使徒聖ヨハネと主イエズスの愛の掟
2025年12月27日 使徒福音史家聖ヨハネ
トマス 小野田圭志神父説教 聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆さま、今日は使徒聖ヨハネの祝日を祝っています。聖ヨハネという方は、どういう方か知っていますか?
聖ヨハネは非常に若い頃、まだ十五歳か十六歳、ちょうど高校に入るか入らないかぐらいの若い青少年だった頃、すでに洗者聖ヨハネの弟子でした。そして、洗者聖ヨハネのすぐ近くにいて、お祈りの生活をよくしていました。洗者聖ヨハネから「天主の小羊を見よ!」(ヨハネ1章36節)と言われて、イエズス様が指し示された時、非常にその言葉に印象を受けて、イエズス様のところに行きます。
「ラビ、あなたはどこに住んでいるのですか?」するとイエズス様は、ヨハネとその兄弟ヤコボを見て「見に来い」と招待します。その時、午後の四時だったと聖ヨハネは記録を残しています(ヨハネ1章38-39節参照)。こうやってイエズス様から選ばれた、使徒として招かれた最初の弟子たちの一人でした。
聖ヨハネは記憶力がとても良くて、イエズス様に出会ったその時のこと、克明に記録しています。よく覚えています。聖ヨハネが亡くなったのは100歳以上だったのですけれども、福音を書いた時には、まだ若い時にどうやってイエズス様と出会ったのかそのことを書いています。イエズス様との出会い以降、いつもイエズス様と生活を共にしました。他の三人の福音史家、聖マテオ・聖マルコ・聖ルカが書いていないようなことも、後に聖ヨハネは書きます。
「はじめにみことばがあった。みことばは天主とともにあった。みことばは天主であった。みことばははじめに天主とともにあり、全てはみことばによって創られ、みことばによって創られなかったものはなかった。」(ヨハネ1章1-3節参照)
イエズス様のことをいつも思って、黙想して、観想して、そしてその実りを書いたかのようです。ですから、聖ヨハネのことはいつも鷹にたとえられます。何故かというと、聖ヨハネの福音は、いつも天高く、イエズス様のすぐ近くに飛び舞う鷹のような描写があるからです。イエズス様が最後の晩餐の時になさった司祭としての祈り、あるいは新しい掟を与えられたこと、洗足式のことなど、克明に記録しています。
使徒聖ヨハネは、イエズス様から特に愛された弟子で、イエズス様が洗礼を受けたそのことを見たのみならず、あるいはイエズス様が死者を復活させたその目撃をしたのみならず、あるいはタボル山で御変容した時、選ばれた三人のうちの一人だったのみならず、ゲッセマニの園でも、イエズス様のすぐ近くで祈りをするようにと招かれた三人のうちの一人でした。
最後の晩餐の時には、イエズス様のすぐ近くで、横でその頭をイエズス様の胸に置いて、イエズス様の聖心の鼓動を聞いたのも使徒聖ヨハネでした。
そしてついには、マリア様とともに十字架の足下で一緒に、イエズス様と共におられたのも、使徒聖ヨハネです。イエズス様から最後にはマリア様を委ねられました。「これはおまえの母だ」と。ですから、聖ヨハネはマリア様を最後までお世話をした特別の弟子です。
聖ヨハネは、後にエフェゾなどに行って宣教するのですけれども、殉教の危険があったにもかかわらずそれを乗り越えて、そして最後には主の平和のうちに亡くなります。最後にはパトモス島というところに行って、特別のビジョンを観て、黙示録という本を書きます。カトリック教会のキリスト教の歴史、世の終わりなどについてのことを記録したものです。預言の書です。
使徒聖ヨハネは書簡も書きます。その書簡で何を訴えるかというと、それは主を愛することでした。「私が主から受けたのはこれだ、この掟だ。互いに愛し合え。主が私たちを愛されたように、私たちも互いに愛し合わなければならない。
愛する者よ、たがいに愛せよ。天主がこれほどに愛されたのなら、私たちもまたたがいに愛さなければならない。天主を愛する者は、自分の兄弟も愛せよ。これは私たちが天主から受けた掟である。」(1ヨハネ4章参照)と言っています。
では、今日は、使徒聖ヨハネの祝日にどんな遷善の決心を立てたらよろしいでしょうか? 使徒聖ヨハネは私たちに何を教えているでしょうか?
それは、イエズス様のために生きる生活はとても幸せで、ここにこそ本当の喜びがあるということです。イエズス様を愛するというのはどういうことでしょうか?
ヨハネは書いています。「私を愛するならば掟を守れ」(ヨハネ14章参照)と。罪ではなくて、イエズス様のためにいつも良いことをする。もしも罪の誘惑があったら、イエズス様のためにこれと戦う。もしも目を汚すようなものがあるとしたら、イエズス様を愛するためにこれを止める。あるいは耳を汚すようなものがあるとしたら、イエズス様のためにこれを聞かない。もしも口を汚すようなことを言ってしまうとしたら、イエズス様を愛するためにこれを言わない。イエズス様のためにこの心も体も全て清く保つ。イエズス様のためにそれをする。これがイエズス様を愛するということです。使徒聖ヨハネはこれを言っていました。
ですから私たちも、イエズス様を愛するために、いつも掟を守りますように。そして罪の機会を避けて、私たちの義務をよく果たすことができるように、特に聖ヨハネにお祈りしましょう。そして、聖ヨハネが特別に愛されたマリア様にも、お祈りいたしましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。