなってしまうと、子供は親を敬わずに軽蔑し、従わず、自分の楽しみだけを追求しようとするでしょう。

また、現代は特に、子供たちはインターネットやその他のテクノロジーに多く触れる機会がありますが、自分はそれらを通して多くのことを知っており、両親よりも知識があると思い込んでしまうと、子供はますます思い上がってしまうかもしれません。

そのように育てられた子供は、将来大きくなると、自分の思い通りにするために自分の立場や力を悪用し、他の人々のための善は無視して、脅しや怒り、暴力や恐怖を用いて、人々を残酷に支配しようとする「暴君」になってしまうおそれがあります。

教皇ピオ十一世は、回勅 Divini illius Magistri (19291231)の中で、父母は天主から委ねられた権威を正しく使う義務があると教えています。以下に引用します。

「願わくは、両親と全ての教育者たちは、天主から彼らに委ねられた権威を正しくつかうように。彼らは、本当の意味で天主の代理者であるからだ。願わくは彼らが、自分たちに都合が良いからではなく、聖なる忠孝の念を持った天主への恐れにおいて子供たちを養成するために、権威を執行するように。何故なら、天主への恐れこそは、知恵の基礎(詩篇11010)であり、権威を尊重させる唯一の堅実な土台であるからで、もしも権威を敬うことがなければ、家族と社会の秩序も平穏さも、そして福祉も存続しえないからだ。」

お父さんとお母さんが、主から委ねられた権威を使うことは非常に大切です。これが主の御望みです。しかし、だからといって権威を乱用してはならず、お父さんとお母さんの命令は、正しく理性的で、怒りに任せたものであってはなりません。また、節度があり堅固なものであるべきです。つまり、子供が駄々をこねるからといって、子供に正しく言い聞かせたはずのことを無かったことにしてはいけません。

それと同時に、子供の性質は皆違っていることをよくわきまえ、子供一人ひとりのことをよく知り、理解していなければなりません。子供のやる気を失わせるような権威の使い方であっては困ります。聖ドン・ボスコは、子供に善を望ませて悪をきっぱり防ぐためには、子供たちへの「本物の愛と優しさ」が、お父さんとお母さんに必要だと言っています。

【4:遷善の決心】

では、最後に遷善の決心を立てましょう。

婚姻の秘跡は、夫婦が婚姻の目的を忠実に果たすことができるよう、そのために必要な全ての聖寵と御恵みを、結婚生活の全期間において豊かに与えて頂けることが約束されている特別な秘跡です。つまり、主は、婚姻の秘跡を通して生まれてきた子供たち全てを、聖人聖女として永遠の命へと導く教育をするために必要な御恵みを、お父さんとお母さんに全て与えると約束し、保障しています。これが婚姻の秘跡です。

婚姻の最初から、秘跡を通して、マリア様とイエズス様が家庭生活の中心におられるようにしましょう。すなわち、子供が生まれたら、洗礼を通してすぐにイエズス・キリストの超自然の命と知識へ導いてあげてください。そして、お父さんとお母さんは、子供の良い養育のため、主から委ねられた権威を子供のために正しく使ってください。そうしたら、主は、最高のぶどう酒のような子供たちに育て上げることができる御恵みを、きっとお父さんとお母さんにお与えくださることでしょう。

主が奇跡を起こすためには、お父さんとお母さんの協力が必要です。主はかつて「その石がめを水でいっぱいにしなさい」と言われました。イエズス様は、私たちに豊かな聖寵の御恵みを与えようとされますが、そのために私たちが協力し、その御恵みをお受けするために準備をすることを望んでおられます。ですから、しもべたちは、石がめの口まで水でいっぱいにしました。何のためらいも疑いもなく、ただ主の御命令の通りにすると、それら多くの水は全て最高級のワインに変わりました。私たちも、このしもべたちの姿勢に倣いましょう。

そして、婚姻の秘跡で結ばれたご夫婦、将来のお父さんとお母さん、どうぞ天主からの御恵みを信じて、贈られる全ての命を、拒むことなく受け入れてください。

私たちは、ぜひマリア様の方を向きましょう。イエズス様の最初の奇跡は、マリア様の執り成しによって行われました。ですから、マリア様が私たちの家庭の中心にいつもいてくださるようにと願い、マリア様にお祈りいたしましょう。そして、マリア様の特別な御取次によって、イエズス様が私たちの家庭を、最高のぶどう酒のような、素晴らしい聖家族にしてくださいますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。