聖母の汚れなき御心を通して2025年を聖化する

ソース: FSSPX Japan

聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)のステンドグラス

2025年1月1日 主の御降誕の八日目 聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)ミサ説教

トマス小野田圭志神父

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日は、主の御降誕後の八日目です。

特に2025年は聖年、聖なる年ですから、わたしたちはこの聖なる年をもっともイエズス様の聖心に相応しいものとして過ごすように致しましょう。日本の言い方で「一年の計は元旦にあり」とも言いますから、最初が肝心だと考えております。

ですから、今日から一月四日初土曜日まで、小黙想会を提案します。この黙想会を通して、この一年をすでにマリア様の汚れなき御心にお捧げいたしましょう。

ファチマのマリア様は「天主はこの地上に聖母の汚れなき御心への信心を確立させることをお望みだ」と知らせてくださいました。マリア様がおっしゃるには「もしもわたしたちがこの望みを果たすなら、多くの霊魂が救われる、つまり天国の永遠の福楽を得ることができる、また地上にも平和がやってくる」と約束されました。

さもなければ…マリア様がおっしゃるには…さもなければ「多くの霊魂が永遠に失われてしまう、つまり地獄に堕ちてしまう。またロシアが誤謬を広めるだろう、つまり無神論や共産主義の思想を広めるだろう。そして絶え間ない戦争、おそるべき飢饉・飢餓、また教会に対する想像を絶するような迫害があるだろう。」とも警告されました。

ですから私たちは、この聖年に、ファチマのマリア様の御望みを果たしたいと思っています。わたしたちがこの聖母の汚れなき御心聖堂で行う今年の初土の信心、聖母の汚れなき御心への信心は、わたしたちにとって、また日本にとって、全世界にとって、とてつもないお恵みの泉となります。

聖ヨハネ・ユードは聖母の汚れなき御心への信心に非常に熱心な聖人でしたが、彼は、「聖母を祝ういろいろな祝日の中で、マリア様の御心の祝日こそがその本質であって、すべての祝日の女王だ」と言っています。

聖ヨハネ・ユードによると「なぜならば、心というのは、愛の座であるからだ」と言います。また聖ヨハネ・ユードの理由をもっと説明すると「すべての善徳の女王というのが愛徳であって、愛徳こそがすべての聖寵の根源であるから、だからマリア様の御心の祝日が最も大切だ」というのです。

確かに、主イエズス・キリストは幼子としてわたしたちの間にお生まれになりましたが、それは、御自分の御受難と御血の値をもってわたしたちのために聖寵と祝福を勝ち取るためでした。勝ち取って、わたしたちに与えることができるためでした。ですから、主の得た聖寵・祝福というものは、とてつもなく貴重なものです、高価なものです。

今日、主の御降誕後の八日目、人間となった天主の御言葉は、イエズスという名前を受けました。イエズスというのは、「ヤーウェは救う」という…つまり「救い主である」という意味ですが、この名前を受けるために、イエズス様は最初に御血を流されました。割礼を受けたからです。

聖ペトロは、イエズスというこの救い主という名前について、こう言っています。「救いは主以外の者によっては得られません。全世界に、私たちが救われるこれ以外の名は、人間にはあたえられませんでした。」

この救い主がわたしたちに与えてくださる聖寵・祝福…これをわたしたちが受けようとするなら、マリア様の御心を通して受けなければなりません。

ですから、今年の初土、一月四日は、わたしたちすべてにとって、選び抜かれたお恵みのそして祝福の大海原となります。この貴重な恵みの贈り物・賜物を、わたしたちは良い準備をして、注意深くこれを受け取ることにいたしましょう。この準備のために、聖ヨハネ・ユードに従って三つを提案します。まず謙遜、次に熱望、第三に聖人との一致です。

(1)【謙遜】
聖ヨハネ・ユードによると、わたしたちはまず謙遜でなければなりません。貴重な贈り物を受けるには、それが貴重であればあるほど、わたしたちは謙遜でなければならないといいます。なぜかというと「そのような貴重な御恵み・聖寵というのは、罪のない聖なる方々・聖人の方々、あるいは愛に燃える天使たちのようにケルビム・セラフィンなものにとってこそふさわしく、罪深いわたしたちには 主に逆らってきたわたしたちにはふさわしくないからだ」というからです。

またわたしたちは、かつて貴重な恵みをいただきながらそれをあまりにも無駄にしてきた、あるいはそれらをあえて拒んできた身分であるからです。ですから、イエズス様が今年わたしたちに与えようとお望みになっているお恵みを受けるために、わたしたちはこれを拒んではなりません。それを謙遜に、天主の御前で、その寛大なるかたじけない愛の御前で、深くひれ伏してそれをお受けしなければならないと言います。

(2)【熱望】
第二に、聖ヨハネ・ユードが言うのは、熱望です。わたしたちは、聖なる年の最初の土曜日を、それに相応しい信心をもって祝いたいと思います。

聖母の汚れなき御心を愛したい、それに償いを捧げたい、という熱烈な望みをわき起こしましょう。それに従って、わたしたちは、主と聖母を悲しませるようなことを避けて、わたしたちの思いや、言葉、行い、愛情をすべて主に向けて、かつて主に対して犯した罪の赦しを請い求めましょう。

(3)【諸聖人との一致】
第三に、聖人との一致です。聖ヨハネ・ユードは、私たちにこのようなアドバイスをしています。「もしも私たちが自分の心の愛情だけで聖母の素晴らしい御心を祝うのならば、あまりにも貧しすぎる。さもなければ無に等しい。だからできる限り天と地にある全ての宝を使うべきだ。」と。

えっ、天と地の宝を!? なぜ私たちが使うことができるのか?
聖パウロはこう言っている、「万物はあなたたちのものである」(コリント前3:22)。
また聖パウロはこうも言っている、「ご自分のみ子を惜しまずに私たち全てのために渡されたお方が、かれとともに他の全てを賜わらないはずがあろうか」(ローマ8:32)。

だから、聖ヨハネ・ユードは言葉を続けてこう言うのです、「天におられる私たちの母を讃えるために私たちには全てのこころを使う権利がある」と。

ですから「すべての天使たち、太祖、預言者、使徒、殉教者、証聖者、童貞女、すべての聖なる司教・司祭・聖職者たち、聖母に特別に捧げられた聖人たち…などなど、彼らすべての愛と信心とを、私たちの拙い愛と信心とに結び合わせて、一致して祝え!私たちの心も体も霊魂も、すべてを三位一体の無限の愛に捧げて、天主さまのもっとも気に入るやり方で、聖母の汚れなき御心を讃えるように乞い願え!」聖ヨハネ・ユードはわたしたちにアドバイスをしています。

(4)【沈黙の精神】
では最後に、わたしたちはこの聖なる年をよく過ごすために、またこの小黙想会をよく過ごすために、沈黙についても提案します。

一年間の聖なる年を沈黙を通して過ごすことはもちろんできませんし、また小黙想会は大沈黙を守るようなりっぱな黙想会ではありません。しかし、天主・三位一体は、騒音の中で私たちに語りかけることはなさいません。ですから、沈黙の精神というものが非常に大切です。これはわたしたちが生涯に亘って持つべき精神だともいえます。

なぜかというと、イエズス・キリスト様は私たちに語りかけるために、多くの重要な真理をわたしたちに伝え教えるために、人となってこの地上に来られました。しかし、主は、この世に来られたその瞬間でさえも、沈黙のうちにお生まれになりました。御生涯の大部分を沈黙のうちに過ごされました。30年間の隠れた御生活、40日間の砂漠での祈り、痛々しい御受難、すべて沈黙のうちにお捧げになられました。三人の博士たちがはるばる東の国から礼拝に来られたときも、ヘロデが主を殺害しようと探し回った時も、主は沈黙のままでした。御復活されて、いまでも天国に、また御聖櫃のうちに、天主御父を礼拝するために沈黙が最高の手段だと知っておられたからです。

また、舌によって犯される罪を償うために沈黙が必要である、とご存じだからです。冒涜や、不敬、悪口、讒言(ざんげん)、偽証、邪悪な誓い、嘘、詐欺、不平、嘲(あなど)り、嘲笑(ちょうしょう)、不潔な言葉、暴言などなど、みな言葉によって侵されるからです。

また、言葉というわたしたちが天主から受けた賜物をよく使うために、そのお恵みを私たちが必要としているからです。

ですから、イエズス様は沈黙を愛されました。マリア様も、イエズス様と同じ精神で、沈黙のうちに御生涯を過ごされました。イエズス様の聖心をご自分のこころとされました。洗者聖ヨハネも荒れ野で過ごし、不要な言葉で自分を汚すことを避けました。多くの聖人たちも、舌を抑制して、無益な言葉をさけて、主に語りかけました。

ではわたしたちは、マリアさまの御心をふさわしく愛し、そして罪の償いを果たすことができるように、また良き聖年を始めることができるように、マリア様にお祈りいたしましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。