御言葉が人となることを欲した二つの動機

ソース: FSSPX Japan

は2023年10月7日  ロザリオの聖母の祝日

トマス 小野田圭志神父説教  聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は2023107日、ロザリオの聖母の祝日です。今日はロザリオの玄義を一緒に黙想いたしましょう。

喜びの玄義の第一玄義:聖母の御告げを黙想いたしましょう。

喜びの第一玄義は、イエズス・キリストの御托身です。御托身というのは、天主の御言葉である天主の御子が、御自身を聖母マリアさまに全くあずけ、托し(託し)て、人間になったという意味です。つまり、「天主の御ひとり子が、聖霊の御力によって、童貞聖マリアの清らかな御胎内で、人間の御体と御霊魂をおとりになったこと」を御托身と申します。【托身のことを中国語や韓国語では「降生」と言います。】

では天主の御言葉が人間となったその動機は一体何でしょうか。それは二つです。天主の御父の栄光と霊魂の救いでした。

大天使ガブリエルは、今からちょうど2023年前、人類のすべての歴史・全宇宙の創造の歴史のなかでもっとも重大な使命を受けてこの地上に送られました。それは天主の御言葉が人間となるという大事業のためでした。全ての天使たちを無から創造して、この目に見える大宇宙を造った、聖にして聖にして聖なる天主の御言葉、天主御父とまったく等しい天主の御子が、私たちと同じ人間となるそのために、大天使聖ガブリエルは遣わされました。

【御言葉が人となることを欲した二つの動機】

天主の御稜威は、人間の罪によって冒辱されました。また罪によって人間は天主から永遠に離れて、地獄に滅びるべきものになっていました。しかし御子は御父を愛して、御父に栄光を帰すことを欲されました。また、同時に御子は人間を極みなく愛して、滅びゆく人間たちを救おうと欲しました。そのためにこの二つの動機のために天主が人間となることを欲したのです。

私たちの毎日の生活も天主御父から送られた聖なる御旨です。天主の聖なる御意志です。私たちが出会う人々、日常の務め、これは偶然ではありません。み旨であるから私たちにそのようなことが起こっています。もしも私たちがイエズス・キリストと同じ意向で、つまり天主御父の栄光と霊魂の救いのためにイエズス・キリストと一致して日常の生活を過ごすならば、わたしたちは天主御父に栄光を帰すことができ、多くの霊魂たちを救うことができます。幼きイエズスの聖テレジアもカルメル会の修道院の中でそのような生活を送っていました。イエズス・キリストと一致して日常生活の御旨を愛をこめて捧げることによって、より大きな栄光を天主に帰して、修道院を離れることなく全世界中の霊魂たちの救いに大きな貢献をしました。

【御言葉はどのような犠牲を払っても二つの目的を達成しようとした】

御言葉はどのような犠牲を払ってもこの二つの目的を達成しようとしました。

大きな事業をするためには困難が伴います。それが大きければ大きいほどより大きなむずかしさがあります。それにもかかわらず、どれほど大きな犠牲を払おうとしたかによって その愛と熱意と意志の強さを私たちは見てとることができます。

天主御子は、御父を愛して、御父に栄光を帰す、また、人間を愛して、滅びゆく人間たちを救うというこの二つの目的のためにとてつもなく難しいことをなさいました。それは、天主でありながら人間となられたからです。天主の本性という無限のものを人間の本性という有限のものと一致させたからです。永遠が時間と結合する、ということを行ったからです。

さらには、人間の罪を償うために、私たち人間の生活を聖とするために、貧困のうちにお生まれになることを望まれました。私たちの日常生活のもっとも卑しく詰まらないように見えるそのような仕事や労働生活、あるいは私たちが受ける侮辱や軽蔑、不正や裏切りさえも、イエズス・キリストはそれを私たちのために天主御父のために喜んで甘んじ受けることを欲せられました。

私たちの毎日の生活も天主御父から送られた御旨です。御子が額に汗して一見つまらない仕事を御父の栄光のために私たちの霊魂の救いのために最高の愛をこめて完璧に行われたのですから、私たちはそれを感嘆して真似したく思います。ファチマのマリア様は、私たちの身分上の務めを犠牲として捧げることを私たちにお願いなさりました。犠牲を捧げる時には「イエズスよ、これは御身を愛するため、罪びとの回心のため、教皇聖下のため、また御身の御母にましましわれらの母なる聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うためです」と祈りなさい、と言われました。

【遷善の決心】

では最後に遷善の決心をとりましょう。ロザリオの祈りを毎日、特にこの10月は熱心に玄義を黙想しながら唱えて、そして私たちがイエズス様の意向に合わせて日々の生活を送ることができますように祈りましょう。

御言葉は人となってわれらのうちに住み給うた。

私たちの生活を聖化されました。そのイエズス様は天主御父への栄光を帰する意向と霊魂の救いのためにそれをなさったので、私たちもそれにならう恵みを請い求めましょう。