四旬節第三主日の説教―大阪 キリストに倣う者であれ

キリストの悪魔祓い
四旬節第三主日の説教―大阪 キリストに倣う者であれ
2025年3月23日 ピーター・フォルティン神父
四旬節第三主日の説教
聖パウロは、このエフェゾ人への書簡で、キリストに倣う者とは何かを強調します。私たちカトリック信者は、洗礼によって、霊魂にキリストのしるしをつけられています。天主が私たちの霊魂をご覧になるとき、その霊魂は、御子なる私たちの主イエズス・キリストの像なのです。父なる天主は、天主なる御子と、養子である私たちを最もお喜びになります。私たちの霊魂に、キリストのしるしがあるからです。これは、超自然的な現実です。超自然的だというのは、私たちの力を超えたものだからであり、また、天主だけがこれを私たちに与えることがおできになるからです。そして天主は、私たちの霊魂に、天主なる御子の像を与えてこのキリストの像を持つように変容させてくださるだけでなく、私たちの行いをキリストに一致させる手段も与えてくださるのです。私たちの主イエズス・キリストは、その犠牲によって、私たちが主に従い、主に倣うために必要なすべての恩寵を勝ち取ってくださったのです。
使徒聖パウロは、エフェゾ人に対して、自分が述べているすべての罪は、信者の中にあってはならないものだと教えています。私たちの霊魂は本当に罪から自由であり、私たちの霊魂は本当にキリストのものなのです。この世のものでもなく、悪魔のものでもなく、私たち自身のものでもありません。私たちはキリストの体の一部です。私たちは、異教徒のように、これらの罪を犯すのではなく、キリストに似た別の人になるのです。私たちは天主の子となり、この天主のわざを行わなければなりません。罪深い生活を捨て去って、天主に一致するのです。
今日の福音で、私たちの主は悪魔祓いを行われます。その男は話すことができませんでした。まるで悪魔に舌を縛られているかのようです。私たちの主が悪魔を追い出され、その男はきちんと話せるようになります。大勢の人が集まって感嘆していたと記されています。本当に、何かがあったに違いありません。なぜなら、その男に悪魔がついていることを誰もが知っていたのに、その後、その男は問題なく話せるようになったからです。この群衆にとっては、その男が悪魔祓いを受ける前の姿を見ていたのに、そのあとで悪魔祓いの効果を目にするのは、大変な驚きです。
さて、私たちの主は、私たちにも同じことをしてくださいます。洗礼を受けるとき、私たちは悪魔の力から解放され、天主の子として行動する自由を得ます。これには、私たちの主の厳しい警告が伴います。この警告は、キリストに救われた男のためのものであるとともに、私たちのためのものでもあります。その警告とは、キリストが私たちを救われた後でも、私たちカトリック信者は再び堕落する可能性が残っており、おそらくは回心の前よりも状態が悪くなるかもしれないということです。このことは、悪魔が去った後、他の七つの霊を連れて戻ってくるという一節に示されています。成聖の恩寵の状態にある人は、聖霊の神殿です。天主がその人のうちに住んでおられます。そのような霊魂は、聖霊によって優しく心を動かされます。聖パウロはコリント人に、こう書いています。「あなたたちは天主の神殿であり、天主の霊はそのうちに住み給うことを知らないのか。しかし、天主の神殿を壊す者があれば、天主は彼を壊される。天主の神殿は聖なるものであり、あなたたちはその神殿である」(コリント前書3章16節)。
私たちがカトリック信者になるとき、罪から解放されるだけではなく、多くの徳のある善い行いを繰り返すことで、積極的に自分が信者であることを示さなければなりません。私たちには、悪徳から自分を清めることに満足するだけで、そのあとに徳を得ようとしないなどということは不可能です。天主が与えてくださる恩寵を適用して、キリスト信者の名にふさわしい徳を得て、それを実践しなければなりません。本当に回心の過程を続け、もっとキリストに似た者となるためです。私たちの霊魂が、キリストの恩寵と徳と賜物で、もっともっと飾られるようにならなければならないのです。
この四旬節の主日に、教会は、正しい精神を持つように私たちに思い起こさせたいと望んでいます。それは、もっとキリストに似た者となるために、四旬節の断食やその他の償いを行うこと、キリストが実践された徳に満ちた者になることです。これこそが、悪魔から自分を守り、霊的生活の後退を防ぐ最善の方法です。聖パウロはエフェゾ人にこう書き送って、思い起こさせています。「あなたたちが贖いの日のためにしるしを受けた、その天主の聖霊を悲しませるな」(エフェゾ4章30節)。私たちの四旬節の実践によって、私たちの霊魂のうちに大きな効果がもたらされ、私たちの主イエズス・キリストに私たちがもっと近づくことができるよう、特に祈りましょう。