私たちもタボル山いただきとオリベト山ふもとに招かれたあの三人の弟子です
2021年2月28日 四旬節第二主日
トマス小野田神父 説教
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は2021年2月28日、四旬節第2主日です。
明日から3月、聖ヨゼフの月が始まります。今現在、聖ヨゼフが全カトリック教会の保護の聖人として宣言されて150周年を祝っておりますから、今年の聖ヨゼフの祝日(3月19日)には聖ピオ十世会日本を聖ヨゼフに対する奉献を更新しましょう。この奉献の更新の式は東京では3月21日の主日に行う予定です。
それでは、今日の福音を一緒に黙想しましょう。
1:タボル山の山頂で
イエズス・キリストは、過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに上る前に、ガリラヤに十二人の使徒たちと一緒におられました。
今日の福音で読まれた御変容のすぐ後の過ぎ越しは、最後の過ぎ越しとなります。主の公生活最後の過ぎ越しですが、旧約の最後の有効な過ぎ越しという意味です。前兆の小羊が屠られるのがこれで最後で、天主の小羊が世の罪を取り除くいけにえとして屠られるからです。天主の小羊という新約の実体が捧げられ、旧約の影にとって代わります。
3年間、主とともに生活するという特権を得た使徒たちは、主が行った奇跡や教えを目撃してきました。主の柔和や忍耐、憐みと平和などに親密に接してきました。
聖ペトロは、イエズスが、キリストであり生ける天主の御子であると信仰宣言しました。私たちの主は、このペトロの上に御自分の唯一の教会をたてること、そして天国の鍵を約束しました。聖ヤコボは、いかずちの子と呼ばれ、天国への希望のうちに、使徒たちの最初の殉教者となるでしょう。聖ヨハネは、ヤコボの兄弟で特に主から愛された弟子、愛徳の使徒です。イエズス・キリストは、特にこの3人の信仰を強めようと欲しました。十二使徒のうちで、さらに選ばれた3人は、主の御受難の前に、他の使徒たちをガリラヤにおいて、主とともにタボルという高い山に登ります。
司祭長やファリサイ派が陰謀を企み、イエズスをホザンナ!と叫んで歓迎した同じ民衆が、今度は十字架の死を要求するのを弟子たちが目の当たりにすることを知っていたからです。彼らが、自分のことについて躓いてしまうでしょう。2人の盗賊の間に十字架につけられて、汚名を着せられ、処刑されるのを見て、主の受ける屈辱と苦しみを見て、彼らは勇気を失ってしまうことでしょう。私たちの主は、その前に、彼らにさらなる愛情を注ごうとされます。
タボル山の山頂に着くや否や、3人の目の前で、私たちの主の姿が変わりました。御顔は太陽のように輝き、服は雪のようにまぶしくなりました。突然、別の2人が姿を見せて、エルサレムで主を待っている苦しみについて対話をします。1人は十戒を受け、頭から光線の輝きを見せるモーゼです。もう1人は生きているうちに火の車によって地上から取り去られた預言者エリアです。律法の代表者と預言の代表者が、私たちの主イエズス・キリストの前で敬意を表明して、謙遜に首(こうべ)を垂れています。3人の使徒たちは、幸福感に満たされます。聖ペトロはここに幕屋を作ってイエズスと一緒に、モーゼとエリアと一緒にずっといたいと思いました。天主御父は、タボル山の山頂で光り輝く雲の中から声を響かせます。これは私の愛する子である、彼の言うことを聞け、と。
この栄光の御変容は束の間で終わり、その後全ては見えなくなります。彼らはイエズスしか見えなくなりました。御受難が始まります。
2:オリベト山のふもとで
聖木曜日、使徒たちは、主からさらなる愛の特権を受け、最初のミサ聖祭に与り、司教にさえなりました。子供に語り掛ける父親のような主の言葉と祈りを聞き、聖ヨハネは自分の頭をイエズスの聖心のすぐそばに置きました。最後の晩餐の後、主は使徒たちと共に別の山に向かいます。オリベト山のふもとのゲッセマネの園です。これはカルワリオ山へのいわば登山口でした。
ここでも同じ3人が選ばれ、この3人だけは主の近くで祈るように招かれました。「私の魂は、死なんばかりに悲しんでいる。あなたたちはここにいて、私といっしょに目をさましているように」。主はすこし離れたところで天主御父に祈ります。血の汗を流すほどの苦しみを味わいつつ祈られます。
タボル山とは何と対照的でしょうか!イエズスは真っ青で震えておられます。悲しみ苦しんでおられます。それと同時に御父にあくまでも従順であろうとされます。聖徳に光り輝く天主であるイエズス・キリストは、地面にひれ伏して祈っておられます。何にそんなに恐ろしさを感じているのでしょうか?罪です。人類が犯す、過去、現在、将来の全ての罪の邪悪さ、罪が天主の正反対であるが故の醜さに、ぞっとする嫌悪と恐怖を感じておられます。選ばれた霊魂たちの不忠実、冷淡、聖寵の勧めに対する抵抗、臆病、卑怯、不潔。
同時に、御稜威(みいつ)の天主がなさる無限に価値ある償いの業が、大部分の人々にとって、無益に終わること、せっかくの天主の尊い御血が無駄に流されることを思い、さらに苦しまれます。忘恩者の数は何と多いことでしょうか!無駄どころか、感謝もされず、軽蔑と冒涜とで返礼されることで、苦しみは増大するばかりです。
主は、一人ひとりの生まれ、生涯、死、永遠について、全てご存知です。私たち各々の詳細を知り尽くしておられます。たしかに主の御血の功徳を自分に受けようとする人々も存在しています。しかし、ほとんどが、主の愛を軽蔑し、永遠の地獄の奈落の底に落ちていくのをご覧になります。これこそが、主の受ける全ての拷問よりもつらいことでした。
その時、選ばれた3人の使徒たちは眠っていました。主は言われます。「そんなふうにして、あなたたちは、1時間さえ、私といっしょに目をさましておれなかったのか。誘惑におちないように、めざめて祈れ。心は熱しても肉体は弱いものだ!」
裏切り者のユダが武装した軍人をつれてやってきて、接吻をもって主を裏切ります。数時間前に御聖体の制定に立ち会って主の愛の証拠を見たばかりだった使徒たちは皆、主を捨てて逃げ去ります。ペトロは、主を3回否みます。使徒たちの頭であったペトロは、誓ってこの人を知らない、と宣言しました。人間は何と弱いことでしょうか!あれだけお恵みを受けていながら、卑怯にも臆病にも、主を裏切ってしまったからです。
この3人の使徒たちは、主の御復活の後、主を捨ててしまったことを痛悔します。誘惑に陥らないように、特別のお恵みで、御受難の直前に主の御変容を見ることを許されたこと、祈りに招待されたことを理解しました。
3:私たちの四旬節
(1)私たちも選ばれています。私たちも、カトリック教会の立派な典礼に与りつつ主の栄光を垣間見ました。イエズスは特別の愛を私たちに感じさせ、心に語り掛けてくださるような時もいただきました。恵みに満たされた私たちは、主を決して捨てたりはしないと約束しました。しかし、私の前で不敬な人が冒涜の言葉を吐き、イエズス・キリストの聖徳を傷つけるような発言をする時、私は一体なにをしたでしょうか?
主の光り輝く聖性を私たちの心にも刻み付けてください。私たちが聖徳の美しさに惹かれてそれを決して忘れないように助けてください。特に、主の唯一の花嫁であり、主の神秘体であるカトリック教会の姿が汚されるとき、教会が人間の弱さに苦しむとき、同じ教会の輝く聖性を堅く信じ続ける恵みを与えてください。教会の輝かしい聖伝の教えとその成し遂げた偉大な聖徳の業、主の教えと恵みが生み出した無数の聖人と殉教者たちをいつも思い起こすことができますように恵みをお与えください。私たちを地上のことから離れさせ、タボル山の高みに、主の御稜威の高みに行くことを許してください。モーゼとエリアが40日間断食をしたように、私たちにも聖なる四旬節を過ごさせてください。
(2)「警戒して祈れ」。私たちもこの四旬節、主とともに祈るように招かれました。イエズスの味わう苦々しさ、罪に対する恐れ、罪を忌み憎み悲しむこと、私たちの犯した罪を痛悔し、罪に泣く恵みを祈りましょう。主の苦しみを共に苦しむ恵みを求めましょう。
主の流される御血の一滴を私たちの霊魂に与えてください。罪に凝り固まっている私たちの霊魂が、御血で柔らかくなり、主の愛と悲しみに浸ることができますように。私の罪が、美しい天主を苦しめたことを理解させてください。主の御苦しみを私たちの心に刻み付けてください。私たちが罪を憎み、罪の機会を避けますように助けてください。主が助けようと苦しまれた霊魂の価値をわからせてください。
イエズスは、ペトロとヤコボとその兄弟ヨハネとをつれて、人里はなれた高い山にお登りになった。そして、かれらの前でお姿がかわり、お顔は日のようにかがやき、お服は光のように白くなった。