主の御受難についてよく知る御恵みを与えてください
2021年2月14日 五旬節の主日
トマス小野田神父 説教(聖母の汚れなき御心聖堂)
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は2021年2月14日、五旬節の主日です。
来る水曜日2月17日は灰の水曜日です。カトリック教会の掟によると、この日には大小斎を守らねばなりません。
今日は、四旬節によく入るために、カトリック教会の典礼の精神に従って福音を黙想しましょう。今日は聖ルカの第18章からの引用です。
主よ、御身の御受難についてよく知る御恵みを与えてください。御身が苦しみを受けることとは何だったのか、深く理解させてください。「主よ、見えるようにしてください」。
1:主の御受難の予告
私たちの主は、十二人の弟子をそばに呼んでご自分の秘密を語られます。
「見よ、私たちはイエルザレムに上る。人の子について、預言者たちを通して書かれたことは、みな成就するだろう」。
イエズス・キリストは、御受難を見る弟子たちのこころが動揺するだろうことをご存知でした。そこで、前々から御自分が苦しみを受けること、復活の栄光についてを告げられます。ただし一般の群衆にではなく、選ばれた十二人の使徒たちだけにします。それは彼らが、受難のことを耐え忍ぶことができるように警告するためでした。
「人の子は異邦人にわたされ、あざけられ、むち打たれ、つばをかけられるだろう。そして彼らはむち打ったあと、彼を殺すだろう」。
預言者イザヤやダヴィド王は、すでに救い主の受難について詳しく預言していました。
次に主はこう付け加えて御復活を預言します。「それから3日目に彼はよみがえるだろう」。3日たった後ではなく、3日目に、つまり第3日目に、と言われます。実際、イエズス・キリストはこの言葉通り3日目によみがえりました。
しかし「弟子たちには、これらのことがなにひとつとしてわからなかった」とあります。主のことばは、かれらに隠されており、かれらには言われていたことを理解していなかったのです。
何故だったのでしょうか?弟子たちはイエズスが聖なる人間のみならず、天主ご自身だと知っていたので、天主が死ぬことはあり得ない、と思っていたのでしょう。もしかしたら主が「たとえ」のこと、別の意味のことを話していたと思っていたかもしれません。
ところがキリストを殺害しようと狙っていた人々は、受難のことを理解しています。「私は地上からあげられて、すべての人を、私のもとに引きよせる」とおおせられて、ご自分がどんな死に方をするかをお示しになると、人々は、「私たちは、律法によって、キリストは永遠に生きていると聞いていたのに、あなたはどうして、人の子があげられるとおっしゃるのですか?」(ヨハネ12章)と言っているからです。
弟子たちには御受難と復活の神秘の意味がわからなかったので、主はすぐに奇跡によって彼らの信仰を強めようとします。めくらの乞食(マルコによればティメオの子のバルティメオという名前でした)は、私たちの主に憐みを乞い求めます。主が何が欲しいのかと尋ねると、この乞食はお金ではなく、光が欲しい、「見えるようにしてください」と頼みます。イエズスは彼の目に光を与えます。
2:主は私たちにも予告される
私たちの主イエズス・キリストは、今年の五旬節の主日にも、ご自分が愛する私たちをそばに呼んで四旬節から始まるご自分の受難についての神秘を語られます。
「人の子について、預言者たちを通して書かれたことは、みな成就するだろう。人の子は異邦人にわたされ、あざけられ、むち打たれ、つばをかけられるだろう。そしてむち打ったあと、彼を殺すだろう。それから3日目に彼はよみがえるだろう」。
ゲッセマネの園、エルサレムの道、カルワリオの丘で起こることを、主は今日、私たちに予告されています。
毎年、五旬節の主日に聞くこの言葉ですが、私たちはいつもこれを聞いた時その意味が分かっていたのでしょうか?
イエズス・キリストとは誰か?
イエズス・キリストとはどなたでしょうか?人間となった天主の御言葉、全知全能の創造主、全人類の運命もその生死も主の手中にあり、統率している方です。この絶対の天主が、裏切られ、あざけられ、侮辱され、むち打たれ、醜く汚されるなんて!
Quis credidit auditui nostro? 「一体だれが私たちの言うことを聞いて信じただろうか?」(イザヤ53:1)
何故イエズス・キリストは、御自分のもつ天主の本性を隠してじっとしておられるのでしょうか?何故天主の力を見せつけて敵どもを無に帰してしまわないのでしょうか?イエズスは、いつも柔和に、苦しみを喜んで受けようとされます。いつまでも慎みと優しさに満ち、憐みと清らかさで人々に接し続けるイエズス・キリスト!
主はいつもそうでした。柔和にして堪忍深く、苦しむ人があれば行って助けようとする方です!常に赦し、赦そうとする主イエズス・キリストは、私たちにとっての父親、私たちの兄弟、私たちの師匠、私たちの医者、天主と私たちとの仲介者、私たちの友、私たちの恩人、私たちの救い主、私たちの霊魂の浄配、私たちの糧、私たちの保護者、私たちの擁護者です。
私たちを愛するイエズス・キリストが苦しみを受けるという予告を、今日、私たちは聞きました。親兄弟の苦しみを聞くと、あるいは、大切な友の苦しみを知ると、大恩人の不幸を告げられると、私たちは普通、心を動かされ、悲しみを覚えます。
しかし今日、主の苦しみのことを聞いても、何故私たちの心は石のように冷たく乾ききっているのでしょうか?主の苦しみを思って、私たちはどうして無関心と無感覚でいられるのでしょうか?
主は「異邦人にわたされ、あざけられ、むち打たれ、つばをかけられ」る
私たちの主は「異邦人にわたされ」、唯一の所有物であった服さえも脱がされてしまいます。それは聖母が手作りで裁縫してくれた大切な服でした。
主は「あざけられ、むち打たれ、つばをかけられ」、説教や善行や奇跡などによって確立した主の名声や名誉さえも奪われてしまいます。イエズスよりもバラバが「いいね」と選ばれ、偽証人が立ち、公共の安寧を破壊する「反逆者」と訴えられます。
私たちの主は何をご覧になり何を聞かれたのでしょうか?死刑執行人らや周囲の人々の残酷な態度、裏切る使徒たち、悲しむ聖母を主はご覧になりました。耳では嘲りや偽りや憎しみの声を聞き、体全体では、鞭打ちや釘付けにされた手足の傷の痛みや、茨の冠やその他の拷問の苦しみを感じました。
五感全てで、頭から足先まで体全体で、主は苦しまれます。あまりにも変わり果ててしまう私たちの主イエズス・キリストのお姿を見てください。
苦しみの大海原に深く沈むイエズス・キリストが受けた非道な取り扱いを思うと、私たちが感じる不平や不満、落胆、期待外れ、私たちが受ける冷たい言葉や誤解や嫌味、疲れや寒さや空腹感など、いったい何でしょうか?
私の主イエズスが「あざけられ、侮辱され、つばをかけられ」たのに、弟子の私は人が何というかをいつも気にして、人からの噂や名誉と称賛を得ることばかり考えているのではないでしょうか?
主が苦しまれる理由
ではいったい何故私たちの主はここまで苦しまれるのでしょうか?主は、私たちの罪の償いのために、アダムから始まって世の最後の人間の罪までを全て償うために苦しまれます。
これほどまでの長い苦しい拷問を受けたのは、罪がどれほど醜い結果をもたらすかという真理を私たちに教えるため、天主の至聖なる御稜威がどれほど罪によって侵されるかを示すためでした。
さらに、私たちの霊魂を地獄の火から贖うためにどれほど高価な値を支払ったかを見せて、私たちの霊魂の値を教えるためでした。
そればかりでなく、主が私たちをどれほど愛しておられるかを示すためでもありました。主はこういわれます。「友人のために命をあたえる以上の大きな愛はない」(ヨハネ15:13)。イエズスは、私のために、私を愛するために全ての苦しみを受けました。御自分の愛の優しさの証拠を与えようとしたからでした。
また、私たちがたとえ罪を犯しても、どんな状況に陥っても私たちに限りない信頼を与えるためでした。主の御血は私たちのために復讐ではなく、憐みを叫んでいるからです。
さらには、私たちが主の英雄的な聖徳をまねることができるためでした。主はこう言います。「私がしたとおりあなたたちもするようにと、私は模範を示した」(ヨハネ13章)。「私は、心の柔和な、謙遜な者であるから、私のくびきをとってならいなさい」(マテオ11章)。厳しい試練を受けている時、私たちが忍耐、柔和、謙遜、主への委託、勇気、寛大さ、敵を赦し愛する心を養う学び舎は主の十字架のもとです。
3:祈りと遷善の決心
では、今日、主の御受難について聞いた私たちは、目の見えなかったあの乞食、ティメオの子のバルティメオのように主に祈りましょう。
ダヴィドの子イエズス、私をおあわれみください!主よ、御受難の意味をわからせてください!
主が、苦しもうと思った最も大きな理由は何でしょうか?
主が、全ての苦しみでもっとも苦しんだことは何でしょうか?
イエズスよ、御身の御受難は、私を愛してくださっている証拠であることを理解させてください!
御身がこれらの艱難を喜んで引き受けた私への愛の情熱をわからせてください!
御身にこれほどの苦痛を強いる原因となった私の罪の邪悪さと醜さを見ることができるようにしてください!
御身が天主の御血という高価な値を払った私の霊魂の貴重さ・大切さを理解させてください。
私のために十字架の苦しみさえもいとわなかったイエズス、御身に信頼いたします。私をお憐みください!ますます御身を愛するお恵みを与えてください!私にも十字架を愛させてください!
主よ、来る四旬節に、主の御受難の神秘をよく見る光が与えられ、その理解に基づいて、主を愛する生活をさせてください。主の愛を感じるのみならず、口先だけでなく、生活をもって主への愛を表すことができるようにさせてください。
私の力の限り、主を愛するために、主に栄光を帰すために、私の十字架と受ける侮辱をお捧げする恵みを与えてください。
この四旬節の間、イエズスの御血の功徳による告解の秘跡によくあずかることができるようにさせてください。イエズスの憐み深い愛を信じて、主の御血を浴びて、罪を赦され、心が浄められ、主の愛の神秘をよりよく理解できるようにさせてください。「心の清い者は幸いである、彼等は主を見るだろう」。
主の御受難の神秘について最もより簡単に、より深く入らせてください。真の十字架のいけにえの再現である聖伝のミサ聖祭によく与ることができるようにさせてください。
御身にここまでの苦しみを与える原因となった私の罪を心から深く痛悔する恵みを与えてください。
決心
イエズス・キリストはご自分の尊い御血を全てを私たちのために流されました。主はこの四旬節の間、私たちから何をお求めでしょうか?私たちは主に何をすることができるでしょうか?
どんなに卑しい務めでも、イエズス・キリストを愛するために、私の罪の償いのために、イエズスの苦しみと合わせておささげ致しましょう。
ルルドの聖母は私たちに「償い!償い!償い!」と言われました。ルルドの聖母、私たちのためにお祈りください。
禁教令の中、日本にいらして下さった、悲しみに満ちた聖母、親指の聖母、私たちのためにお祈りください。
そのとき、イエズスは、十二人の弟子をそばに呼んで彼らに仰せられた。「見よ、私たちはイエルザレムに上る。人の子について、預言者たちを通して書かれたことは、みな成就するだろう。人の子は異邦人にわたされ、あざけられ、むち打たれ、つばをかけられるだろう。そしてむち打ったあと、彼を殺すだろう。それから3日目に彼はよみがえるだろう」と。