御公現後第二主日の説教―カナの文字通りの解釈(2025年、大阪と名古屋)
カナの石がめ
御公現後第二主日の説教―カナの文字通りの解釈(2025年、大阪と名古屋)
2025年1月19日 ブノワ・ワリエ神父
カナの奇跡について
親愛なる兄弟の皆さま、
今日は、さきほど福音で聞いたように、カナの奇跡をお祝いしています。
聖ヨハネの福音書のこの箇所に深く入っていき、その文字通りの意味を理解しましょう。
聖書のあらゆる箇所には、文字通りの意味と霊的な意味があります。つまり、福音書の中の歴史に基づく箇所は、比喩的あるいは霊的に解釈することもできるのです。小さな例を挙げれば、私たちの主が死んだラザロに向かって、「ラザロ、墓から出てきなさい」と叫ばれ、そのあと使徒たちに対して「行け、彼を解け」と言われるところです。聖アウグスティヌスは、この歴史に基づく事実に、次のような解釈を与えています。「使徒たちに『行け、彼を解け』と言うことによって、私たちの主は、司祭たちに対して、悔悛の秘跡を通して成聖の恩寵の命を取り戻させることで、人を死の束縛から解放する力を与えられたのである」。このように、歴史に基づく箇所は、実際に起こったこととして文字通りに説明できますが、霊的な意味を含ませることもできるのです。
1.舞台の構図
今日は、霊的な意味は脇に置いて、カナの奇跡を文字通りに見てみるだけにしましょう。起こったことを正確に見ましょう。
舞台の構図についてはどのようなものでしょうか。
このエピソードは、私たちの主のご生涯の中で、いつ起こったのでしょうか。
それは、主の公生活のまさに始まりです。
・私たちの主は、ナザレトからヨルダン川に下られ、洗者聖ヨハネから洗礼を受けられました。
・そのあと、主は砂漠に行かれ、40日間断食されました。
・主は、最初の使徒たち、すなわちヨハネ、アンドレア、ペトロ、フィリッポ、ナタナエルを、そしておそらく大ヤコボも選ばれました(ですから、主は半数の使徒たちとともにおられるのです)。
・そのあと、主は、そこからカナへ引き返され、3日後にカナに到着された、と聖ヨハネは語っています。
・主は、40日間の断食でやせ衰えて、肌は太陽で黒くなっておられました。
・主は、2カ月会っておられなかった聖母に会われ(ナザレトを出発してから約2カ月がたっていました)、6人の弟子たちとともに聖母の前においでになりました。
・聖ヨハネは、イエズスがカナに到着されたとき、マリアはすでにそこにおられた、と語っています。これはつまり、聖母がナザレトとカナを隔てる8キロの道のりをすでに旅しておられたということです。
2.事実
では、聖ヨハネが語ったこのエピソードについての事実を見てみましょう。
何が言えるでしょうか。これらの事実が誇張されることなく、非常に冷静に語られていることを除けばです。
まず、ぶどう酒がなくなろうとしています。これは、驚くことではありませんでした。婚礼の宴は数日、一週間に及ぶことさえあり、さらに、私たちの主や使徒たちの到着が、ぶどう酒の不足に一役買っていたのかもしれません。
童貞聖マリアは、良き母親のように、状況を注意して見ておられましたから、ぶどう酒がもうないことに気づかれます。聖母はどうされるでしょうか。私たちの主に警告されるのです。
私たちの主の反応は。主は、童貞聖マリアを試されます。「婦人よ、そは、われとなんじとに何かある」。これを現代風に訳すと、「それが私たちにとって、何のかかわりがありますか」となるでしょう。
少し非難しているようにも思える、この謎めいた言葉に、マリアはお答えになりません。しかし、私たちの主は、マリアの信仰を試しておられるのです。マリアはしもべたちの方を向いて、私たちの主に完全に従うよう求められます。「何でも、あの人の言うとおりにしなさい」。以上。
イエズスは、今度はしもべたちに近づき、二つのことをするように命じられます。第一に、ユダヤ人が家に入るときに、手足を清めるために使われていた石がめを水で満たすことです。そして第二に、その石がめを持って来て、ふるまい頭に中身を提供することです。
次にどんなことが起こるでしょうか。しもべたちは私たちの主に従い、一つ一つが40リットルから60リットル入る石がめを満たします! これを想像してみてください。そして、聖ヨハネは、彼らが石がめを口までいっぱいに満たしたので、もう何も加えることはできないと述べています。そのあと、彼らは、ぶどう酒に変わった水をふるまい頭に提供します。奇跡は控えめに行われましたが、もう一度言います、トリックはあり得ません。しもべたちは、その液体を注いだとき、石がめを水で満たしたのをよく知っており、気は確かでした。ですから、水がぶどう酒に変わったとき、自分たちの目の前で奇跡が起こったことを理解したしもべたちは、大いに驚くのです。
私たちの主は、注意を引くことなく、これを控えめに行われます。この奇跡に気づいていないふるまい頭が、そのぶどう酒の質に驚きを表すほどです。
ですから、目撃者であるしもべたちは、この奇跡を起こしたのは私たちの主であったと言い広めます。
花婿によれば、とても上等なぶどう酒です!
この奇跡のおかげで、弟子たちは、私たちの主の力を信じます。それは主が公生活を始められたばかりのときです。
また、特に最初の使徒たちが私たちの主を信じるようになったこの奇跡は、聖母の取り次ぎのおかげで実現しました。
以上は、聖ヨハネの非常に冷静な(ですから非常に信憑性のある)記述です。
結論
ですから、私たちの主の力に、常に大きな信頼を寄せましょう。私たちの主イエズス・キリストは天主であり、私たちの主は全能であり、私たちのみじめさをあわれんでくださり、また、童貞聖マリアも、良き母として、自分が困っていることに私たちが気づく前でも、注意して見ておられ、私たちに必要なものを見抜かれます。
聖母は私たちに必要なものを見抜かれ、非常に母親らしい方法で、奇跡を得ようとして御子に目を向けられます。ですから聖母は、私たちの主がそうであるように、物質的に必要なものであっても、私たちを助ける用意ができておられるのです。
ですから、すべての恵みの仲介者である童貞聖マリアに、全幅の信頼を置きましょう。アーメン。