主よ、我、御身を我が屋根の下に入れるに相応しき者にあらず、ただ一言のたまえば、我が霊魂は癒えん
2021年1月24日 御公現後第3主日
トマス小野田神父 メッセージ
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄妹姉妹の皆様、今日福音でイエズス様は、例外的な特別な事を二つなさいました。
まず一つは、いつもあるパターンは、何か頼まれると、それをただなさるだけですけれども、イエズス様は今回だけは、状況を告げられて、「じゃあ私がこうしてあげよう。私が行って、治してあげよう」と提案しました。
もうひとつは、イエズス様は百夫長の信仰を見て、感嘆しました、感心しました。そして褒めました。イエズス様はそういう事をする方ではありません。なぜ感嘆したかというと、びっくりしたのではなくて、この「私たちも同じように、イエズス様と同じように、この深い信仰を感嘆して、褒めるように、私たちもできれば真似するように」という事を、模範を見せようとしたからです。
では、この百夫長の信仰を、三つのポイントだけ簡単に見てみます。
まず一つは、百夫長はイエズス様に深い信頼を持っていたので、この「状況」を、「私のしもべが病気です」と言っただけでした。「さぁ、あなたはこれやって下さい、あれやって下さい」とは頼みませんでした。「私のしもべが病気で苦しんでいます」。それで終わりです。
するとイエズス様は、「じゃあ、行ってあげよう」と感動されます。胸を打たれます。
第二に、百夫長は、その「行って下さる」と言った時に、更に深い信仰を見せて、「いえ、主よ、わざわざ御足労下さる必要はありません。私の家に来るにはそれほどの価値はありません。それに相応しくありません。ただ、ここに居て一言仰って下さい。そうすればしもべは治ります。一言あなたが言うだけで、全能の御言葉で、ただ望むだけで良いのです。それをなさって下さい、それで結構です」。
それを見て、イエズス様は感嘆します。「素晴らしい信仰だ」と。
第三の点は、この百夫長はもちろん、軍人で自分の元に100人の兵士がいましたから、色々な問題もあった事でしょう。自分の事も問題があったかもしれません、もっと給料が上がれば良いな等と、もしかしたら。
でも百夫長はその事よりも、まず自分のしもべの事を、イエズス様に頼みました。愛の深い人でした。
ところで、この素晴らしいこの信仰の言葉は、ミサで使われます。御聖体拝領の直前で私たちは、三回繰り返して言います。
「主よ、我、御身を我が屋根の下に入れるに相応しき者にあらず。ただ一言のたまえば、我が霊魂は癒えん」と。
“Domine, non sum dignus, ut intres sub tectum meum:sed tautum dic verbo,et sanabitur anima mea."と三回。
これは公教会が、百夫長のその信仰に真似ようと思ったからです。イエズス様の言葉に従って、それを称讃して、それを取り入れたわけです。
ですから私たちは、ただ言葉だけでなく、その態度も真似る事にしましょう、御恵みによって。
百夫長のように、イエズス様は私たちの御霊魂の中に、「行こう」と仰って下さっています。「私を食せよ。私がお前の霊魂の中に入ろう」と、「肉体を以って入ろう」とされます。
その時に私たちは、それに相応しくないという事を告白致しましょう。ですから、より少なく、相応しくないようになりますように、お願い致しましょう。
そして深い信仰を持って下さい。御聖体は、本当の天主、真の天主、イエズス・キリストです。
天主ですからこの御聖体には何でもできます。全能の天主が、私たちの元にやって来られます。全世界の帝王、天皇陛下、どこかの国の大統領などをはるかに超える、全能の天主が、私たちに全ての御恵みを持ってやって来ます、「さあ」。
ですから、私の霊魂が癒されるように、私たちの罪から、罪への愛着が綺麗に立ち切れる事ができますように、浄められますように、そして心が愛で燃えますように、そして私たちの愛する人々、家族の方々と友人、職場の方々、あるいは全ての方々の為に、「あぁ、この方々も苦しんでいます。主よ、彼らも御覧下さい」と、お祈り致しましょう。
きっと、私たちの信仰に従って、イエズス様はあっという間に、瞬間的に、全てを癒して下さる事ができます。その信仰を持つ事ができますように、マリア様にお祈りしましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。