ティシエ・ド・マルレ司教様の御生涯とそのモットー
2024年10月16日 大宮の聖なる日本の殉教者聖堂にて行われた、ティシエ・ド・マルレ司教さまの追悼ミサにおける説教
トマス小野田圭志神父説教
In memória ætérna erit iustus : ab auđitióne mala non timébit.
義人は永遠の記憶のうちにあるだろう、彼は悪しき[宣告]を聞くことをおそれないだろう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
神父様、愛する兄弟姉妹の皆様、今日は、ティシエ・ド・マルレ司教様の追悼ミサを行っております。そこで、司教様についての生涯を、一緒に黙想することをお許しください。
まず、司教様の御生涯を簡単に垣間見て、次に、司教様がモットーとされていたことを一緒に考えて、最後に司教様のためにお祈りいたしましょう。
【御生涯】
ベルナルド・ティシエ・ド・マルレ司教様は、1945年9月14日に、十字架の称賛の祝日に、フランスでお生まれになりました。生物学の修士号をお持ちで、植物についての専門家でした。しかし、イエズス・キリストの「十字架の木」における犠牲(いけにえ)を愛され、そしてローマの神学校に入学されました。
ティシエ・ド・マルレ神学生は、ローマの神学校でさえも、その当時、近代主義に侵されているということを理解し、そしてルフェーブル大司教様に助けを求めました。このような神学生たちを助けるために、ルフェーブル大司教様は純粋なカトリック神学に従った司祭養成の学校を得るために、そしてそのような場所を作るために、フルヴィーニにおいて聖ピオ十世会を創立します。聖ピオ十世会は、1970年11月1日付で、教会法に従って正式に認可されました。
ベルナルド神学生は、最初に入学した九人の神学生たちの一人でした。入学したばかりの1969年待降節の第一主日の前日、ルフェーブル大司教様は神学生たちを集めて霊的講話をなさいました。その時に大司教様は神学生たちにつぶやくようにこう言ったことを、ティシエ・ド・マルレ神学生は忘れることができませんでした。
大司教様曰く、「私たちは昔のミサを守りましょう、そうですね?」と。
それ以来、ティシエ・ド・マルレ神学生は、そして司祭・司教さまは、ルフェーブル大司教様の愛弟子として、常に大司教様の傍らにおられ、大司教様の真似をされ、大司教様の後継者として働かれました。
1975年6月29日、ティシエ・ド・マルレ神学生は司祭に叙階され、すぐにエコン神学校の教授に任命されました。1978年には、エコンの神学校の校長となりました(1983年まで)。また1984年から1996年までは、スイスのリッケンバッハにあった聖ピオ十世会本部で事務総長の責務も務められました。
そして、1987年4月のことでした。ティシエ・ド・マルレ神父様は、エコン神学校にいたルフェーブル大司教様に呼び出されて、打ち明け話をお聴きになります。ルフェーブル大司教様は、ティシエ・ド・マルレ神父を司教に聖別したい、とお考えでした。神父様は大司教様にすべてを信頼して、全てをまったく委ねて、司教職を受けることを承諾されました。
こうして1988年6月30日、カトリック教会の聖伝の信仰を救うべき歴史的な司教聖別が、エコンの神学校で行われました。いわゆる「生き残り作戦」です。司教として聖別された四人のうちの一人が、ティシエ・ド・マルレ司教様でした。
それ以後、聖伝の信仰と、特に聖伝の司祭職、司祭叙階のため、また堅振の秘跡を授けるために、世界中を回って、身を粉にして働かれました。
司教様となったばかりの1988年のクリスマスには、ティシエ・ド・マルレ司教様はフラヴィニーの神学校にも来られました。そしてクリスマスのミサを司教として捧げてくださいました。愛する兄弟姉妹の皆様のしもべである私も、その当時、神学生としてフラヴィニーにおりました。司教様のミサに与ったことは、なんという深い喜びだったことでしょうか。
クリスマスの休暇のときに、神学生たちはみな家に帰省します。私はそのときラローシュ神父様の依頼で日本と韓国に行くことになっていました。そこで、リッケンバッハの本部に行って、そこでラローシュ神父様と落ち合って、一緒に旅をすることになっていましたが、ティシエ・ド・マルレ司教様はちょうどフラヴィニーから本部に車で帰るから一緒に乗って行けといってくださって、司教様の運転でおしゃべりをしたりあるいは一緒にロザリオを唱えたりしながら本部まで旅行したのを覚えています。司教様がその時に、いろいろな植物の分類の仕方とかいろいろな植物に対する知識を、私に一生懸命話してくださったことなどを憶えております。そしてその司教様の深い知識に感銘を覚えました。
日本についていえば、2016年の9月には、ティシエ・ド・マルレ司教様は日本に来られて、そして東京と大阪で多くの方々に堅振の秘跡を授けてくださいました。皆さんのなかにも堅振をティシエ・ド・マルレ司教様から受けた方がいらっしゃると思います。
こうして、最後の息の尽きるまで聖伝の信仰、そしてミサ聖祭、堅振、司祭叙階のために、働かれました。
いったい何が、司教様をそうやって動かしていたのでしょうか? そのモットーはなんだったのでしょうか?
【モットー】
第二のポイントは わたしたちは、司教様の紋章について少し考察することです。
司教さまの紋章にはこうあります。Pax Christi Regis 王たるキリストの平和。
つまり、Pax Christi in Regno Christi. キリストの統治におけるキリストの平和。
まさにこれを司教様は望んでおられました。
まず、キリストが、わたしたちの個人の霊魂に、王として統治するように、一生懸命働かれました。わたしたちが信仰生活を守り、ミサに与り、そして堅振の秘跡を受けるために…イエズス・キリストが王としてまことの天主としてわたしたちに知られ、そして愛され、奉仕され、従順に従われるように…わたしたちに説教をし、講話をされ、そしてミサを捧げてくださいました。もしもイエズス・キリストを王として知り愛しそれに従順に従ったら、初めて私たちの心に、本当の天主の平和が、キリストの平和がやってきます。それ以外には道はありません。でもどうやったらイエズス・キリストが王として、わたしたちを統治するでしょうか。それは、たった一つ、「十字架の木」によります。つまり、ミサ聖祭です。ですから、このミサ聖祭をどうしても守らなければなりません。
個人だけではありません。次に家庭にも、そして社会や国家にも、キリストが王として統治されなければなりません、これが天主のみ旨です。「御国の来たらんことを!」
しかし、ティシエ・ド・マルレ司教様は指摘します。残念ながら、キリストに反対するサタンの勢力は、つまり革命勢力は、王たるキリストを王の座から追放しようと、退位させようとしている、と。それにはいろんな段階があって、まず、国家から王キリストを退位させる、次に家庭から、そして遂には個人の霊魂からも王たるキリストを取り除いてしまおうとしている、と。これが革命だ、と。
国家からのキリストの退位というのは、いかなる政府もカトリック国家では有り得ない、というイデオロギーです。いかなる政府もイエズス・キリストを真の天主であると認めることは出来ない、あり得ないなどと思わせてしまうイデオロギーです。これは間違っています。なぜかというと、イエズス・キリストはまことの天主であるから、天主としての完全な実権を、主権を持っておられるからです。
家庭からキリストを退位させるというのは、家庭からキリストの統治を取り除こうとして、家庭を破壊させようとすることです。家庭における、離婚あるいは分離・宗教の対立などがそうです。
今や家庭のみならず、イエズス・キリストの花嫁であるカトリック教会さえも、キリストが退位されようとさえしつつあります。たとえばカトリック教会の中でさえ、どんな宗教であっても天国に行けるとか救われるとかいうイデオロギーが、いま流行っています。
新しいミサは、十字架の犠牲(いけにえ)の代わりに最後の晩餐の記念として立てられました。プロテスタントでも続けることができるようなものとして、作られました。キリストを、王たるキリストを、退位させようとしています。その究極の目的はなんでしょうか。それは、個人の、わたしたちの霊魂から、王たるキリストを取り除いてしまおうとすることです。
ティシエ・ド・マルレ司教様にとっての一番の問題は、問題の最も深い核心は、まさにこのカトリック信仰でした。イエズス・キリストが唯一の本当の天主であること、唯一の救い主であること、贖い主であること、イエズス・キリストの十字架による贖いの神秘の…つまり一言でいえばカトリック信仰…そして霊魂の救いでした。
カトリック教会は、この信仰のためにすべてを捧げてきました。そして、多くのカトリック信者は 司教は 司祭は、この信仰ために、殉教していきました。「イエズス・キリストがまことの天主である」と、この真理を宣言したがために、命を失っていきました。ですから、この真理に従うならば、まことの天主であるがゆえに、個人と同様に、政府も為政者もキリストに対して公式の、公(おおやけ)の誉れと服従を示さなければならない、という真理です。これを教皇様たち司教様たち司祭たちは、説教し、そしてそれを実現するために、勇敢なそして寛大な努力をしてきました。ティシエ・ド・マルレ司教様も、まったく同じことをされ続けられました。
わたしたちの天主イエズス・キリストには、天と地のすべての権能が授けられています。全人類は、一人の例外もなく、まことの天主イエズス・キリストの権威のもとに置かれています。イエズス・キリストの権威を逃れた、中立的な独立した自立空間などというものはあり得ません。人類は、この真理を拒み拒否する自由も権利もありません。真理には、わたしたちは、従う義務があるからです。わたしたちは、このカトリックの信仰を、持ち続けなければなりません。それこそ、ティシエ・ド・マルレ司教様が訴えて、そして働いてきた、そのモットーでした。聖ペトロ―初代教皇の信仰、また、日本に信仰を伝えた聖フランシスコ・ザビエルの信仰、また歴代の教皇様たちが訴えてきた信仰でした。
私たちは、洗礼を受ける時に、教会からこう尋ねられます。
「あなたは天主の教会に何を求めますか?」
洗礼志願者は答えます。「信仰を求めます。」
教会は尋ねます。「信仰はあなたに何を与えますか?」
志願者は答えます。「永遠の命を与えます。」
この‟信仰”を与えるために、最後の息のつきるまで、ティシエ・ド・マルレ司教さまは、働かれました。まさに、ルフェーブル大司教様の愛弟子でした。まさに、「十字架の木」というこの木を、わたしたちに伝えるために働かれました。
ルフェーブル大司教様は、3月25日、お告げの日に、聖月曜日に亡くなられました。ティシエ・ド・マルレ司教さまもルフェーブル大司教様の愛弟子として、9月28日、エコンの神学校でお告げの祈りを唱えたのちにミサ聖祭を捧げようと祭壇に登ろうとするその途中、神学校の階段で倒れて…そしてそれを最後に気絶され、10月8日に息をひきとられました。
最後に、ティシエ・ド・マルレ司教様の生きざまを、そしてモットーを見て、わたしたちもその志を継いで、まさにこの信仰を守るように、そして信仰を宣言するように、そしてこの信仰を後世の霊魂たちに伝えるように、お祈りいたしましょう。
マリアさまに、ティシエ・ド・マルレ司教様が一刻も早く天の永遠の休息に入られますように、その御取り次ぎをお祈りいたしましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。