天使の大軍の歌「天のいと高き所には天主に栄光あれ」
2024年12月25日 御降誕祭のミサ 説教
トマス小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、私たちの主イエズス・キリストの御降誕です。
アダムとエワ以来人類が待ちに待っていた、約束されていた救い主が、今日お生まれになりました。2024年前の今日のことです。
永遠の天主の御言葉、天主の御父の御子が、聖霊によって人間としてマリア様のご胎内に孕(やど)り、そして預言の通り、童貞聖母マリア様からお生まれになりました。預言の時が満ちて、約束されていた通り預言されていた通り、ダヴィドの町ベトレヘムでお生まれになりました。預言者、先駆者、洗者聖ヨハネが指し示すべき天主の小羊、第二のアダム、わたしたちの本当の天主、天と地の創造主が、幼き赤ちゃんとなって、わたしたちのもとにお生まれになりました。このご降誕の祝いは、人類にとってどれほど大きな喜びの知らせでしょうか。
今日この主がお生まれになったときに、天使たちが歌った歌を、一緒に黙想いたしましょう。
【1:天使たち】
救い主がお生まれになったことは、ただ単に人間の喜びだけではありませんでした。天使たちも、わたしたちと一緒になって、この喜びを分かち合いました。一位の天使が燦然(さんぜん)と輝いて、羊の番をしていたそして野宿していた羊飼いたちに現れました。あたりを煌々(こうこう)と照らします。その姿におそらく羊飼いたちは、まさか救い主が、この世の創造主が、来られたのだろうと思ったかもしれません。天使を見て、羊飼いたちは大きな畏れの念を抱きました。
しかし、天使は言います。
「おそれることはない。全ての人々のための大きなよろこびの知らせをあなたたちに告げよう。今日、ダヴィドの町で、あなたたちのために、救い主がお生まれになった。すなわち、主キリストである。あなたたちは、布に包まれてまぐさおけに寝かされてあるみどり子を見るだろうが、それがしるしである」と。
天使たちは、恐れではなく、喜びを伝えます。
今日、二十一世紀の私たちにも、同じ天使たちは「全ての人々のための大きなよろこびの知らせ」を伝えています。わたしたちと一緒に喜ぼう、と招いています。
【2:羊飼いたち】
第二のポイントは、羊飼いたちです。
主は公生活のときに、天の国のことについてお説教されて、譬えを出しました。「天の国は、自分の子のために婚宴をする王のようである」と。その譬えによると、婚宴に招かれたけれどもそれに応じなかった客に対して、婚宴の主人が非常に怒ります。そして「僕たちに‟あなたたちは大路に行って出会う人々をみな宴会に招いて来なさい"と命じた」とあります。
主は、お生まれになったとき、同じことをされました。
イエズス・キリストは、旧約の預言を全て完璧に、ピタリピタリと成就なさいます。預言と律法を受け継いでよーく知っていたはずのユダヤ会堂(シナゴーグ)、また律法学者たちあるいはファリザイ人たちは、本来ならばこの預言の成就したイエズス・キリストを認めるべきでした。そして彼らから教えを受けていた民衆も、それを認めるべきでした。先駆者洗者聖ヨハネが現れました。しかし、残念ながら彼らは救い主に気にもかけず、自分の畑、あるいは商売、あるいはあれのビジネスにあるいはスポーツに、この世のことに忙しく、救い主の御降誕をふさわしく受けようと回心しませんでした。光は輝きましたが、しかし、真理の光を受けようとせずに、誤りの闇を好みました。そこで主は、天使たちに命じて、野宿していた羊飼いたちを招かせようとします。
この主のやり方は、いつも歴史を通して、同じです。プロテスタントによって、カトリック教会を離れてしまった人がいたその時、ヨーロッパでそのような事件が起こっていた時、主はマリア様をメキシコに送って、そして多くのインディオたちをカトリックに招きました。南米の人々をカトリックに招きました。主は、二十一世紀の私たちにも同じ招待をしておられます。人々がご聖体を否んで乱暴に扱うとき、あるいはマリア様を軽んじるとき、主はわたしたちを聖伝のミサに、そして、まことの聖伝のカトリック信仰に招いておられます。主は招くやり方を変えられません。貧しいわたしたちをも招いてくださいました。
【3:いと高き所には天主に栄光】
第三番のポイントは、天使たちの歌った歌です。
この一位の天使が喜びの知らせを羊飼いたちに告げると、天の軍勢の大群は――無数の天使たちは光り輝いて歌を歌います。これは、先ほどわたしたちが歌った歌です。「天のいと高き所には天主に栄光あれ」「Gloria in excelsis Deo !」と天主を賛美します。これはどれほど素晴らしい歌だったことでしょうか。
教父たち、つまり教会の父と言われる学識のある聖徳の高い人々によると、天使たちが天主によって造られたとき、創造されたとき、無から造られたとき、全ての天使たちが天主に忠実に留まったのではなかったと言っています。天使たちの一部は、残念ながら、天主にそむきました。なぜ?なぜ天使がそんなにそむくことができたか? なぜかというと、傲慢だったからです。天主が人間となること…つまりご托身をされることを、受けることができなかったのです。この神秘を憎みました。そして、人となるべき天主、ご托身される天主を礼拝することを拒否しました。従順になることを拒否しました。そしてそのような謙遜な天主に反乱を起こし、ついにこの天使たちは、天国から追放され、悪魔となりました。
これが、教父たちがわたしたちに教えることです。全能の天主が悪魔を造ったのではなく、善き天使たちが天主に反乱を起こして悪魔になった、と。その理由は、御言葉が人間となるという神秘を受け入れなかった、ということです。
しかし、永遠の昔からの御計画の通り、天主の御言葉は人間となられ、今日お生まれになりました。その時、良き天使たちは、どれほどこの神秘を喜び讃美し感謝し、天主の愛の御業を、無限の智恵を、ご謙遜を、喜んだことでしょうか。この神秘を喜び分かち合った天使たちに対して、主はさらに愛情を示します。天使たちに信頼を見せます。もちろん善き天使たちは、わたしたち人間の守護の天使たちとなってわたしたちを守る、という重大な任務を受けました。そればかりではありません。この世の終わりに偉人と悪人とを区別する、これを任されたのは天使たちでした。ゲッセマネの園では、主は天使たちに力づけられます。やはり御降誕のときも、天使たちは、主の御降誕を喜びます。
愛である天主が、人類を愛するあまりに小さくなられた赤んぼうになられたその時に、天使たちは歌います。「天のいと高き所には天主に栄光あれ!」
聖パウロも、のちに同じことを言うではないでしょうか。
「キリストは、本性として天主ではあったが、天主と等しいことを固持しようとはせず、かえって奴隷の姿をとり、人間に似たものとなって、自分自身を無とされた。その外貌は人間のように見え、死ぬまで、十字架上に死ぬまで、ご自分を卑しくして従われた。そこで、天主はかれを称揚し、すべての名にまさる名前をお与えになった。」(フィリッピ2:6-9)と…「いと高き所に天主に栄光あれ。」
この聖なる夜に、二十一世紀の私たちにも、同じことを伝えています。私たちの栄光は、天主に従順であることにある、と。人間の本当の進歩というのは、主と一致することにある、と。わたしたちは、反乱した天使たちに従ってはいけない。常にわたしたちは「天のいと高き所に天主に栄光あれ」と歌わなければならない、と伝えています。
【4:地には善意の人々に平和】
天使はそれだけではありませんでした。さらに歌を続けました。えっ!
何と言ったかというと、「地には善意の人々に平和あれ!」
もしも人間が天主に逆らうならば、人間には平和があり得ません。なぜかというと、この世の創造主に、全能の智恵・天主に戦いを挑んでいるからです。そんな時にどうして平和が、平安がありうるでしょう?
聖パウロはのちにこう言います。
「父は、すべての満ち満ちるものを子に宿らせ、そして、かれによって、かれにおいて、すべてのものを和睦させ、子の十字架の御血によって、かれによって、地にあるものも、天にあるものも、平和にさせようとのぞまれた。」(コロサイ1:19-20)
主はのちにこう言われます。
「私はあなたたちに平安をのこし、私の平安を与える。私は、この世が与えるようにして、それを与えるのではない。」(ヨハネ14:27)
地には善意の人に平和あれ!これが天使たちの歌です。この言葉に応えるように、わたしたちがさきほど歌ったように、教会はこう続けて歌います。
「我らは、主を誉め称え、主を祝し、主を礼拝し、主に光栄を帰し奉る。我らは主の偉大な光栄の為に、主を感謝し奉る。」
皆さんが信じている宗教、皆さんとわたしが礼拝している幼きイエズス・キリスト、この方こそ、まことの天主、まことの救い主、わたしたちを愛するがために、今日お生まれになった方です。
そして、天使に変わって、教会は今日二十一世紀のわたしたちにも、この今日お生まれになった方は誰かということを、はっきり言います。
栄光誦の中にこうあります。
「主よ、天主よ、天の王よ、全能の天主なる御父よ。御独子なる主、イエズス・キリスト。天主なる主、天主の小羊、御父の御子。世の罪を除き給う御者、我らを憐れみ給え。世の罪を除き給う御者、我らの願いを聴き容れ給え。御父の右に座し給う御者、我らを憐れみ給え。御身は唯一の聖なる御者、唯一の主、唯一のいと高き御者イエズス・キリスト。聖霊と共に、天主なる御父の栄光において。」
この神秘をもっともよく知っていたのは、マリア様です。最後にマリア様に祈りましょう。この信仰の玄義をわたしたちが深く知り、そして主を礼拝することができますように。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。