四旬節第二主日の説教―大阪と名古屋

ソース: FSSPX Japan

キリストのご変容

四旬節第二主日の説教―大阪と名古屋

2025年3月16日 パトリック・サマーズ神父(アジア管区長)

四旬節第二主日の説教

親愛なる信者の皆さま、四旬節が始まっています。

四旬節に、聖性を成長させるための三つの柱があることは、よく知られています。

その三つの柱とは、祈りと断食と施しです。

私たちは、祈りとは何かをよく知っています。心を天主に上げて、天主を礼拝し、天主に感謝し、天主に罪の赦しと必要なものを願うことです。

施しとは何でしょうか。

施しとは、恵まれない人々を助けるために行う物質的な支援のことで、愛から行うものです。明確にしなければならないのは、施しは、恵まれない人々に物を与えること以上のものだということです。私たちの聖なる信仰によれば、施しは、キリストのために、貧しい人々に与えられる奉仕でなければなりません。

(キリストのために与えるという)この不可欠の意向に加えて、施しを、与える者にとって実りのあるものとするには、他の性質も必要です。

その性質とは、どんなものでしょうか。

―施しは、控えめで静かなものであるべきです。他人のためにしている良いことを、人に話したいと思ってはなりません。時には人に知られてしまうこともあるでしょうが、広く知らせるべきではありません。
―施しは、本当に必要なときに応じて速やかに行うべきものであり、都合のいいときだけに行うものではありません。多くの場合、私たちは、自分にとって不都合になるいう理由で、他人を助けたいとは思いません…しかし、施しを私たちの霊魂にとって非常に実りのあるものにするのは、まさにこの犠牲なのです。
―また、施しは、喜びをもって上機嫌で行うべきものであり、何かを与えて失ったという悲しみを感じながら行うものではありません。私たちの主イエズス・キリストに奉仕する際には、どんなことであっても、良き精神をもって行うべきです。これは当たり前のことです。

このように行うなら、施しは、私たちの祈りに特別な力を与えるものであり、また私たちの罪に対する天主の正義を鎮めるものでもあるのです。

最後に、四旬節の最もよく知られた柱である断食について、詳しく見てみましょう。

断食の目的は何でしょうか。空腹に耐えて、体重を減らすためだけでしょうか。いいえ、もちろん違います。

断食には三つの目的があります。

1.第一に、断食は、肉の欲望を抑えるのに役立ちます。そうです、断食は貞潔と清さを守る最良の守護者の一つです。肉の情欲は、飲食を控えることで消えるのです。
2.第二に、断食は、心を上げて、天国のものを観想し、天主の道を理解するのに有益です。断食は、祈りの能力を高めて、私たちの心を天主に上げてくれます。聖人たちの多くは、長い断食を終えたときにこの真理を発見し、突如として、この地上における自分のための天主の計画を理解したのです。
3.最後に、断食は、私たちの多くの罪に対する天主の正義を満足させるために行われると言えます。このことは、聖人たちの生涯にも見られます…それは、聖人たちが、大罪人の回心を助けるために断食を行うときです。

そうです、聖アウグスティヌスが「断食は霊魂を清め、精神を天主に上げ、肉を霊魂に従わせ、心を悔い改めさせてへりくだらせる」と言うのは、この三つの理由からなのです。

四旬節の断食の規則とは、どんなものでしょうか。

このテーマに関しては、何世紀にもわたる断食の歴史に関する多くの本があります。断食は、各地域やその地域の位階階級によってさまざまであり、しばしば変更されました。

残念なことに、私たちは今、この断食という美しい習慣を、勧めたり励ましたりすることがほとんどない時代に生きています。私たちにできる限りの断食を続けましょう。天主は、私たちの努力に報いてくださるでしょうし、やがては、ご自分の完全な知恵に従ってお選びになる時に、良き断食の規則を復興させてくださるでしょう。

そうです、教会の実定法がなくても、私たちには今でも、自分の理解に従って断食を行う義務があります。たとえ具体的な法や規則に効力がないとしても、健康を著しく害さない限り、今でも四旬節中に断食を実践しようと望むべきです。

ですから、カトリックの歴史に目を向ければ、断食のいくつかの基本原則が分かります。

1.毎日の食事の回数を減らします。普通の食事は一回だけで、あとは何も食べないというところでしょう。特に肉体労働をする人は、一日に普通の食事を一回にし、別の時間に少し間食を取るという程度でしょう。四旬節の間は肉をあまり食べず、四旬節の日々にはお祝いのデザートを避けるというのが普通です。
2.四旬節の断食の日に、主日(日曜日)を含める必要はありません。この日は安息日であり、仕事から回復するための日ですから、断食という仕事も休むのがふさわしいのです。四旬節の断食が始まったのが、四旬節第一主日からではなく、灰の水曜日からなのは、このためです。
3.私たちの主は、砂漠で40日間断食を行うことを特に強調されました。…それは、私たちがすべきことの模範を示されるためでした。もちろん、主には罪のために断食をする必要はなく、祈りをしやすくしたり、情欲を抑えたりする必要もありませんでした。主は、私たちが従うべき美しい模範としてだけ、断食をされたのです。

ですから、親愛なる信者の皆さま、四旬節のこの三つの柱を、自分の霊魂を聖化し、罪人の回心を助け、全ての平安と幸福の源である天主に近づくために使ってください。

「そのとき、イエズスは弟子たちに言われた。『私に従おうと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を担って従え。自分の命を救おうと思う者は、それを失い、私のために自分の命を失う者は、それを受ける。もし全世界をもうけても、自分の霊魂を失うなら、何の役に立つだろう。また、自分の霊魂の代わりに、何を与えられよう』」(マテオ16章24-26節)。