主の御降誕の八日間内の主日の説教―感嘆(2024年、大宮)

ソース: FSSPX Japan

イエズスの奉献

主の御降誕の八日間内の主日の説教―感嘆(2024年、大宮)

2024年12月29日 ブノワ・ワリエ神父

主の御降誕の八日間内の主日の説教

「父と母は、幼子について言われたことに驚いた」(ルカ 2章33節)。

感嘆は驚きから生まれます。そして通常、驚きは無知から生まれます。(何も予期していなかったから驚くのです。)
すでに聞いたことのあることを言われたら、「はい、もう知っています。ありがとう」と言うでしょう。
聖母と聖ヨゼフは、幼子イエズスについて、飼い葉桶のところまでやって来た訪問者たちよりも、はるかによく知っておられました。なぜ福音書は、マリアとヨゼフが「驚いた」と述べているのでしょうか。
「父と母は、幼子について言われたことに驚いた」(ルカ 2章33節)。
マリアとヨゼフは、無関心な若者のような人ではありませんでした。
彼らは、イエズスについて喜んで聞き、イエズスについて喜んで黙想しておられました。
「マリアは、そのことをすべて心にとどめて、心の中で考え続けた」(ルカ 2章19節)。

彼らは、イエズスが
・この世(羊飼いたち、賢者たち、シメオンとアンナ)に姿を現され、明らかにされ、
・この世から隠され(天主はマリアのご胎内に隠れられ、姿を隠しておられなければなりませんでした)、
・この世に迫害された(エジプトへの逃避に関するシメオンの言葉)
ことに感嘆されたのです。

今日の入祭唱では、聖書のこの預言を聞きます。
「すべてが深い静寂のうちにあり、夜が真夜中に進んだとき、御身の全能のみ言葉が、御身の王座より下った」。

今日は観想の主日、私たちに、ご托身の神秘に驚嘆する時間を与えてくれる主日です。この入祭唱は、ご降誕の第三ミサの福音、つまり、主のご降誕の崇高な本質が含まれている、聖ヨハネ福音書の冒頭の繰り返しのようなものです。「初めにみ言葉があった。み言葉は天主とともにあった。み言葉は天主であった。…み言葉は肉体となって、われらの中に宿り給うた。…恩寵と真理に満ちておられた」。

親愛なる兄弟の皆さま、
マリアとヨゼフは、天主の知恵と素晴らしさに驚かれました。
同じように、私たちも(すべてを知っている)無関心な若者のようにではなく、(同じ話を何度も何度も聞くのが好きな)無垢な子どものように行動しましょう。今日の書簡はまさに、私たちが天主の養子であることを思い起させてくれます。
マリアとヨゼフ、そして聖ヨハネのように、観想する霊魂を持ちましょう。聖ヨハネは、この出来事から40年の後にも、私たちの主の説教と行動を非常によく覚えていました。彼は、聖心の上に頭を休ませていました…まさにそこで、私たちは、天主のすべての秘密を発見することでしょう。アーメン。