御受難の主日:十字架と聖人の御像にかけられる紫の布の三つの意味

ソース: FSSPX Japan

2026年3月22日  御受難の第一主日

トマス 小野田圭志神父説教  日本の聖なる殉教者聖堂(大宮) 

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は2026322日、御受難の第一主日です。

今日から、教会の中にある十字架と聖人の御像が紫の布で覆われます。

紫の布は、まず私たちの罪の象徴です。第二に旧約のエルサレムの神殿の幕の象徴でもあります。第三には私たちの罪の償いのために捧げた主の苦しみの象徴です。

紫の布について一緒に黙想して最後に遷善の決心をたてましょう。

【1:紫の布は私たちの罪の象徴】

御受難節に教会の中の十字架と聖像に紫の布を被せるのは古代からの習慣です。

四旬節は、復活祭の準備の期間で、私たち罪人にとって悔い改めの時です。公けの罪人は、四旬節の間、教会の内部に入ることを許されず、教会の外でミサに与っていました。ついに聖木曜日には償いの期間を終えて御聖体拝領が許されました。さらに求道者は、復活の徹夜祭に洗礼を受けます。

四旬節は、公けの罪人のためだけではありません。私たち全てのためです。私たちは全て罪人だからです。公けの罪人ではなくても、天主の御前では大きな罪人です。そこで、罪のために私たちが天国から遠ざかってしまった、諸聖人との交わりから遠ざかってしまった、ということを示すために、古代には四旬節には、十字架と御像だけでなく、至聖所と会衆の席の間さえも紫の布を覆いました。私たちの聖堂にも、至聖所と会衆の席を隔たる白いカーテンがありますが、これが紫になって引かれたと想像してみてください。

紫の垂れ幕によって、ミサや聖務日課の祈りなど内陣で行っていることは見えなくなってしまいます。これは私は聖なる天主に近づくにはふさわしくない、ということを示していました。

十字架像のベールについては、聖金曜日に取り払われました。聖像はまだベールが付けられたままです。聖金曜日に十字架のベールが取り払われ、主の十字架によって贖われるということを象徴で私たちに教えていました。

罪の象徴であるベールが取り除かれたのは、主が私たちのためになさった愛による十字架の死のおかげであること、私たちの霊魂の救いのために主は喜んで全ての苦しみと屈辱を甘んじて受けたことを教えるためです。また、私たちが償いをするのは、主イエズス・キリストの十字架によってであることをも教えます。

【2:聖金曜日にエルサレムの神殿の幕が裂けた】

歴史の事実としても、聖金曜日の午後三時に私たちの主が十字架で亡くなった時、大きな声を上げて「すべてはなしとげられた」といわれ、おん頭を垂れて息を引きとられ(ヨハネ19:)ました。その瞬間、エルサレムの神殿の幕が二つに裂けました。聖マテオはこう書いています。「イエズスは、ふたたび大声で叫んで、そして息を引き取られた。あたかもその時、神殿の幕は、上から下に二つに裂けた」(マテオ27:)。

神殿はカルワリオのすぐ近くで数百メートル離れたところにあり、その中心の「聖所」は聖なる場所でした。聖所には、一番奥に位置する最も聖なる部分がありそれを「至聖所」と言います。至聖所は天主の現存の象徴でした。ソロモン王が建てた神殿には(第一神殿の時には)、ここに「契約の櫃」がおかれていました。第一神殿は西暦前586年にナブコドノゾルによって破壊され、契約の櫃は山の中に隠されました。バビロン捕囚の後に神殿は再建され、さらにヘロデ大王によって神殿が拡張されました。ただしその時(第二神殿の時)、至聖所には「契約の櫃」はなく、至聖所はただの暗いからっぽの部屋に過ぎませんでした。

至聖所と聖所とを区別するためには、大きな厚い幕が垂れさがっていました。この幕も、天主と私たちとを分断する罪を象徴していました。罪のために、私たちは天主の至聖所に入ることはできず、天主を顔と顔を合わせてみまえることができなくなったからです。ただ大司祭だけが一年に一度だけ、至聖所に入り、そこにいけにえの血を振り撒くことができました。これは、キリストが大司祭として御受難の時に聖金曜日に十字架上で流された御血の前兆でした。

主は預言と前兆を全て成就して息を引き取ったその瞬間、神殿の至聖所の幕は上から下までスパンと真っ二つに避けたのです。つまり、キリストは御受難によって天主と人とを断絶させて罪を引き裂き、天主の至聖所を開かれたのです。これが今日の聖パウロの書簡の意味です。

「キリストは、将来の恵みの大司祭としてこられたのであって、人の手でつくられなかったもの、つまり世がつくったものではない、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、()自分自身の血をもって、ただ一度だけで永久に至聖所にはいり、永遠のあがないをなしとげられた。」

聖金曜日に、イエズス・キリストの御受難の典礼では、Ecce lignum crucis 十字架の木を見よ!と歌いながら、十字架を覆っている幕が取り外されます。私たちの主は、御受難によって天主と人間を切り離している罪を取り除くからです。

【3:イエズスは私たちの罪の償いのために苦しみを捧げ給う】

真の天主・真の人であるイエズス・キリストは御生涯の間、ご自分が真の天主であることをほとんど表しませんでした。あたかも人間の弱さというベールに隠しておられたのです。イエズスは私たちと同じく、御生涯の間、肉体的にも精神的にも苦しみ、悲しみ、苦悩されました。主の苦しみ・悲しみの究極の原因は私たちの罪です。しかし、私たちを愛するために、私たちの永遠の命のために、全てを受け入れました。

ゲッセマネの園を見ると、そのことがわかります。主はうれい悲しみにとらわれはじめ、「私の霊魂は、死なんばかりに悲しんでいる。あなたたちはここにいて、私といっしょに目をさましているように」とおおせられ、すこし進んでひれ伏し「私の父よ、できれば、このさかずきを、私からとり去ってください。しかし私の思うままではなく、み旨のままに!」とお祈りになりました。(マテオ26:)主は私たちにも同じ言葉を言われているかのようです。「私とともに目をさまして罪の償いのために祈れ」と。

十字架の道行きの時、エルサレムの婦人たちには主はこう言われます。「エルサレムの娘たちよ、私のためになくことはない。むしろあなたたちと、あなたたちの子らのために泣け」(ルカ23:)と。主は私たちにも同じ言葉を言われているかのようです。「私の受難のために泣く必要はない、これはおまえたちを愛するための犠牲だからだ。むしろ、私の受難の原因であるおまえたちの罪のために、真の天主、真の救い主を拒絶するエルサレムのために祈れ」と。

御受難節には、主を苦しませる私たちの罪を痛悔しなければなりません。もしも主の御受難がなければ、私たちは天国に行くことはできませんでした。主は言われます。「私のためになくことはない。むしろあなたたちと、あなたたちの子らのために泣け」と。

罪の邪悪さ――とくに恵みをうけたキリスト者の罪の醜さ――を完全に理解できるのは天主だけです。それでも主の御受難を見ると、罪がどれほど醜いかを垣間見させてくれます。十字架は罪のために天主の御子がどれほど引き裂かれたかを見せてくれるからです。十字架は、心からの痛悔、罪のために泣く恵みを与えてくれます。私たちを初心に立ち返らせ、洗礼の約束を思い出させてくれます。

復活の徹夜祭では私たちは洗礼の約束を更新し、徹夜祭の儀式を終えます。こうして復活祭のミサが始まると栄光唱のとき、全ての紫のベールは取り除かれます。これは全てのキリスト者は、イエズス・キリストと一致して捧げた償いによって、ついに諸聖人の通功、天国の交わりに入ることができるということを示しています。罪のために今まで、私たちには、聖人たち、マリアさまの御像でさえも隠されていたのですが、キリストが苦しみのうちに死去し復活し給い、死と罪に打ち勝ったとき、私たちに天の門が開かれたからです。私たちの主は十字架で、罪のベールを引き裂いてくださったのです。

【4:遷善の決心】

至聖所と会衆の間の大きなベールは時代の流れとともになくなってしまいましたが、十字架と御像を紫の布で覆うという習慣は、御受難節から始まるという形で残りました。このような典礼のしるしを通して、カトリック教会は御受難節は、四旬節の最後に来たこと、ますますこの世の精神から離脱しなければならないことを教えています。

福音をみると、聖母は、主の公生活の初めに最初の奇跡の時に姿を見せますが、その後は姿を消されます。しかし公生活の最後に、皆から捨てられてたった一人ぼっちになったイエズスのもとに現れます。

今週の水曜日(3月25日)はお告げの聖母の祝日ですし、今週の金曜日は、聖母の七つの悲しみの聖母、共同受難の聖母の祝日です。聖母は主とともに十字架の道行きをされました。十字架の足元にも最後までとどまりました。聖母はどれほどお苦しみになったことでしょうか!

聖母は御降誕の時幼子イエズスを胸に抱かれますが、聖金曜日には傷だらけで冷たくなった主を抱かれます。これほどの値を支払っても、主は私たちの霊魂を贖いたかったのです。私たちの霊魂は天主の御血の値で買い取られました。罪という紫の布を引きちぎるために、主は聖母とともに十字架の道行きの苦しみを捧げられました。聖母は私たちが主とともに自分の十字架を担ぎ、十字架の足元を離れない恵みを私たちのために取り次いでくださいます。

十字架の道行きには十四留があります。復活祭まで十四日が残っています。御受難節の間、私たちの生活の中で必要のない娯楽、世俗の精神と気晴らしを紫のベールで覆うように教会は招いています。また、娯楽の代わりに毎日でも十字架の道行きをするのはどうでしょうか?とくに聖母と共に道行きをするのはどうでしょうか。

また、復活の義務をよく果たすことができるように、この時期によく準備して悔悛の秘跡(告解の秘跡)を受けましょう。

今週の金曜日、聖母の七つの悲しみの聖母の祝日にはミサ聖祭に与るようになさってください。