新しい教会を祝別する喜びの理由
2026年4月11日 白衣の土曜日
ド・ラコスト神父様説教(同時通訳:トマス小野田圭志神父)
聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる信徒の皆様、
新しい教会を祝別するというのは、私たちにとっていつも喜びであり、大きな幸せであります。何故かというと、私たちは、新しい天主への礼拝の場所を祝福するということであるからです。
【祭壇】
新しいチャペル、新しい天主の礼拝の場所ということは、これは祭壇があるということです。祭壇というのは、聖なるミサ聖祭が更新させられる場所であります。そして、今しがた祝別されたこの祭壇では、毎週主日に、これから聖なるミサ聖祭が行われます。ミサ聖祭とは、すなわち私たちの主が聖金曜日に捧げられたカルワリオでのいけにえの再現です。そしてこれが私たちの祭壇で毎週主日に行われます。
【カルワリオの恵み】
ミサ聖祭が行われるその度ごとに、このチャペルの、この聖堂のこの祭壇で捧げられるごとに、すべての霊魂たち、そして世界全体に、カルワリオでの私たちの主イエズス・キリストが受けた、得たお恵みが渡ります。行き届きます。すべてのお恵み、すべての功徳が、聖金曜日で主が勝ち取ったものが、このミサが捧げられるごとにすべての霊魂に渡ります。
【無限の価値があるいけにえが捧げられる】
旧約聖書では、ユダヤ人たちがいけにえを捧げていましたけれども、それは動物たちでした。そしてこの動物たちは、来たるべき前兆としての価値しかありませんでした。つまり、私たちの主イエズス・キリストの捧げた新約の唯一のいけにえを前兆させているという価値しかありませんでした。しかし、この祭壇では、天主の御子ご自身が捧げられるので無限の価値があります。何故かというと、この天主の御子ご自身は真(まこと)の天主であり、真(まこと)の人であるイエズス・キリストが捧げたいけにえであるからです。
【イエズス・キリストの現存】
私たちがこの聖堂を祝別したのは喜びでありますが、その理由のもう一つは、ここでミサが捧げられ、そしてイエズス・キリストの現存がここで保たれるからです。つまり、この御聖櫃の内にイエズス・キリストご自身が本当に実体的におられるのです。そのことは「コノペ (フランス語 conopée ; ラテン語 conopeum)」と言われる御聖櫃の幕(ヴェール)によって表されるのみならず、小さな御聖体ランプによってもそれが示されます。ここに本当に主が現存されます。
【聖体訪問】
そして、ここにイエズス様が現存されるということは、私たちはこの王を訪問することができます。王の王、主の主、そして皇帝の皇帝であるイエズス・キリスト、この地上のすべての権威よりもさらに大きな権威を持つ御方が私たちのもとにおられて、そして私たちはこの主を訪問することが非常に簡単にできます。この地上の王たちは、個人的に面会するのは非常に難しいものです。たとえば教皇様に会いたい、謁見したい、あるいは天皇陛下に謁見したいと言っても、なかなかそれは私たちにとって許されないことです。しかし、天主ご自身は私たちを受け入れて、私たちが訪問するのをお喜びになり、私たちが天主に話し、そして天主は私たちの祈りを聞き入れてくださいます。
【霊的な糧】
ただ単に、主は私たちが訪問するのをお喜びになって、私たちが訪問するのをお許しになるばかりではありません。天主ご自身は、私たちの食べ物とさえなることをお望みになりました。私たちの霊的な糧(かて)として私たちは主を受けます。受けることができるようにしました。つまりイエズス・キリスト、天主ご自身は、私たちの天国への道を確かにするために、そしてそれを進歩させるために、私たちの霊的な糧として私たちを養ってくださるのです。
【愛の証拠】
これはイエズス・キリストの愛徳、特別の愛が、私たちのために御聖体をつくり、そしてミサ聖祭を制定させました。なぜ御聖体があるかというと、ただ単に主が私たちをお愛ししてくださるからです。これこそが私たちへの愛の証拠であって、私たちが聖堂に入るごとに、主がどれほど私たちを常にお愛しされているかということの証明を見ることができます。
【共同体として祈る】
また、私たちが聖堂を持っているということは、これは私たちが天主に一緒に祈ることができる場所があるということです。つまり、このような聖堂が存在しているということは、私たちが、公にそして社会的に天主に礼拝を捧げることができるということです。つまり、カトリックの信仰は、個人的に実践するだけでは足りません。もちろん、私たちは個人的に祈らなければなりませんし、個人的に聖徳を高めなければなりません。しかし同時に、社会的に天主にふさわしい礼拝を捧げる義務があります。私たちの主イエズス・キリストもおっしゃいました。
「私の名において、二人あるいは三人が祈るとき、そこに私もいる」と。
【相互援助の必要性】
日本のカトリック信者は、かつて七代にわたって、司祭なくして信仰を保ってきました。しかしその間、主日ごとに、ミサのためではなかったのですけれども、一緒に祈るために集まっていました。信仰から遠ざかっているこの世に生きる私たちにとって、これは非常に大切なことです。必要なことです。何故かというと、私たちはカトリックの間の信者たちの友情が必要ですし、相互協力が必要ですし、助け合いが必要で、そして互いに励まし合って、信仰を守らなければならないからです。そしてこのような場所があるということは、私たちが互いに助け合って、一緒の活動をして一緒に祈り、一緒に友情を、カトリックの友として生きることができることを許してくれます。
【チェナクルムのかたどり:聖体と司祭職の制定の場所】
また、すべてのカトリックの聖堂は、私たちに最後の晩餐の高間を思い出させてくれます。この最後の晩餐の高間(チェナクルム)というのは、エルサレムにある大きな部屋なのですが、そこにおいて、私たちの主イエズス・キリストは聖木曜日に御聖体を制定し、そして最初の司祭叙階を行いました。この部屋ではさらに、私たちの主が昇天された後に、使徒たちはマリア様と一緒に集まって、お祈りをして、そしてそこの最後の晩餐の高間において聖霊が降臨しました。つまりカトリックの聖堂、全世界のすべての聖堂は、まさにこの高間、最後の晩餐の高間の復元であって、そして同じく御聖体と、また聖霊降臨、一緒に祈る場となっています。
【チェナクルムのかたどり:聖霊降臨の場所】
主の御昇天から聖霊降臨までの10日間は、使徒たちが一緒に沈黙のうちに祈っていました。聖霊の降臨を待って祈っていましたが、そのときにはマリア様もいらっしゃいました。天主の御母、聖母マリア様は、使徒たちを指導して、使徒たちがよく祈ることができるように助けてくださったに違いありません。つまり、マリア様は、使徒たちだけではなく私たちをも助けてくださって、天主様によくお祈りをすることができるようにしてくださいます。お祈りをするのは、時に難しいときがあります。しかしマリア様がいらしてくだされば、マリア様が助けてくだされば、私たちは主に向かうことができて、雑念を取り払って、そして専心して天主へと心を向かわせることができます。心の状態をよくしてくださることができます。ですから、私たちもマリア様に、よい心の状態で、心を整えて天主に祈ることができるようにとお祈りいたしましょう。
【聖母の汚れなき御心に捧げられた聖堂】
この聖堂は、特にマリア様の汚れなき御心に奉献されています。マリア様の汚れなき御心のことを黙想いたしましょう。観想いたしましょう。マリア様は原罪の汚れがなかったのみならず、一切の罪の汚れさえも影さえもありませんでした。つまり、マリア様の汚れなき御心は愛徳に満ちておられました。すべて天主を愛するためでした。マリア様の御取り次ぎで、私たちが罪を避けるのみならず、天主を、すべてを超えて愛し、そして隣人を我が身のごとく愛することができるようにお祈りいたしましょう。マリア様にお祈りいたしましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。