童貞聖マリアの七つの御悲しみの祝日の説教(大宮)

ソース: FSSPX Japan

御悲しみの聖母

童貞聖マリアの七つの御悲しみの祝日の説教(大宮)

2025年9月15日 ロンジーノ金神父

1.はじめに

皆さま全員に、今日の祝日をお祝い申し上げます。
今日の聖人は、聖ピオ十世会奉献修道女会の保護聖人ですから、一級祝日としてお祝いしています。

昨日は聖十字架称賛の祝日で、今日は聖母の七つの御悲しみの祝日です。
教会では毎年、これらの祝日が連続しています。
私たちの主と聖母は非常に密接ですから、決して切り離すことはできません。
このことは多くの点で真実ですが、人類の救いについての天主のご計画においても同じです。

私たちの主の十字架は、使命を果たしました。その使命とは、人類に天主の命を回復させるために、イエズス・キリストの死をもたらすことです。
私たちの主は、霊魂たちがご自分の命を受けるのを確実にしようと望まれたため、この命を私たちに伝えるために用いられる物質的要素(たとえば水や油)と行為を選ばれました。
この恩寵の経路が、カテキズムで知られているように七つの秘跡です。

私たちの主はまた、天主の命を人類に伝える道具として、一人の人物とその全生涯を選ばれました。
その人物こそが、聖母、童貞聖マリアです。
聖母は全生涯を通じて、キリストの贖いのみわざに密接に協力されました。
聖母のご生涯における七つの主要な出来事は、特に教会の信者がたたえるべきものと定められています。
それが、「聖母の七つの御悲しみ」です。

2.本論

念のため、聖母の七つの御悲しみについて簡単に触れておきます。

 1)イエズスの神殿での奉献
私たちの主のご降誕から40日後、聖母は、主を神殿に奉献されました。
聖母は、シメオンの次の預言を聞かれました。「あなたの心は剣で貫かれるでしょう」。

 2)エジプトへの逃避
ヘロデがエルザレム近郊の幼子を皆殺しにしようと企んていたとき、聖母と聖ヨゼフは、主を守るためにエジプトへと逃れました。

 3)幼子イエズスの神殿での発見
エジプトからナザレトに戻った後、私たちの主が12歳のとき、彼らは祭りのためにエルザレムの神殿に行きました。彼らは主を見失いましたが、神殿で発見しました。

 4)十字架の道でのイエズスとマリアの出会い
私たちの主が、カルワリオへの道で十字架を担っておられる途中、お二人は出会いました。

 5)私たちの主の十字架刑と死
 6)聖母が私たちの主のご遺体を腕に抱かれる
 7)私たちの主の墓への埋葬

これらから引き出せる教訓は数多くありますが、日常生活に役立つものをいくつか簡単に挙げさせてください。

 2)エジプトへの逃避
聖母は、エジプトへと逃れることで、幼子イエズスを死の危険から守られました。
皆さまが、人生で苦しみや迫害を受けるとき、天主に対して不平を言わずに耐え忍ぶなら、皆さまも、幼子イエズスを安全な場所へとお連れするのです。
皆さまの忍耐によって、天主の御旨を安全に守るのです。

 3)幼子イエズスの神殿での発見
皆さまが霊的に渇いた時間を過ごすとき、天主が沈黙しておられ、まるで天主が存在しないかのように皆さまに対して何もしてくださらないように思えると感じるとき、
自分の身分に応じた義務に忠実であることによって天主を発見するのは、まさにそのときなのです。
繰り返されるその義務は、皆さまには無意味で不快に思えるかもしれません。
しかし、忍耐し続ければ、霊魂の内なる神殿で再び天主を発見することでしょう。

 7)私たちの主の埋葬
イエズス以外に何も心に入ってくるのを許さないとき、
天主を常に人生において最優先するとき、
皆さまは、聖母とともに、この私たちの主の墓への埋葬に協力するのです。
私たちの主の墓には、主の前にも主の後にも、誰も葬られませんでした。
この墓が、私たちの主のご復活の、まさにその場所ですから、
天主を最優先する皆さまの姿勢は、天主との永遠の一致によって報われるでしょう。

3.結論

今日の説教を通して、聖母の御悲しみについて学びましたが、私たちが、その御悲しみを完全に理解することは決してできません。
それは途方もない犠牲であり、私たちの主の贖いのみわざに協力するという、生涯にわたる犠牲なのです。
聖母の御悲しみを、まるで大きな不幸に見舞われた人に対して同情するように、ただ感情的に同情すべきものとみなしてはなりません。
これは、私たちの永遠に関する問題であり、生と死の問題なのです。
全生涯を通じて御悲しみを耐え忍ばれるという聖母のご協力がなければ、私たちは誰も救われることは不可能です。
心からの感謝をもって、聖母の御悲しみを黙想しましょう。
聖母に対して、私たちの生活の中で聖母に倣う恩寵を求めることを忘れないでください。
私たちのあらゆる悲しみと苦しみは、私たちが聖母になる機会なのであり、聖母の恩寵を受ける通路なのであり、この世におけるもう一人のマリアとなる手段なのです。
アーメン。