御復活後第三主日の説教―キリスト教的な振る舞い(2025年、大宮)

ソース: FSSPX Japan

聖母の汚れなき御心

御復活後第三主日の説教(2025年、大宮)

2025年5月11日 ブノワ・ワリエ神父

御復活後第三主日の説教―キリスト教的な振る舞い

親愛なる兄弟の皆さま、

今日の書簡で、聖ペトロはキリスト教的な振る舞いをするように勧めています。

良い模範。この世の原則は、キリスト教的な生き方に逆らうものです。ですから、キリストに従う者は、天の故郷(ふるさと)までの旅路で通るこの世に対して、「他国人、旅人」として行動しなければなりません。「肉の欲」は、霊魂の幸福に完全に反するものなのです。

聖ペトロが言うように、私たちは、苦しい鞭のような中傷を経験してきましたが、真理は必ず勝利します。ですから、異邦人が「あなたたちを見て、その善業を理由に、天主を讃美するようになる」という希望が残されているのです。それは、「訪れの日に」、すなわち、今の中傷する者たちが、天主の恩寵と私たちの忍耐の功徳によって回心するときに、です。

市民への勧め。信者には、他の市民と同じように、市民としての義務があります。使徒は、世俗の権威が天主を起源とするものであることに基づき、その権威に従順になるように要求します。「すべての人間の立てた制度に対して」、すなわち、社会の長上たちによってつくられたすべての法令に対して従順になるように、また、「主権者としての王に対して」、すなわち、国家の最高権威者に対して従順になるように要求します。

さらに、市民としての義務を果たすことは、「無知で愚かな人々」、すなわちキリスト教を中傷する人々の口を閉ざさせます。

キリストによって、私たちは「自由民」ですが、これは正しく理解しなければならない言葉です。キリスト教的な自由は、モーゼの律法や罪の律法の遵守から人を解放しますが、世俗の権威の命令から解放するわけではありません。私たちは、次のキリストの命令を守らなければなりません。「チェザルのものはチェザルに、天主のものは天主に返せ」(マテオ22章21節)。

奴隷への勧め。奴隷は特に、自由と平等というキリスト教的な概念を誤解しやすい人々でした。ですから、この勧めは都合がよかったのです。教会と奴隷の幸福が、それを要求しました。教会が反抗を説くのではなく、従順を説いていたのは、宗教的な動機からでした。しもべは、長上の命令が天主の命令だと考えるべきです。ですから、従順は、自分の感情にも、長上の人間性にも、左右されないものなのです。

結論

親愛なる兄弟の皆さま、

私たちは、異様で非社交的な振る舞いをしてはなりません。しかし同時に、カトリック信者でない人々のようになっても、またそのように振る舞ってもなりません。私たちは彼らとは違うのです。なぜなら、私たちは、この世の生活が、永遠の命を見据えた試練の期間に過ぎないことを知っているからです。

私たちは、啓発的でなければなりませんが、ひけらかしてはなりません。徳の実践、特に愛徳と忍耐の実践を通して、異教徒をイエズス・キリストに引きつけることが必要です。家族や親しい友人がカトリック信者になりたがっていて、それが私たちの態度に表れているキリスト教の肯定的なイメージのおかげだとすれば、どんなに美しいこと、どんなに励みになることでしょうか。

勇気を出してください! 私たちの努力に対する報いはすべて、天国で与えられるでしょう。アーメン。