子供が大人になる二つの大切な時期
2026年2月1日 七旬節の主日
トマス 小野田圭志神父説教 北海道(札幌)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆さま、
【今日のミサ】
今日、私たちの主は「天の国は、ぶどう畑ではたらく人をやとうために、朝早く出かける主人のようである。」とおっしゃっています。全てをご存じの主は、私たちにとって一番利益になるように、私たちの救霊に役立つやり方と時を選んで、私たちを聖徳に召し出してくださいます。主はいろいろなやり方でこの召し出しをしますが、たとえば、ニニヴェの人々は、預言者ヨナの声を通して回心の召し出しを受けました。ロヨラの聖イグナチオは、大人になり軍人だった時、戦争で負傷したことをきっかけに回心の召し出しを受け、聖徳へと進んでいきました。私たちも、一人一人が様々な時に聖徳やカトリック信仰に目覚めるよう招きを受けます。
【子供の成長】
ところで、善き天主は、通常カトリックのお父さんとお母さんを通して、子供たちを救霊と聖徳へ呼び出します。子供は様々な段階を経て大人になっていきます。主は、聖徳や信仰へ目覚めさせるよう、いろいろな時に子供たちへ働きかけますが、大人になる過程で、特別に注意すべき二つの時期があります。そこで今日は、この二つの時期に、お父さんとお母さんがどうやって子供たちを聖徳の道へと召し出すように守り、導いてあげるかということについて黙想いたしましょう。
では、この二つの大切な時期とはいったいいつでしょうか?
一つは思春期と呼ばれる、子供から青年へ、大人になろうとするその時。もう一つは、学校を卒業して大学に入る時、あるいは、社会人になって自由を得る時です。
お父さんとお母さんは、この二つの時期にどうしたらいいでしょうか? どのようにして、子供たちを聖徳へと導くべきでしょうか?
【思春期】
まず思春期。子供が大人(青年)になる時、子供たちは「もう自分は赤ちゃんではない」「もっと自由になりたい」「お父さんとお母さんの権威が重すぎる」と言わんばかりに、お父さんとお母さんに対して、従順の徳を行うのが難しくなる時期だと言われています。
子供のそのような新しい態度に、親によっては頑なになり、子供に荒々しく要求するだけという方々もいらっしゃいますが、その結果、状況はますます困難になってしまいます。
またはその反対に、子供の不当な要求の前にすぐさま折れてしまうか、あるいは緊張関係を避けるために、子供に全てお伺いを立てる方もおられます。
では、思春期に固有な難しい状況を解決するには、どのような態度をとったら良いのでしょうか?
そこで言われているのが、お父さんとお母さんは、副次的なこと、小さな問題には目をつむって、しかし、本質的に最も大切で一番必要なことを守り、得ることできるよう忍耐強くいることが必要だということです。
では、その最も必要で大切な点とは、いったい何でしょうか?
■貞潔
思春期にとって最も大切な点は「貞潔を守る」ことです。
子供たちは「自由が欲しい」と言うかもしれませんが、本当の自由とは、自分の思い通りに勝手にする放埓ではありません。本当の自由とは、悪い情念や悪い誘惑から自由になることです。そして、自分のなすべき義務を正しく行えることこそが、私たちの幸せです。しかし、残念ながら私たちは原罪を持って生まれてきました。そのため、私たち人間には「肉の欲、目の欲、生活のおごり」(1ヨハネ2:16)などがあり、私たちの理性はくらまされてしまっています。
ですから、思春期とは、貞潔の徳を守るための戦いが始まる時です。青年たちは、早いうちから守られていないと、情念の奴隷になってしまう危険があります。そして、もしも最初から負けて奴隷になってしまうと、その奴隷状態から抜け出すのが非常に困難になり、悪習が型につき、こびりついて凝り固まってしまう危険があります。
では、貞潔とはなんでしょうか?
貞潔とは、生命の伝達のために本来あることを、それ以外では使わないということです。また、そのために心と体の純潔を守ることです。
では、貞潔とは否定的なことなのでしょうか?
確かに貞潔には、貞潔に反する悪い思い・考え・望みを避け、拒否するという否定的なことも含まれます。しかし、貞潔とは、掟にそうあるから・そう言われ命令されたから守るというよりは、むしろもっと肯定的なものです。貞潔とは、自分をイエズス様にお捧げして、情念という利己主義に打ち勝ちたい、私たちの心の潔さを保ちたいと望み、そのように心の童貞性を保つ結果、体も貞潔を守るのです。イエズス様のためにこそ守りたいというものです。ですから、貞潔とは、私たちの霊魂が寛大に、その理想に向かってますます霊的になっていく、そして肉体が霊魂によってますます支配され、より良く統治されていくという、むしろ肯定的なものだと言わなければなりません。
ですから、思春期を迎える男の子や女の子たちは、何かに反対し拒否するというよりは、もっと美しい善や、より美しいものを求めることであると理解しなければなりません。つまり、肉体のこと・物質的なことよりも、霊的なこと・精神的なことが支配するということです。ですから、たとえ結婚の前であっても、結婚生活の中でも、あるいは貞潔の誓願を立てるにしても、男女共に、情念に流され自分の思うまま勝手に行動するのではなく、高い理想を求めて、イエズス・キリストに自分自身をお捧げするのです。
この高い理想とイエズス・キリストへの愛のために、若い青少年たちは戦いを始めます。そしてこの戦いにおいて、青少年たちは、貞潔を傷つけるようなもの・壊してしまうようなものを避けて、自分の感覚を見張らなければなりません。昔からのことわざにも「君子危うきに近寄らず」とあります。
聖書にも「冒険好きな人はそこに落ちこむ qui amat periculum in illo peribit.」(シラの書3:26)とあります。そして、聖人たちも同じことを繰り返します。たとえば、サレジオの聖フランシスコは、不潔の危険は「癒すよりも逃げる方がよほど簡単である」(信心生活入門)と言っています。
一般的に、貞潔に反する危険や過失は、目や耳といった感覚から忍び寄ります。見たり聞いたり触れたりすることから、悪い考えや望み、貞潔に反する行いが入り込みます。ですから、心と感覚を警戒して制御することによって、肉体の衝動の機会を少なくさせなければなりません。
ですから、子供たちにとってお父さんとお母さんは非常に大切です。お父さんとお母さんは、子供たちに貞潔を教える最初の教師です。危険な本や雑誌、音楽や映画などを子供たちから遠ざけるのは、両親の責任です。不道徳で好ましくないものだけではなく、私たちの人生の本当の意味、本当の愛について、間違った考えを教えるようなもの、甘い幻想の中で生きるようにとそそのかすようなものにも気をつけなければなりません。また、悪い友だちにも気をつけるべきです。何故かというと、子供たちは悪い友だちからおかしなことを学んでくるからです。
■両親に対する信頼の雰囲気
思春期の大切な時に、お父さんとお母さんと子供たちの間で信頼関係が築かれていると、子供たちが困った時に心を開くことが容易になります。そして、悪い友だちではなく良い両親が子供たちに良い影響をおよぼすことを可能にします。
では、どうしたら親と子の信頼関係を保つことができるのでしょうか?
たとえば、一緒に家事を行ったり、お掃除をしたりなど、共におしゃべりをする時を作ることができます。あるいは、ご飯を食べた後にゆっくりして、時々色々なお話をすることができるかもしれません。子供にとって、お父さんとお母さんは自分のことをよく聴いてくれる、自分が大変な時にいつも寄り添ってくれるという信頼は、子供が両親との関係を保つのを容易にしてくれますし、たとえ不幸にして相互の関係が悪くなったとしても、子供が親の元に戻ってくる余地を残してくれます。
信頼するということは、権威を放棄することでもなければ、子供に対する注意深い世話や責任を持たないことでもなく、悪に対する警戒をしないということでもありません。
まだ幼い小さな子供たちは、お父さんとお母さんの言うことを自発的に何でも信じて従うかもしれません。しかし、大きくなって思春期を迎える頃には、青少年たちは、何が良いのか、何が正しいのかを認識し、憧れて選ぶようになります。たとえば「修道生活に惹かれている」と司祭に告白したある青年に、その司祭が「なぜ修道生活に憧れているのか」を尋ねると「それがとても素晴らしいことだし美しいことだから」と答えたそうです。ですから、青少年たちは小さな子供とは違い、善や美に憧れて自分で選ぶことができます。
両親と子供たちの信頼関係が薄くなりかけた時、両親はこの関係を信頼のおける第三者によって強めることができます。もしも、お父さんとお母さんが第三者としての司祭に相談することができるならば、また子供たちが、第三者としての司祭に相談することができるならば、子供たちはどれほど祝福されていることでしょうか。この敏感な時期に、子供たちが心を閉ざしてしまわないように、両親は子供たちに対して理解を示し、難しい特別な場合には、信頼のおける司祭に相談することが強く勧められています。
ある司教様はこう言っています。
「青年たちは、少年よりも、深いカトリックの宗教の知識とキリスト教生活の根付いた習慣とからの助けを必要としています。若い青年や若い女性が誤謬や悪の誘惑に出会った時、悪い情念に引きずられないように、準備と戦うための武装が必要です。信仰の知識を深めず、信仰を実践していないと、子供の頃に学んだ公教要理も初聖体の決心もすぐに忘れてしまうことでしょう。ここでも教会は心配する両親のために効果的な助け(司祭たちの援助)を提供します。…しかし、家族の生活それ自体にまさるものはありません。両親の注意深い警戒の代わりとなるものはありません。…特に私は両親が与える模範を強調します。忠実に祈ること、教会によく通うこと、天主の掟を遵守すること、秘跡に頻繁にあずかることなど、これらは子供たちを確信した熱心なキリスト者にし、子供たちを悪から守る最も効果ある手段です。」
【学校を卒業した後】
思春期を上手く通り越した子供たちは、第二の危険の時に遭遇します。それは、学校を卒業して大学へ進学したり、仕事に就いたりする時です。子供たちにとっては重大な時期です。今まであった学校の規則正しい生活や、お父さんとお母さんの世話と影響から距離的に離れ「好きなようにする」誘惑に直面しやすい時です。
このような時、良い司祭から霊的指導を受けることが非常に大切です。また、黙想会に参加することは大きな助けになります。さらに、良い信仰の友人と、堅固な良い友情を築くことができれば大きな幸せです。
霊的指導は、私たちがこの世の罠にかからないためには非常に必要です。多くの聖人たちは、口をそろえて霊的指導者の大切さを説いています。
黙想会も、特に若い青年たちには二年に一度ほど与ることが勧められています。何故ならば、現代世界のただ中で深い内的生活を送っていなければ聖寵の状態を保つことは極めて難しいからです。また、その内的生活を保つことは、いつも毎日のように永遠の真理を黙想していなければ不可能だからです。
また、教会で組織することができるような青少年の団体や活動も、青少年のためには非常に有益だと指摘されています。たとえば、キャンプで皆のために奉仕することを学び、利己主義に打ち勝つことを学ぶことができるからです。そうして、自分の利益のためではない、相手の善を思いやる好意的な愛を学びます。これを友情と呼びますが、子供たちが良い友人と本当の友情を築くことは、人生の中で本当にとても大切です。
【3:遷善の決心】
では、最後に遷善の決心を立てましょう。
結婚を通して、両親は夫であり父、妻であり母という特別な役割を担います。結婚生活の最初は、夫と妻という使命だけかもしれませんが、後には主の御摂理により父と母という使命を受けます。よくある危険で、男性にありがちなのは、職業生活に時間を注ぎ込んでしまうあまり、家庭生活を蔑ろにしてしまうことです。そして、父親として子供の成長に関心を払わないことです。女性にとっては、母という責任が大部分を占めてそれに追われ、妻としての務めが蔑ろになってしまうという危険です。結婚生活においては、夫であり父である、妻であり母であるというこの二重の役割のバランスを良く保たなければなりません。
カトリックのお父さんとお母さんには、崇高な使命が託されています。小さな赤ちゃんを、天主の至福に与るにふさわしい、立派な聖人に育て上げるということです。子供たちの将来だけではなく、家族の将来や祖国の将来もかかっていると言えるでしょう。
両親は、自分たちの祈りと犠牲と献身の報いとして、まじめで寛大な多くの青少年たちが育つのを見ることでしょう。また、今度は自分の子供たちが、聖なるカトリックの家庭を築き上げていく様を見ることでしょう。あるいは、天主のお恵みによって、自分の子供や孫たちが、司祭や修道者として奉献されるのを見ることは、なんという幸せでしょうか。このようなお父さんとお母さんには、素晴らしい永遠の報いが待っています。
今日、聖パウロは、お父さんとお母さんに励ましの言葉をかけているかのようです。
「賞を受けるために走れ。競技で戦う力士はみな、万事をひかえ慎む。彼らは朽ちる栄冠を受けるため[にそうするの]だが、私たちは朽ちない栄冠のためのためである。」
私たちの主もこう言われます。
「あなたたちも、私のぶどう畑に行け!」と。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。