十字架の道行き 天主の創造の御業
準備の祈り
天主は、人間の数々の罪によって傷つけられる以上に、十字架の道の歩みの一歩一歩によってより大きな栄光をお受けになり給う。「父よ、時がきました。あなたの子に光栄をお与えください。子があなたに光栄を帰するように。」(ヨハネ17:1)
創造が天主の完全性を明らかにするならば、贖いの業は天主の無限の完全性をさらに優れた形で明らかにする。
永遠の父よ、この十字架の道を通して人類を救うことによって、御身に栄光を帰する御子のあらゆる苦しみを、深い喜びをもって御身に捧げ奉る。
第一留 イエズスは死刑を宣告される
主は人の心の悪意にとらわれることなく、すべての霊魂を、そして一人ひとりを深く愛し、永遠の死から救うために自らの命を捧げるほどに愛しておられる。「人がその友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)。
永遠の父よ、御子イエズス・キリストの崇高な愛を御身に捧げ奉る。イエズスはわれらの救いのために、自らを惜しみなくそして完全に捧げ給うた。霊魂の救いのために、イエズスの聖なる愛の熱意でわが霊魂を燃え立たせ給え。
第二留 イエズスは十字架を背負う
「あなたたちは、すべての聖徒とともに、かの奥義の広さと長さと高さと深さとを理解する力をうけるであろう。」エフェゾ人への手紙 3:18-19。
広さと長さと高さと深さ、この四つの次元によって象徴される天主の愛の完全さは、キリストと十字架との結びつきにおいて表現されている。キリストは受難において、われらにその愛の完全な尺度を与えてくださる。
永遠の父よ、御子イエズス・キリストの愛の熱意を御身に捧げ奉る。そして、私の中にまだ残っているあらゆる形の利己心を滅ぼし給え。
第三留 イエズスは初めて倒れ給う
あらゆる罪には、傲慢と独立の要素が内在している。それゆえ、天主の裁きが罪人に下るとき、それは罪人を地に引きずり下ろし、自らの無力さを思い知らせる。聖パウロが馬から投げ落とされたのもまさにこのためであった。
イエズスは、罪人と同じように、完全な正義をもって、容赦なく寛容なく扱われることを望み給うた。すべての罪を根絶したいと願うからこそ、この倒れによって生じる混乱を受け入れ給うた。
永遠の父よ、私は救い主の愛のすべてを御身に捧げ奉る。天主の正義のために。そして、御身が私に課すであろうすべての屈辱に耐えられるよう助け給え。自己中心的な愛の歪みから私を解放するために。
第四留 イエズスは聖母マリアと出会う
アダムとエワは、天主の御旨に背くことによってわれらの堕落に加担した。新しいアダムと新しいエワは、天主の聖なる御旨に完全に服従することによってわれらの救いにおいて協力し給うた。同じ手段を用いながらも、はるかに謙遜で聖なる方法で御業を回復される天主の知恵は、なんと素晴らしいことか!
永遠の父よ、御身の無限の知恵を礼拝し奉る。御身は、われらに模範とすべき兄と、われらを教育する母を与え給いて、われらの救いを成し遂げ給うた。ねがわくは、主と聖母により頼んで生きる知恵を与え給え。
第五留 シレネのシモンは、イエズスの十字架を担ぐを助ける。
罪深い人間は、天主の無限の正義を満たすことはできない。それゆえ、人となられた天主は、われらの代わりに罪を償い給うた。しかし、もし天主がわれらの参加を求めなかったとしたら、天主は正義ではないことになってしまうだろう。「われらは天主の相続人であり、キリストと共に相続人である。それは、キリストの苦しみにあずかるならば、キリストの栄光にもあずかるからである。」ローマ8:17
永遠の父よ、私は御身の限りない正義を礼拝し、心からキリストと共に苦しみ罪を償いたいと欲し奉る。しかしながら、この試練の重圧の下で決して不平を言わないよう、御身の恵みを与え給え。
第六留 聖ヴェロニカ、イエズスの顔をぬぐう
聖ヴェロニカは深い敬虔さをもって救い主の顔をぬぐい奉る。「天主の恵みの輝きがキリストの顔に宿っていた」。(コリント人への後の手紙 4:6)この顔から、この天主の聖なるまなざしから、なんと甘美で、なんと美しく、なんと善良な光が放たれていることか!イエズスは、罪人、迷える羊、人間の苦しみを探し出し、癒す憐れみそのものである。誰がそのまなざしに抗えるだろうか?
永遠の父よ、私はそのまなざしに宿るすべての聖なる恵みを御身に捧げ奉る。イエズスよ、御身の聖なる顔を罪人に向け給え。そして、御身の優しい恵みが彼らの頑なな心を貫きますように。
第七留 イエズスはふたたび倒れ給う
あらゆる罪は、天主の似姿に創造された霊魂を汚す。霊魂は天主の愛へと昇るどころか、罪によって自らを堕落させ、卑しい地上のあらゆるものに喜びを見出す。罪によって、霊魂はその使命から堕落し、滅びてしまう。救い主は、われらの盲目を贖い、われらが天主のために造られたことを悟る恵みを得るために、再び転倒されることを受け入れられた。
永遠の父よ、救い主を道の塵に沈める御身の正義を崇め、御身に祈り奉る。御身の聖なる御旨に従うことによって、私が天主の愛へと昇ることができるよう、助け給え。
第八留 イエズスはイスラエルの娘たちを慰める
「なぜ、兄弟の目にあるわらくずをみて、自分の目にある梁に気をとめないのか。」マテオによる福音書 7:3
われらは皆、自分の欠点よりも他人の欠点に目を向けるという極端な傾向があり奉る。それゆえ、主はわれら一人ひとりを見つめ、「自分のために泣け!」と言われ奉る。
永遠の父よ、寛大な霊魂に寄り添い給い、自らの苦しみをすぐに忘れ給う御子イエズスのあらゆる善意を御身に捧げ奉る。われらがまず何よりも責任を負わなければならないのは、われらの霊魂である。であるから、まず最初に涙を流すべきは、われらの霊魂についてである。
第九留 イエズスは三度倒れたもう
あらゆる罪はしばしば隣人に悪影響を及ぼし、彼らをも罪に陥れる。隣人を徳と善へと導くどころか、私はしばしば彼らをつまずかせる原因となってしまう。イエズスは、私の罪が他者に及ぼす影響を償うため、三度目の十字架に倒れることを受け入れられた。
永遠の父よ、十字架の重みで再び救い主を圧倒する御身の聖なる正義を崇め奉る。イエズスの聖なる功徳によって、私の罪が隣人の霊魂に及ぼす影響を償ってくださるよう、御身に乞い願い奉る。
第十留 イエズスは衣を剥ぎ取られる
新しい人、天主の子となるためには、われらの中にある古い人、罪の人を脱ぎ捨て、主イエズスの恵みと聖性を身にまとわなければならない。われらの罪を背負って衣を剥ぎ取られた救い主の姿は、この第一歩を象徴してい奉る。第二歩は復活である。
永遠の父よ、われら一人ひとりに成し遂げるべき業を明らかにしてくださる御身の聖なる知恵を敬い、私の中に残る三つの邪欲(すなわち、肉の欲、目の欲、生活のおごり)を持つ罪の人間をより完全に脱ぎ捨てることができるよう、御身に懇願し奉る。
第十一留 イエズス、十字架に釘付けにされる
人は罪によって、天主の聖なる御旨に背き、天主の御稜威(みいつ)を冒涜する。それゆえ、天主の怒りがその非難の重みをもって罪人に降りかかり、彼を滅ぼし、打ち砕き、消滅させるのは当然のことである。
イエズスは、われらの霊魂への愛ゆえに、われらの代わりに十字架につけられ、苦痛に打ち砕かれ、頭からつま先まで引き裂かれ、苦しみの床に釘付けにされることを受け入れられ給うた。
永遠の父よ、救い主の犠牲を捧げることを要求された御身の無限の正義を、われは礼拝し奉る。御身の天主なる御子の無限の功徳をわれにも適用し給わんことを懇願し奉る。
第十二留 イエズス、十字架上で息を引き取る
天主は無限の愛であり、その本来の傾向は善を行うことである。しかし、罪は天主の正義の行使を要求する。正義が行使されても、愛はそれでもう何もすることができないわけではない。十字架の上で、正義を満たした後、愛は憐れみを通して勝利を収める。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか知らないからです。」(ルカ23:34)
永遠の父よ、私はあらゆる瞬間に、御身の限りない憐れみを歌いたい。われらの愛、希望、喜びはすべて、この憐みの驚くべき完全さに根ざしてい奉る。
第十三留 イエズスは聖母の腕に抱かれる
天主の当初の計画では、アダムはエワを通して新しい命を与え、エワはアダムの導きのもと、その子を育てることになっていた。天主の知恵はこの計画を驚くべき方法で回復し給うた。新しいアダムによって得られた恵みの命は、新しいエワを通してわれらに与えられる。
エワはまた、イエズス・キリストに倣うことに集約されるわれらの教育を導く責任も担っている。
永遠の父よ、御身の聖なる知恵と摂理に、心から賛美を捧げ奉る。聖母マリアにわれを委ねることで、御身は御計画を守り、同時に、力強く母性的な保護でわれを包み込み給え。
第十四留 イエズスは墓に葬られる
なぜ復活は三日目に起こるのだろうか?創造が三位一体の天主の御業であったように、罪深い人類の回復もまた三位一体の天主の御業であり、それは復活において頂点に達する。
天主なる救い主よ、御身は放蕩息子のたとえ話の中で「あなたはいつも私といっしょにいたから、私のものはみなあなたのものだ」(ルカ15:31)と言われ給うた。ねがわくは、日々、御身の御霊、御身の徳、御身の功徳を少しずつわれにまとわせ給え。されば、われは永遠に聖三位一体を賛美する、天主のふさわしい子となることができるだろう。
最後の祈り
わが天主よ、この救いの御業を通して、御身は輝かしい御自身の無限の完全さをわれらに示し給うた。
主イエズス・キリストの受難という、この憐れみの傑作を、聖なる三位一体よ、われらは御身を崇め、賛美し、栄光をささげ奉る。
「私たちの父なる天主および主イエズス・キリストから、あなたたちに思寵と平和があるように。主は、私たちの天主であり父であるもののみ旨によって、私たちをこの悪の世から救い出すために、私たちの罪のためにご自分をお与えになった。天主に、世々に光栄がありますように。アメン。」(ガラチア1:3-5)
主祷文 - 天使祝詞 - 栄光唱