司教聖別と必要の状態
聖トマス・アクィナス神学校、SSPX
2026年2月15日 五旬節の主日
トマス 小野田圭志神父様説教 (沖縄)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は2月15日、五旬節の主日です。
来たる2月18日(水曜日)は灰の水曜日です。カトリック教会の掟によれば、満十八才から満五十九才までの全ての健康な男女の信者は、この日に大小斎を守らなければなりません。また成人に達していない人でも、十四才以上の健康な信者は死ぬまで小斎を守らなければなりません。
ご存知の通り、大斎とは一日に一度だけ十分な食事をとることです。小斎は、温血動物の肉をとらないことです。来たる水曜日2月18日、灰の水曜日です。
また、教会の掟によると「少なくとも年に一度、御復活祭の頃に御聖体を拝領する」という復活祭の義務があります。また「少なくとも年に一度は、告解の義務を果たす」という掟もありますので、ぜひ御復活祭の頃にこれらの義務を果たすようになさってください。
御復活祭の頃とは、日本では「四旬節の第一主日から三位一体の主日まで」です。ぜひ、聖伝のミサで復活祭の義務を果たすようになさってください。
先日の2月2日(月曜日)、聖ピオ十世会の総長は「7月1日(水曜日)に、聖伝のカトリック司教の聖別が行われる(聖伝のカトリック司教をつくる)」ことを発表しました。聖別の儀式が行われる場所は、今からちょうど38年前(1988年6月30日)に、ルフェーブル大司教様が聖伝の生き残り作戦を行ったエコンの神学校です。
そこで、今日は「なぜ今回このような発表があったのか、なぜ聖伝の司教様を聖別しなければならないのか」についてお話ししたいと思います。これは非常に大切な話ですので、ぜひ良く理解なさってください。
【ローマに対する申し入れ・アプローチ】
去年の夏、聖ピオ十世会の総長は、聖ピオ十世会の状況について教皇様に報告するため、新しい教皇様レオ十四世に謁見をお願いする手紙を書きました。しかし、数か月待ってもお返事がありませんでしたので、もう一度お手紙を書きました。非常に簡潔で、そして親を慕う子供のような忠孝の心で、私たちの要望(願い)と提案を全てお伝えいたしました。
お手紙の中では、教義上、第二バチカン公会議の新しい教えは、聖伝の教えとの違いや矛盾があること、また、聖ピオ十世会は教会法上の使命(missio canonica)は持っていないけれども、カトリック教会にたゆまず奉仕をしたいという心からの願いをも伝達しました。
なぜ、私たちが教皇様にそのようなお願いをするかというと、聖ピオ十世会は、カトリック教会の懐で、教会法に従って創立された修道会の一つであり、カトリック教会の一部にして、生ける枝の一つであるからです。そして、教皇様に持つ敬愛と、教皇様に対する祈り、ローマへの愛と教会の教導権への従順のすべては、私たち聖ピオ十世会の精神の切っても切れない一部だからです。
私たちが、教皇様に申し上げた要望と提案とは「私たちに霊的助けを求める人々の霊魂の善のために、聖ピオ十世会が今置かれている例外的な状況を一時的に継続させること」です。つまり「人々の霊魂に霊的に奉仕するために、聖ピオ十世会が今置かれている特別な状況を維持して、教会法上の使命(missio canonica)が無いまま、補佐司教の聖別を認めて頂きたいということ」です。
何故ならば、聖ピオ十世会の二人の司教様がお年を召しておられること、そして今、聖伝のミサを求める人々が世界中で急増し、ますます増えている現状を見ると、世界中の信徒の必要に応えるために、今のままではもう十分でないからです。
そこで、私たちは教皇様に対してこのことを申し上げると同時に「全力を尽くしてカトリックの聖伝を守ること、また、私たちのもとにやって来る信者を、教会の真の子供たちとすること」を約束いたしました。
【教会の危機的な状況は、必要の状態を作り出している】
では、このようなお願いはいったいどこから来たのでしょうか?
この提案は、カトリック教会が聖伝に立ち戻るように長い間待ち続けながら、教会の現状を観察しつつ、多く祈り、考え続けてのことでした。
1988年に、ルフェーブル大司教様が司教様を四名聖別しましたが、教会の状況は、その後ますます悪くなっている一方です。聖伝から離れているままであるからです。端的に言うと、一般の小教区では、教会がこれまで常に行ってきたような、カトリックの真理と道徳の完全なお説教がなされていないからです。そして、諸秘跡も、教会が今まで常に行ってきたような、あるべきやり方で執行されていないからです。
かつて、聖ピオ五世教皇様は、教皇が持つ不可謬権に従って「全ての司祭は、この昔ながらの聖伝のミサを行う義務と権利と特権がある」と宣言されました。さらに「誰一人として、このミサを変えてはならない」と、このミサを列聖されました。
そして、新しいミサに関しても、パウロ六世教皇様が発表したところによれば、あくまでも「新しいミサを捧げることができる自由」であり「新しいミサを捧げる義務はありません」でした。私たちはそのことをいつも主張していましたが、私たちの主張は多くの人々から無視され、断罪され、ついに排斥されました。その後、脇に置かれたままでした。あたかも聖伝のミサは禁止され、廃止されているかのように人々は私たちに教えていました。
しかし2007年、ベネディクト十六世教皇様は「スンモールム・ポンティフィクム(Summorum Pontificum)」という自発教令で「聖伝のミサは一度も廃止されたことがない」と、ついに宣言されました。さらには、全ての司教様たちに向かい「教会が過去信じ、愛してきたものが、突然悪くなったり、廃止(禁止)されることはあり得ない」と教えました。
しかし、ご覧ください。現在2026年2月15日、聖伝のミサは事実上禁止されているも同然です。
誰も禁止することができないはずのこのミサ――聖ピオ五世教皇様が「全ての司祭がこのミサを捧げる義務がある」と、絶対的な権限をもって宣言し、ベネディクト十六世教皇様もまた「これは一度も教会によって廃止されていない」と明言されたにもかかわらず、聖伝のミサは、事実上禁止されているかのようです。
ここに、カトリック教会の大きな危機があるのではないでしょうか?
ところで、イエズス様は真の天主が人間となられた御方です。イエズス様は、天主として、人となられた真の天主として、まず十二人の使徒たちを男性だけから選び、教育し、彼らを特別に愛されました。これが聖職者たちの始まりです。
中でも特別に聖ペトロを選び、聖ペトロの上にご自分の教会を立てました。キリストの教会――つまり、これこそがカトリック教会です。
実際、ヨハネ・パウロ二世教皇様は「男性のみ司祭になることができる」と、教皇としての最高の権威を使い宣言したことがあります。「サチェルドターリス・オルディナチオ Sacerdotalis Ordinatio」という回勅です。
しかし、つい最近日本では、枢機卿様がNHKのドキュメンタリーフィルムで「女性も、いずれは司祭になることができる」と言っています。
ここに、信仰の危機があるのではないでしょうか?
初代教会から、キリストが御自ら立てた教会は位階的です。つまり、まず聖職者を立て、その次に信徒があります。そのため、聖ペトロとその後継者である教皇様のみが、唯一にして最高の、キリストの教会の権能を持っています。初代教会の時代から、これが今でも続いています。
また旧約時代に教えられた道徳に関する自然法に関しては変わることがないけれども、イエズス・キリストこそが旧約が預言し予告していた救い主なので、もはやイエズス・キリスト以外の救い主を待つ必要はないことを常に教会は教えてきました。
「カトリック教会は、永遠の命を得るための、唯一の救いの手段である」と、教会はいつも教えていました。「新約のノアの箱舟」です。そして、公会議は「カトリック教会の外には救いが無い、永遠の救霊が無い」と何度も教えてきました。
さらに旧約時代に前兆として行っていた犠牲や司祭職は、新約の犠牲や司祭職となることによって完成されました。ですから教会は「旧約が廃止され、新約時代になった」こと、「イエズス・キリストが旧約を完成させ、そして廃止した」ことをも教えています。このように、カトリック教会は、常にこれらのことを信じ、主張し、実践してきました。
しかし日本では、枢機卿様が日本のテレビで「天主であるイエズス・キリストが作ったこの制度は、今や現代行き詰まっている。だからシノドスが必要だ」とおっしゃっています。
私たちの主イエズス・キリストの立てた教会が行き詰まった、そして、イエズス・キリストのやり方が行き詰まったとは、いったいどういうことでしょうか?
これは、信仰の危機を表してはいないでしょうか?
一般の小教区で、自然の人間の命の大切さは語られるかもしれません。
「コロナだ。だから教会は閉鎖する」「コロナだから、聖水は使わない」と。
しかし、超自然の命や永遠の救いの方が、自然の命よりもさらにもっと大事であることは、どれほど教えられているでしょうか?
「霊魂の救い」について、私たちの一般の小教区ではどれだけ説かれているのでしょうか?
一般の小教区で、諸国間の平和の大切さや、戦争への反対についてはよく語られるかもしれません。しかしながら、キリストが与える本当の平和――「私はあなたたちの間に平和をのこし、私の平和を与える。私は、この世が与えるようにして、それを与えるのではない」(ヨハネ14:27)――といったその「キリストの平和」についてはどれほど説教されるのでしょうか?
ちなみに、ローマ自体から来る教えが、今までのカトリックの教えに反していることについて、つい最近(一週間前)、エコンの神学校の校長先生はリストをあげています。
●カトリックでないキリスト教共同体が救いの手段となり得る。
――これは間違っています。
●教皇は教会において唯一の最高の権力を持つ者ではない。
――これは間違っています。
●旧約は今も有効であり、廃止されていない。
――これは間違っています。
●キリストは社会において公的に君臨してはならない。
――これは間違っています。
●離婚して再婚した人にも聖体拝領をする権利がある。
――これは間違っています。
●同性カップルは司祭から祝福を受けることができる。
――これは間違っています。
●童貞聖マリアを共贖者と呼ぶべきではない。
――これは間違っています。
●気候問題への配慮と地球の保護は、教会にとって最優先事項でなければならない。
――これは間違っています。
●宗教間対話は有益で実り多い。
――これは間違っています。
●聖伝のミサは時代遅れで、廃れ、廃止され、禁止され、古臭く、旧式であり、もう21世紀のキリスト教徒の願望に合致していない。
――これは間違っています。
●たとえ良心が誤っていたとしても、すべての人は良心に従って生きる権利を持っている。
――これは間違っています。
たとえば「罪がある大罪の状態で、御聖体拝領をすることはできない」と聖パウロは述べています。それから、同性愛について、旧約聖書は「天に復讐を呼び求める罪である」と説いています。さらにマリア様については、教父の時代から、マリア様が「第二のエワ」であること、また「第二のアダムであるイエズス・キリストと共に、贖いを果たした方(共贖者)」であると教えられています。
このように、かつて教会が教えたことのない、教義に反することを、あたかも正しいことであるかのように見聞きする現代のカトリック信者の方々は、より一層、混乱して方向性を見失い、どうして良いかわからずに迷っており、世界中で助けを求め叫んでおられます。そうして、ますます多くの人々が、聖ピオ十世会を通じて聖伝を見出し、深い喜びと光と慰めを受けています。
このような霊魂たち、そして、聖ピオ十世会とカトリック教会の状態を客観的に見ていると「聖伝を守る司教の必要性」という、非常に深刻な状況にあることがわかります。このような現実が、総長をして、司教聖別という決断を要求しているように思います。
【ローマからの返事】
2月2日、私たちが「司教聖別をしなければならない」と発表した直後、教理聖省の長官フェルナンデス枢機卿様が、総長パリャラーニをローマへ招待し、二人で一緒に話し合うことを提案しました。
(フェルナンデス枢機卿様は、去年の11月「童貞聖マリアを共贖者と呼ぶべきではない」という公式文書を発表した方です。)
2月12日(木曜日)、二人はローマで話し合いをしました。
その際、フェルナンデス枢機卿様は、
「総長が、司教の聖別に対する決定を一時停止し、第二バチカン公会議に関して、バチカンと一緒に神学的な意見を交換する(つまり、聖ピオ十世会が、第二バチカン公会議の内容を受け入れる)ことで『聖ピオ十世会の教会法上の地位を定める』」
ことを提案しました。
将来、総長がこれにどのように対応していくのか、私たちはお祈りをしながら見守ることにいたしましょう。
【教皇の認可無しの司教聖別】
ちなみに、もしも教皇様が私たちの司教聖別に同意してくださらなかったら、どうなるのでしょうか?
現行の教会法によれば、通常、教皇様の認可無しに司教を聖別することは禁じられています。しかし、実際に教会法の全ての規定を考慮すると、現在でも、特別な緊急の状態があるならば、教皇様の認可無しに司教を聖別することは許されています。教会法上なんら問題はありません。
歴史的に言えば、過去、司教様たちはまず後継者の司教を聖別し、後に教皇様に連絡をして事後承認を得ていました。ですから、教皇様の認可無しの司教聖別それ自体は罪ではありません。
実際につい最近でも、教皇の許可無しに司教を聖別した例はたくさんあります。
そのうちの一つを、ぜひ皆さんに知って頂きたいと思います。
ウクライナの有名な司教ヨシフ・スリピ枢機卿という高位聖職者がいます。
スリピ枢機卿様はもう亡くなりましたけれども、現在ローマでは列聖調査の手続きが進められています。
<スリピ枢機卿様の経歴(一部)>
・1917年、司祭に叙階される。
・1939年、補佐司教として司教聖別される。
・1944年、前任大司教の後を継いで大司教となる。
・1965年、パウロ六世教皇により、枢機卿として公に宣言される。
かつて、スリピ大司教様は、ほぼ20年間(1945年~1963年)をソ連の強制収容所の共産主義の下で過ごし、その後はローマで亡命生活を送りました。しかし、ウクライナのカトリック教会の将来を危惧し、1976年、教皇パウロ六世様の明確な意思に反して、秘密のうちに三人の司祭を司教に聖別しました。
パウロ六世教皇様は、この事実をご存知でしたが罰しませんでした。
スリピ枢機卿様は「カトリック教会が、共産主義の下で迫害されている現状において、カトリック教会を続けていくために司教を聖別するのが当然だ」と思い、パウロ六世教皇様の反対にもかかわらずこれを断行しました。
教皇様の命に反したスリピ枢機卿様は、だからといって「離教だ、破門だ」と中傷されませんでしたし、スリピ枢機卿様によって叙階された司教に従ったカトリック信者たちも、離教者として中傷されることはありませんでした。
何故ならば、スリピ枢機卿様の行為は完全に正当なものだったからです。それは、ウクライナのカトリック信者たちが、信仰上の緊急事態に直面していたためであり、教会が緊急事態を認めるその状況に従い、霊魂の救いのために行ったからです。
(後に、スリピ枢機卿様が聖別した司教は、ヨハネ・パウロ二世教皇様によって枢機卿となりました。)
そして、教会の法典あるいは教皇の司法判断さえも、それが時として信仰に反する場合には、カトリック信者の良心を拘束するものではないからです。
旧教会法典では、教皇の委任無しの司教聖別は、破門や離教罪ではなく、聖職停止処分で罰せられていました。カトリック教会の中の規律上の問題でした。言い換えると、教皇の委任無しの司教聖別は、1983年の新しい教会法まではっきりと、それ自体では離教行為ではない、とされていたのです。つまり教会法の規定する罰則にかかわらず、「教皇の委任無しの司教聖別」はそれ自体では、別の教会を作ることを意味しません。これが破門の罰則規定を持ったのは、中国共産党が教皇と独立した中国愛国協会というカトリック教会とは別の団体を作ることを意図したからです。
それから、これは司教聖別ではないのですけれども、ヨハネ・パウロ二世教皇様は、まだポーランドのクラクフの大司教時代、パウロ六世教皇様からの明確な禁止状況にもかかわらず、ウクライナの司祭叙階を秘かに行われたことがあります。これは、霊魂の救いのために、教会法とローマ教皇の明確な命令に反して行ったことですが、それについてヨハネ・パウロ二世教皇様をとがめる人は誰もいません。かえって「霊魂の救いのためによくやった」と称賛を受けています。
【聖ピオ十世会の司教たち】
では、現在、霊魂たちが置かれている非常に大きな信仰の危機の状態において、聖ピオ十世会の司教が新たに聖別される時、私たちは司教をつくったことで罰せられるのでしょうか?
聖別された司教たちは罰則を受け、私たち聖ピオ十世会の会員と信者たちは、離教の罪で告発されるのでしょうか?
そのように不当に断罪されることもあり得ますが、もしもそうであれば、その決定は教会法の全ての規定に反していると言わざるを得ません。
何故ならば、私たちは別の教会をつくるために司教聖別をするわけではないからです。聖ピオ十世会には、たった一つの意向しかありません。
それは「私たちに助けを求めるすべての霊魂たちを、ローマ・カトリック教会の真の子供たちとすること」です。
私たち聖ピオ十世会は「霊魂たちの永遠の救いを望み、霊魂たちが救いに至るために必要な全ての手段を提供したい、そのために出来るだけのことを行いたい」と、これだけを考えています。
そのために、教皇様を始めカトリック教会にすることができる最大の奉仕は「教会の二千年の聖伝と信仰の遺産に忠実であり続けること。そして、忠実にこの教え――信仰の遺産を伝え、秘跡を忠実に行い続けること」だと考えています。
聖ピオ十世会は、霊魂たちの善のために、カトリック教会の聖伝を守ること以外には何の目的も無いからです。
【遷善の決心】
では、最後に遷善の決心を立てましょう。
私たちは、多く祈らなければなりません。それゆえに、来たる四旬節にはよくお祈りをすることにいたしましょう。
レオ十四世教皇様のために、一生懸命熱心にお祈りしましょう。教皇様に光が与えられますように。惜しみなく犠牲を払いましょう。
今日、福音に出てきためくらのように、主に申し上げましょう。
ぜひ、私たちが、教会の状態をよく見ることができますように。
そして、私たちの置かれた状況を正しく理解することができますように。
私たちに必要なことはいったい何か、理解することができますように。
天国へ行くため、私たちにはいったい何が必要なのか、何をしなければならないのか、多くの人々がそれをはっきりと見ることができるようにお祈りいたしましょう。良き四旬節を送る決心を立て、カトリック教会のために祈りましょう。
これらのお恵みを求めて、マリア様にお祈りいたしましょう。
私たちの大切なカトリック教会のために、この四旬節を聖なるものとして過ごすことができますように。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。