殉教者聖ネレウスと聖アキレウス、童貞女殉教者ドミチッラの三人の殉教からの教訓
殉教者聖ネレウスと聖アキレウス、童貞女殉教者ドミチッラ
2025年5月12日 札幌にて
トマス小野田圭志神父説教
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は、殉教者聖ネレウスと聖アキレウス、童貞女殉教者ドミチッラ、殉教者聖パンクラティオの祝日です。そこで特に 殉教者聖ネレウスと聖アキレウス、童貞女殉教者ドミチッラの三人の殉教を黙想しましょう。そしてそれから教訓を得ることにしましょう。
【今日の聖人】
ネレウスとアキレウス兄弟は、若い時に母親のプラウチッラと一緒に初代教皇聖ペトロからローマで洗礼を受けていました。二人ともフラヴィア・ドミチッラのもとで働く高官でした。
フラヴィア・ドミチッラは殉教者元老聖フラヴィウス・クレメンスの姪でした。元老フラヴィウス・クレメンス自身は、ローマ帝国の第11代皇帝ドミチアヌス(Domitianus; 24 October 51 – 18 September 96:Roman emperor from 81 to 96)のいとこでしたから、フラヴィア・ドミチッラは、ローマ皇帝ドミチアヌスの親族でした。ネレウスとアキレウス兄弟の敬虔な生活と模範と説得で、フラヴィア・ドミチッラはカトリックの信仰を信じ、洗礼を受けました。
フラヴィア・ドミチッラは、その当時アウレリアヌスというローマの最も有力な青年と婚約をしていました。アウレリアヌスのためにきれいに着飾っているドミチッラを見た二人の兄弟の高官は、ドミチッラにこう言います。「ドミチッラさまは、地上の花婿への愛のために、肉体を着飾っておられます。しかし、そのように、もしも、あなたさまが天にまします花婿をお喜ばせさせるために霊魂をきれいに着飾ったならば、このお方はあなたさまと一つになりたいとお思いですから、あなたさまはどれほど幸せになることでしょうか!」
二人はキリストのために童貞を捧げることがどれほど貴重なことかを説明しました。ドミチッラは最初、この話を不愉快に思ったのですが、後にこの話を落ち着いて詳しく聞きました。主の聖寵はドミチッラの霊魂に強く働き、天の浄配への愛に満たされました。
「おまえたちはなぜこのことをもっと早く私に行ってくれなかったのですか?もっと早く知っていたら、私は天の浄配以外の誰を選んでいたことでしょう。しかし、今からでも、それができます。私はそうしましょう。」
ドミチッラはこうして自分を童貞としてキリストに奉献し、童貞の誓願を立て、教皇クレメンテからベールを受けます。
アウレリアヌスは、このニュースを聞いて非常に怒ります。甘い言葉でドミチッラの心を変えさせようとしますが、成功しません。そこで、ネレウスとアキレウスと共にドミチッラをキリスト教信者だと告発してポンチア島に島流しにします。そこで拷問をかけて偶像にいけにえを捧げよと命じるのですが、それでも信仰をすてません。ネレウスとアキレウスとはポンチア島で殉教します。
アウレリアヌスは、二人の貴族の若い異教徒の女性エウフロシナとテオドラ Euphrosyna & Theodoraを送り、結婚の素晴らしさやアウレリアヌスの富や権勢をはなさせて、ドミチッラを説得させようとします。しかしこの二人の女性もカトリックに回心し、キリストに童貞として奉献します。のちにアウレリアヌスはドミチッラを説得するために、テラチナというところへ移動させますが、これも失敗します。アウレリアヌスの兄弟ルクザリウスは、ドミチッラとエウフロシナとテオドラがいた家に火をつけ、この三人の童貞女は殉教しました。
【教訓:永遠の命への希望】
今日の殉教者たちは、聖なる生活を送ることに、キリストのために苦しみを受け入れることに、本当の幸せと喜びを見出していました。
この世の権勢と名誉は、ともすると、暴飲暴食、あるいはその他の低俗な罪への奴隷状態や、空っぽな心、虚ろな精神、後悔、不安、恐れを隠すものになってしまっています。人々はともすると、沈黙の内に祈ることを避けるために、喧騒や音楽や気晴らしや娯楽が必要です。
天主のしもべたちは、この世の荒波にもかかわらず、この世が与えることができない平和と慰めを心にも持ち、天主の甘美な愛を楽しむことができます。何故なら、キリスト教信者には希望の徳があるからです。
希望の徳とは、超自然の徳です。自分の力では、自然には、得ることができないことも、天主の御助けで得ることができると希望する徳です。この希望の徳によって、私たちは深い信頼をもって、永遠の命を得ること希望しています。私たちは天国を、天主を希望しています。これが希望の徳の第一の対象です。
しかし私たちの力では、それを得ることができないので、永遠の命を得るために必要な手段さえも深い信頼をもって希望します。これが希望の徳の副次的な対象です。たとえば聖寵や救いのために役立つ物質的なものです。
キリストは苦しみを受けて、栄光に入るはずでした。十字架の道を通って、人間としても御父のもとで永遠の栄光を受けるのです。イエズス・キリストは弟子たちに言われます。「私は父のもとにいく」と。またこうも言われます。「わたしは帰ってくる。わたしがいる所に、あなたたちもいさせたいからである。」(ヨハネ14:4)
「あなたたちも今は悲しんでいるが、ふたたび私があなたたちにあうとき、あなたたちの心は喜び、もうその喜びはあなたたちからうばわれることはない。」(ヨハネ16:)
サン・ピエトロ広場にある聖ネレウスと聖アキレウスの列柱像