聖なる司祭を得るために私たちがすべきこと

ソース: FSSPX Japan

2026年4月19日  御復活後第二主日

トマス 小野田圭志神父説教  日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日は良き牧者の主日です。

【良き牧者は羊のために命をあたえる】

イエズス様はおっしゃいます。

「私は、羊たちに命を、豊かな命をあたえるために来た。私は良き牧者で、良き牧者は羊のために命をあたえる。」

イエズス・キリストは、私たちに永遠の命を与えるために、天主でありながら人間となりこの地上に来られました。そして、この地上での生活の終わりには、私たちの罪の償いとして、私たちの代わりに十字架で苦しまれ、命をお捧げになりました。そればかりではなく、私たちを霊的に養うために、秘跡を通して、御自分の御体と御血を私たちに与え続けてくださっています。

「良き牧者は羊のために命をあたえる」

イエズス様はまさに良き牧者です。これこそがイエズス様に倣う司祭のイメージです。何故ならば、司祭たちもまたイエズス様のように、霊魂たちの永遠の救いのために命を捧げなければならないからです。

私たちの人生の目的はたった一つしかありません。永遠の命です。私たちはこの地上に永久にいつまでも生きているわけにはいきません。誰しも必ず、この世界に「さようなら」を言わなければならない日が訪れます。その後、待っているのは永遠の世界です。

イエズス・キリストが人となりこの地上に来られたのは、私たちに豊な命を与えるためでした。永遠の命を与えることがイエズス様の使命であり、それ以外の目的はありませんでした。そしてそのためにこそ、イエズス様はカトリック教会を創立されました。

では、その永遠の命のためにイエズス様がすべてをしてくださったから、私たちは何もしなくてよく、ただお受けするだけでいいで良いのでしょうか?

いいえ。私たちも、永遠の命の獲得のため、私たちの救いのために協力しなければなりません。イエズス・キリストを信じ、善行を行わなければなりません。しかし、それだけではありません。イエズス様は私たちの中から特別の霊魂をお選びになり、ご自分を慕い、その跡に従う生き写しを、司祭という第二のキリスト(alter Christus)を必要としています。そしてその司祭たちの協力を求めています。私たちは決して傍観者であってはならないということです。

1970年、ルフェーブル大司教様は、スイスのエコンに聖ピオ十世会を創設しました。その目的は、聖木曜日にイエズス・キリストが制定されたカトリックの司祭職を、その教義の純粋さを保ちながら、教会が二千年間信じてきたこと、行い続けてきたことを何も変えることなくそのまま続け、宣教の愛徳をもって伝えるためです。何故ならば、その当時、すでに第二バチカン公会議の直後から、ローマの神学校でさえも、カトリックの純粋な教えが教えられていないと、多くの神学生たちがルフェーブル大司教様に助けを求めたからです。その神学生たちを助け、教会の2000年の聖伝の教えを伝えるために、ルフェーブル大司教様は腰を上げ、愛徳をもって聖ピオ十世会を創立しました。聖ピオ十世会の創設から55年経った去年(2025年)の統計によると、聖ピオ十世会には 735人の司祭たちがいます。また、数百名の聖ピオ十世会のシスターたち、奉献修道女たち、ブラザーたちもいます。これは本当に、天主からのお恵みの奇跡と言わなければなりません。

【司祭の必要性】

しかしながら、今カトリック教会が必要としている現状を見ると、この数は微々たるものです。何故ならば、今日、非常に多くの信者たちが、純粋なカトリックの教義を宣教の愛熱をもって伝える牧者たちを探しているからです。言い換えると、世界中の小教区で、カトリック教会が教え続けてきたことをそのまま教え、実践するような司祭がいないということです。霊魂たちは飢え渇いていますが、彼らに霊的な糧を与える者は誰もいません。霊魂たちは病んでいますが、彼らを癒す霊的な医者はほとんど残っていません。霊魂たちは暗闇の中にいますが、天国への道を示す案内人を見つけることができないでいます。私も、聖ピオ十世会の神学校に入る前はそうでした。故郷で、あるいは東京で過ごした大学時代、良い司祭を探し求めましたが、見つけることは叶いませんでした。

アルスの聖なる司祭、聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネ神父様は、かつてこう言いました。

20年間も司祭のいない教区をそのままにしておけば、人々は動物を崇拝するようになるだろう。」

聖なるカトリック教会には、多くの聖なる司祭たちが必要です。私たちの永遠の命がかかっているからです。取り返しのつかない永遠がかかっているからです。私たちの人生はたった一度、私たちの霊魂は一つしかありません。この霊魂を救わなければなりません。そのためにこそ、イエズス・キリストは十字架につけられて、すべての御血を流されたのです。たとえ全世界をもうけても、私たちが霊魂を失えば、それがいったいなんの利益になるのでしょうか?

私たちには、どうしても霊的な医者が必要です。私たちを養い、守る良き牧者が必要です。

では、私たちはどうすれば多くの聖なる司祭たちを得ることができるのでしょうか?

【祈り】

イエズス様は、私たちに解決策をすでに教えてくださっています。主は言われます。

「刈り入れは多いが、働く人は少ない。だから、刈り入れの主に、働き人を刈り入れにつかわしてくださるように祈れ」(マテオ937節)と。

司祭不足のために、極めて効果的な対応策があるのです。それは祈りです。私たちが子供であろうと青年であろうといくら年を重ねていようと、病気を始め、私たちが今どのような状態に置かれていようとも、聖なる司祭を得るために、私たちは皆、効果的に働くことができます。私たちは毎日、天主が刈り入れのために働く人を送られるよう祈り、懇願しなければなりません。

現代世界に司祭職への召命が少なく、聖伝に忠実な司祭たちが不足しているのは、第一に、私たちが司祭を得るため十分に祈っていないからです。祈りこそが、召し出しが生まれるために必要な超自然的な条件です。

これについては、非常に素晴らしい模範があります。イタリアの北部のルー(Lu)という寒村の話です。このルーという村は、四千人しか村人がいません。しかしこのちっぽけな村は、50年間で500人の司祭そして修道者の召命を出し続けました。毎年毎年、司祭の初ミサがこの村で行われていました。その周りはそうではありませんが、その村だけではそうでした。何故かというと、この村のお母さんたちが、いつも召命のために一生懸命祈っていたからです。

【家庭での教育】

先週、エコンの神学校の校長であるド・ラコスト神父様は、召し出しを得るために必要な第二の条件について教えてくださいました。それは、召し出しが家庭教育に大きく左右されるということです。もちろん、そうでなくても召し出しを得ることができますが、しかし聖なる家庭であればあるほど、お父さんとお母さんが熱心であればあるほど、多くの召し出しが与えられると教えてくださいました。家庭の教育は、召し出しが生まれるための自然の条件です。ド・ラコスト神父様は、特に子供たちをお持ちのお父さんとお母さん、あるいはこれから結婚しようとする方々には、家庭で三つの福音の勧告を大切にするようにおっしゃってくださいました。ぜひ子供たちに「清貧・貞潔・従順」の大切さを教えてあげてください。家庭において、この三つに名誉ある地位を与え、子供たちに模範を示してあげてください。

【清貧】

まず清貧についてです。福音書には、天主の十戒に忠実な裕福な青年が、主イエズスに「永遠の命をうけるために、私はどんなよいことをすればいいのでしょうか?」(マテオ1916節)と尋ねる場面があります。主は彼に「あなたが命にはいりたいのなら、掟を守れ」とお答えになると、若者は「私は小さい時からそれをみな守ってきました。その他に足りないことがあるでしょうか」と言うのです。そこでイエズスは「あなたが、もし完全になりたいなら、もちものを売りにいき、貧しい人々に施しをせよ。そうすれば、あなたは天に宝をつむだろう。それから、私について来るがよい」と仰せられます。このみことばをきいて、若者は悲しそうに去っていきます。かれは大金持だったからです。この若者は、物質的な所有物に執着しすぎたために、イエズスからの愛の呼びかけ、天主からの召し出しを拒否してしまいました。贅沢と快適さは、私たちを地上に縛り付け、天主を第一にすることを妨げ、天主への献身を困難にしてしまいます。天主からの召し出しに応える人々は、真の富とはこの世のものではなく、永遠に続くものであることを理解しています。

お父さんとお母さんたち、ぜひ子供たちに、この地上の富は永遠には続かないことを教えてあげてください。永遠に続く本当の富があります。この地上の物はすべて、私たちの究極の目的ではなく、あくまでも天国への道具・手段にすぎないことを、自身の模範をもって教えてあげてください。

【貞潔】

次に貞潔についてです。副助祭に叙階される時、この将来の司祭は貞潔の誓いを立てます。結婚を永遠に放棄し、二心なく、完全に天主に心を捧げます。この世がますます情欲と放蕩の中にはまり込んでいく現代世界において、輝かしく喜びに満ちた司祭の貞潔の模範がますます必要不可欠となります。

今、現代世界は、あまりにも簡単に貞潔に反するものが目に入るような環境が作られています。たとえば、インターネットやテレビ、映画などは、年端のいかないような純粋な子供たちの霊魂たちをも腐敗させようと、悪の手を伸ばしています。肉欲に身を任せ、情欲に溺れ、スマートフォンやパソコンの画面を通して容易に手に入る不純なものに触れ、霊魂を汚すことに慣れきった若者にとって、そのような天主への奉献は一体どうして可能なのでしょうか?

ですから、お父さんとお母さんたち、どうか子供たちがそのような悪い機会に触れて、不純と不潔の奴隷にならないよう注意し、助けてあげてください。新しいテクノロジーの使い方については、毅然とした態度で、お子さんたちに厳しく接してください。子供たちは、最初は反抗するかもしれませんが、10年後には、お父さんとお母さんたちの厳しさに感謝するでしょう。インターネットを健全に使う模範を示してあげてください。

また、残念ながら日本の社会においても、たとえば電車に乗ると、目の置き場に困るような服装をしている方たちを目にすることが多々あります。最も大切なものがいったい何であるか、私たちは本当に理解しているでしょうか?

お父さんお母さんたち、何よりも、純潔の徳は天主への愛に基づいていることを子供たちに教えてあげてください。純潔の徳は、天主への愛からこそ生まれます。主を愛するからこそ、肉の快楽を避け、罪を避けるのだということを教えてあげてください。真の愛徳がなければ、貞潔とは何かを理解しがたいものです。

過去2000年にわたり、何百万もの青年たちや若い女性が、心から主を愛したからこそ、肉の快楽を捨てて王の王に身を捧げ、報いを受けてきました。何故ならば、イエズス・キリストは、最高の夫や最も優しい妻よりも、霊魂を限りなく満たしてくれる配偶者だからです。純潔の徳は、努力と犠牲によって獲得されます。十代の若者が、地上の良いものを断ち、悪い傾向と勇敢に戦って克服するように努め、特に苦行を通して克己の精神を身につけるならば、天主の御助けによって、純潔を保つことができるようになるはずです。そして、もしそのようにするのであれば、天主からの召し出しがあると感じたときに、若き青少年たちは「はい」と簡単に答えることができるでしょう。

【従順】

最後に従順です。私たちは皆、現代世界の申し子です。私たちは、長上の命令に従うよりは、自分の考えに従おうとしがちです。指導者に従うよりも批判しがちです。現代世界は、自分の思い通りにすることが良いことであるかのように私たちを洗脳しようとしていますが、本当はそうではありません。そうすればするほど、私たちは逆に自分の欲望の奴隷になってしまいます。

私たちの主イエズス・キリストは、従順の模範を示されました。主は、マリア様と聖ヨセフに従順でした。主は十字架の死に至るまで従順でした。司祭は alter Christus 第二のキリストです。司祭は自分の意志を捨てなければなりません。これは幼い頃から学ぶべきことです。

親が子供のわがままに屈してしまうと、子供は自分を押さえることができなくなってしまいます。そうして、子供は自分の意志の奴隷になってしまいます。

私たちにとって、本物の自由とは従順です。従順こそが、私たちに天主の定めた道を歩ませ、真の自由へと導いてくれます。

【司祭の受ける二つの権能】

多くの人々の祈りと、素晴らしい家庭環境に支えられて、若者たちが天主の召し出しを感じるときがあるでしょう。キリストに倣いたいと、世俗への愛着を放棄し、主を愛するがために純潔を愛し、天主の御旨に寛大に応え、従順に従おうとするときが来ることでしょう。そのような青年たちは、指導司祭の助言のもとで神学校に入ります。神学校では聖徳と神学の知識を深め、ついに司祭職の叙階の秘跡のお恵みを受ける日が訪れます。そして、司祭たちは、たとえ貧しく罪深い憐れな人間にすぎなくても、叙階の秘跡によって天主から驚くべき二つの神聖な権能を授けて頂きます。

第一に、御聖体を聖変化させる権能です。司祭がホスチアを手に聖変化の言葉を唱えるとき、その直後、小さなパンの形相の下に、イエズス・キリストの御体が、その実体が、真に現実に現存するようになります。カリスに入れられたワインも司祭の権能でイエズス・キリストの御血に聖変化します。このように、司祭はカルワリオのいけえにえを新たにし、十字架から流れ出るすべての聖寵を霊魂たちに注ぎ込むという、神秘的で畏敬すべき権能を与えて頂きます。司祭は、全世界を新たに、聖なるものとする天主の御業に参与させて頂けるのです。

第二は、告解室において行使される聖なる天主の権能です。それは、悔い改めた罪人が、深い痛悔の念をもって司祭に罪を告白するときに、罪の赦しを与える権能です。たとえ、私たちが犯した罪がどれほど恐ろしく、大きく、数えきれないほどあったとしても、司祭は「聖父と聖子と聖霊との御名によりて、私はあなたの罪を赦します」との言葉を通して、それらの罪のすべてを瞬時に赦すことが許されています。これは、私たちの主イエズス・キリストが、十字架の上で流された御功徳によって、カトリック司祭のみに与えられる特別な力です。

こうして、告解の秘跡によって罪の赦しを受ける罪人たちは、天主の光に照らされ、天主のお恵みに力づけられ、天国への道を再び歩み出すことができるようになります。永遠の命へとまっすぐに導かれていきます。

また、司祭自身も、罪の赦しを与えてくれる他の司祭を必要としています。だからこそ、叙階の秘跡を与えてくださった天主の御摂理に、私たちはどれほど感謝しても感謝し尽くすことはできません。私たちは、天国で永遠にこのお恵みを天主に感謝することでしょう。

アルスの聖なる司祭はこう叫びました。

「良き牧者、天主の聖心にかなう牧者(聖なる司祭)!これこそが、天主が小教区に授けてくださる最大の宝であり、天主の憐れみの最も尊い賜物(プレゼント)の一つである!」と。

【修道女の召命】

ところで、司祭だけでは足りません。カトリック教会は、祈りと犠牲を通して、自分を天主と霊魂たちのために完全に捧げる、奉献された童貞女たちをも必要としています。カトリック教会は、修道院の沈黙の中で祈り、あるいは使徒職の活動を通し、喜びをもって寛大に世俗を捨て、天主に自分を奉献する霊魂たちを、特に司祭たちのために祈る多くの若い女性たちを必要としています。

幼きイエズスの聖テレジアは、修道誓願の前にこう宣言しています。

「私は霊魂たちを救うために、そして特に司祭のために祈るために、カルメル会に来ました」

また聖テレジアは、姉妹セリーヌにこのような手紙を書き送っています。

「カルメル会の私たちの使命は、何百万もの霊魂を救う、福音のために働く人たち(司祭たち)を祈りで育成することです。私たちはその霊魂たちの母親となるのです。」

幼きイエズスの聖テレジアがよく理解していたように、もしも司祭のために祈る人がいなければ、司祭たちは決して、聖なる司祭に、そして聖人になることもできません。もし、私たちが良き牧者である聖なる司祭たちを必要としているならば、さらに、その司祭たちが、司祭職と信仰の戦いとに忠実であり続けることを願うならば、司祭たちのために祈る多くの霊魂たちが必要です。そして、司祭たちのためにたくさん祈ってください。

教会が始まって以来、悪魔は司祭たちに対して激しい攻撃を仕掛けています。マリア様も、秋田の地で同じことをおっしゃっています。「悪魔は、奉献された霊魂たちに特別の攻撃をかけている」と。軍隊を打ち破るためには、一般兵士ではなく将校を狙います。私たちは闇の勢力と戦っています。司祭たちは、信徒以上にこの戦いの最前線に立っており、日々、激しい攻撃にさらされています。悪魔は、司祭たちのカトリック教義への健全さと、道徳的な聖徳を破壊しようとしているのです。

しかし、愛する兄弟姉妹の皆様、ご安心ください。私たちの主イエズス・キリストの御力は、教会の敵よりもさらに力強く、キリストの聖寵によって、司祭たちは悪魔の最悪の誘惑にも攻撃にも打ち勝つことができます。ルフェーブル大司教様は、幾たび、狼のような者たちから羊を奪おうとする攻撃を受けてきたことでしょうか。それにもかかわらず、ご自分のすべてをかけて、羊たちの霊的な命を守るために逃げませんでした。これもキリストのお恵みのお陰です。また、ルフェーブル大司教様が創立した聖ピオ十世会が、2026年の今でも、ローマ・カトリックの聖伝に忠実であり続けることができるのも、すべては天主が支えてくださっておられるからです。

【遷善の決心】

では、最後に遷善の決心を立てましょう。

特にマリア様にお祈りいたしましょう。何故ならば、すべてのお恵みはマリア様を通して与えられるからです。そして、召命とはすべてのお恵みの中でも特別に優れた、すべてに勝るお恵みであり、マリア様からの特別なお恵みだからです。召命は、マリア様の使命に直接対応しています。マリア様は天主の御母であり、マリア様が天主の御母であることは、マリア様のすべての特権の中で最も重要なものです。マリア様には唯一の使命があります。それは、この母性を時の終わりまで継続することです。マリア様の使命は、歴史を通して、主イエズス・キリストの姿をすべての霊魂に再現し続けることです。私たち一人ひとりを聖母の子に変えることです。

私たち一人ひとりは少しずつ変容し、主へと形作られなければなりません。主の生き写しとなり、主の御姿、主の聖徳の輝きとなる必要があります。この使命は、特定の方法で、司祭になるよう召された人にも当てはまります。何故ならば、司祭は主の最初の生き写し、主の主要な生き写しだからです。

主が御托身されたその瞬間、主は二つの本性を天主のペルソナにおいて結合されましたが、そのとき、主はすでに大司祭でした。そして、マリア様は、主をベトレヘムでお生みになったときは、痛みもなく、奇跡的な仕方でお生みになりました。しかし、主の十字架の足元においては、苦しみの中で、母親にとっては最も恐ろしい悲しみの真っ只中で、霊的に私たち一人ひとりをお生みになります。

マリア様に、私たちの霊魂を大司祭イエズス・キリストへと変えて頂くことは、霊魂が清くなければ不可能です。霊魂、心、愛情を汚すものは何であれ、主への変容のためには妨げとなるからです。この理想、この意図、この決意をもって、青年たちは神学校に入学し、司祭の生涯を通してこの理想を持ち続けなければなりません。悪魔はあらゆる手段を講じ、少しずつ私たちにこれらの考えを失わせようとします。小さな誘惑、小さな苦行の欠如、警戒心の欠如によって、私たちを屈服させようとします。悪魔は最後まで全力を尽くしますが、だからこそ、私たちはマリア様の保護を必要としているのです。マリア様に多くの若い霊魂たちのために取り次いでくださるようにお祈りいたしましょう。何故ならば、マリア様は罪の汚れのない御方だからです。マリア様の御保護、お恵み、力、母性なしに、私たちの霊魂を守ることは不可能です。私たちが守るべき離脱の心、貞潔と従順の精神を実践することができるようにしてくださるのもマリア様のお恵みです。マリア様は、すべての召命の背後で、最後までこの召し出しを守ることができるように特別のお恵みを与えてくださる御方なのです。

聖職者の元后よ、私たちに多くの聖なる司祭を与え給え!

「私は、羊たちに命を、豊かな命をあたえるために来た。私は良き牧者で、良き牧者は羊のために命をあたえる。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。