四旬節第三主日の説教―良心の糾明(2025年、大宮)

聖ペトロの涙
四旬節第三主日の説教―良心の糾明(2025年、大宮)
2025年3月23日 ブノワ・ワリエ神父
四旬節第三主日の説教―良心の糾明
「悪魔が来ると、その家は掃き清められていた」(ルカ11章25節)
親愛なる兄弟の皆さま、
教会の掟に従い、私たちはご復活の主日を考慮して、悔悛の秘跡とご聖体の秘跡を受けなければなりません。教会は、今日と次の主日に朗読される二つの福音で、この義務を思い起こさせます。悪魔を追い出すことについて述べる今日の福音は、聖なる告解に関するものであり、不思議なパンの増加を物語る次の主日の福音は、聖体拝領に関するものです。
私たちの主は、今日の福音で、掃き清められた家について語っておられます。復活祭の告解をするとき、皆さまも同じようにしなければならないのです。
第一部 良き良心の糾明に対する障害物
掃き清める掃除を始める前に、女性は、隠れたほこりを発見して、そのほこりをほうきで取ることができるようにするために、床にあるテーブルや椅子、その他の家具を片側に移動させます。
告解における、そのような障害物は、まず(a)良心の糾明での《不注意と怠慢》です。告解の有効性、ひいては私たちの永遠の救いは、良心の糾明にかかっているため、この糾明は明らかに最も重要な作業であり、私たちが必要な注意を払わなければならない作業です。
次に(b)《自己愛》です。自己愛は、罪の汚れを覆い隠したり、あるいは少なくとも、罪を正しく見るのを妨げたりしますから、必ず取り除かなければなりません。自己愛は、こう提案します。「これは罪ではない、それについて不安になる必要はない、あれこれと告白する必要はまったくない」と。一方、自己愛はまた、悔悛者に偽りの恥じ入る気持ちを注入し、そして罪を隠させたり、あるいは、罪を軽く思わせ、それが実際のものとはまったく異なるものであるかのように見せかけたりもします。
第二部 痛悔と遷善の決心
良い掃除をするために、女性は、ほうきを固く握ります。告解に行くたびに同じことをしなければなりませんが、特に復活祭の告解では、強くて固い遷善の決心を立てなければなりません。
まず(a)《強くて固い決心》とは、少なくともすべての大罪と、罪に近づくあらゆる機会(異性との不適切な親しさ、信仰を持たない人々との親密な交友、罪深い楽しみなど)を避けることを固く決心することです。このような決心のないところには、罪の赦しはありません。それは難しいことだ、と皆さまは言われるでしょう。それは認めます。しかし、キリストは、こう言われました。「もし手足が、罪をつくる機会となるなら、それを切り捨てよ。片手片足で命に入るほうが、両手両足がそろいながら地獄の火に投げ込まれるよりもよい」(マテオ18章8, 9節)。地獄の火のことを考えてください。罪に近づく機会を捨てない限り、その火を逃れることはできません。
次に(b)痛悔です。ダヴィドは自分のことをこう言いました。「夜ごとに床はしめり、寝床は涙でぬれる」(詩篇6篇7節)。
マグダラのマリアは、「自分の涙で御足をぬらし、自分の頭の毛でそれをぬぐった」(ルカ7章38節)。
ペトロは、主を否認した後、「外に出て、激しく泣いた」(ルカ22章62節)。
私たちは、外的な涙ではなくとも、少なくとも内的な涙で、つまり本当の心からの悲しみで、自分の罪を嘆かなければなりません。痛悔と遷善の決心がなければ、有効な告解も、罪の赦しもないのです。
第三部 告白
これらの準備作業の後、たとえ話の女性は掃除を始めます。自分の罪をすべて明らかにし、へりくだりの精神と心からの痛悔をもって、単純明快な言葉で自分の罪を告発してください。これは、赦しと恩寵を得るために絶対に必要なことです。聖アウグスティヌスは、こう言っています。「私は天主だけにひそかに告白する、私を赦す方が、私の心からの悲しみを知っていてくださればそれで十分だ、などと、誰にも言わせてはならない」。もしそうであるならば、キリストは、司祭たちに罪を赦す力を、明白な形でお与えにはならなかったでしょう。
その女中が、たまった汚れを捨てるのではなく、隅のほうに見えないようにしたり、気づかれないようにどこかに隠したりすれば、良い使用人ではないのは確かですし、女主人から褒められるに値しないでしょう。同じように、悔悛者が、真摯な告白で良心を清めるのではなく、恐れや恥ずかしさから大罪を隠すならば、冒涜的に告白をしたのですから、悔い改めずに死ねば、永遠に滅びるでしょう。
結論
親愛なる兄弟の皆さま、
復活祭に、あるいは他のどんなときでも、告解に行くときには、今日のたとえ話に出てくる、家の掃除をする女中のことを考えてください。彼女が掃除の際にすることを、皆さまも告解に行くときにしなければなりません。自分の良心を注意深く糾明し、すべての罪に対する真の完全な痛悔を行い、もう二度と天主に対して罪を犯さないという強くて固い決心を立て、率直かつ真摯に罪を告白し、告白と赦しの後に償いを行ってください。
マグダラの聖マリアや聖アウグスティヌスの感動的な回心の例を見てください! 彼らに倣うことで、霊魂が、罪から清められて天主と和解し、成聖の恩寵で美しくなれば、深い平安と、天主の無限の御あわれみの知識によって、日々の務めを遂行する力が与えられ、ついには天主によってその栄光の国に受け入れられることでしょう。アーメン。