五旬節の主日の説教―その歴史(2025年、大宮)

ソース: FSSPX Japan

大教皇聖グレゴリウス

五旬節の主日の説教―その歴史(2025年、大宮)

2025年3月2日 ブノワ・ワリエ神父

七旬節の典礼の季節の歴史

親愛なる兄弟の皆さま、
今日は、七旬節の典礼の季節の歴史を簡単に説明しましょう。

四旬節に関する限り、かつては四旬節第一主日の翌日から始まっていました。断食の日数が40日になるように、四旬節を灰の水曜日から始めるようにしたのは、大教皇聖グレゴリウス(590年-604年)でした。

七旬節の典礼の季節について言えば、四旬節の始まりの前の、この3週間は、すべての地域に、一度に導入されたわけではありませんでした。
五旬節の主日の制定は、教会の最初の数世紀までさかのぼり、おそらく2世紀には始まっていたと思われます。確実なことは、レオ秘跡書(538年)に五旬節のミサが記されていることです。ローマでは、6世紀には、五旬節の主日の前に、他の二つの主日である六旬節と七旬節がありました。大聖グレゴリウスの七旬節、六旬節、五旬節の3主日のための朗読が現存しています。
6世紀前半にガリア地方で使用され、初期のジェラシウス秘跡書の構成と一致する、いわゆるヴュルツブルク朗読集と呼ばれる最古のローマ朗読集は、私たちが今日も使用している七旬節、六旬節、五旬節の三つの主日の朗読が、すでに使用されていたことを証明しています。

東方、西方を問わず、最初の数世紀から、創世記が朝課で朗読されてきました。ですから、人間の堕落と贖いの必要性についての黙想は、四旬節前の季節に繰り返されているテーマなのです。

アダムの堕落についての黙想は、当然、人間の弱さ、死、最後の審判の前に償いをする悔悛の必要性についての黙想を伴います。七旬節の主日のミサの冒頭にある入祭誦の雄弁さは完璧です。「死の苦悩がわれを取り囲み、地獄の苦しみがわれを襲った。苦難の中でわれは主を呼び求め、主は聖殿からわが声を聞き給うた」。
また、「Media vita」は、今でもローマ儀式書で七旬節の間によく歌われるテキストです。この応誦は、起源が8世紀にまでさかのぼりますが、後に四旬節の季節に組み込まれました。中世には、その劇的なテキストにより、戦場で非常に熱心に歌われるようになりました。その翻訳はこうです。「生のただ中で、われらは死の淵にいる。主よ、われらは、御身以外に、われらの罪によって正しくも怒り給う御身以外に、いかなる助けを求めることができようか。聖なる天主よ、聖なる強き天主よ、聖なる慈悲深き救い主よ、われらを苦き死に渡し給うな。われらの父祖は御身に希望した。御身に希望し、御身は彼らを解放し給うた。われらの父祖は、御身に叫び求めた。御身に叫び求めて、彼らは恥を負わなかった」。
「バビロンの川のほとりで」は、地域によっては、七旬節の前日のマグニフィカトの応誦としても歌われます。

七旬節の典礼は、徐々に、私たちに四旬節の準備をさせますから、四旬節直前の一週間は論理的には悔悛的な性格を持っており、まず肉を控えます。四旬節が始まると、乳製品、卵、その他の動物性食品も食べるのをやめます。当時はそうだったのです。
(今日の大斎、小斎の規則は、もうそれほど厳しくはなくなっていることに注意してください)。

結論

親愛なる兄弟の皆さま、

パウロ六世のミサ典書の典礼改革にかかわっていた人々は、不可解なことに、ローマ儀式書のこの古代の要素である七旬節を、その古さと普遍性を考慮せずに、削除しました(七旬節は、英国国教会の共通祈祷書や多くのルター派の共同体にさえ残っていたのです!)。
歴史的に言えば、1.東方でも西方でも、四旬節の前には悔悛の期間があります。
2.悔悛の期間は、四旬節への段階的な入り口と考えられ、徐々に禁欲的で霊的な準備をさせてくれます。
3.人間の堕落と最後のことに関する黙想は、四旬節前のこの季節のさまざまな儀式で繰り返し現れる要素です。

ここであずかることのできる聖伝のミサという恩寵に対して、天主に感謝しましょう。また、今週の水曜日に灰を受けに来ることができなくても、ニネベ人および私たちの主の断食と一致して、大斎と小斎を守ることは重大な義務であることを忘れないでください。アーメン。