聖母の汚れなき御心はイエズスへの愛と私たちへの愛に燃える愛熱のかまど
2025年1月4日 聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)ミサ 説教
トマス小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は2025年1月4日の初土曜日です。聖母の汚れなき御心の随意ミサを行っています。小黙想会の最終の日です。
ちょうど50年前の今日、1月4日も初土曜でした。ちょうど今日、50年前秋田では、マリア様の像が、午前9時と、午後1時、6時半と三回、最初の涙を流されました。
その時は聖体奉仕会では、年の初めの黙想会中で、伊藤司教様や安田神父様、また地方からきていた会員たちが皆、黙想会に参加してこの涙を目撃しました。
わたしたちも今日、マリア様の汚れなき御心のミサを捧げながら、マリア様の御心について黙想いたしましょう。
第一に、マリア様の汚れなき御心は、愛熱のかまどです。第二に、マリア様の汚れなき御心はイエズス様への愛に燃え盛っています。
【聖母の汚れなき御心は愛熱のかまど】
第一のポイントは、‶マリア様の汚れなき御心がすべてを焼き尽くす愛熱のかまどである″ということです。
なぜかというと、汚れなき御心のなかでは、罪も、この世に対する愛着も、自己中心的な愛も、まったくなく、天主への愛の火に燃え盛っていたからです。
‶聖母の汚れなき御心が愛熱のかまどである″というのは、マリア様の御心が天主だけをお愛しし、主の御旨だけを、天主において天主のためだけに、求めておられたからです。
聖母は、つねに心を尽くし、霊魂を尽くし、力を尽くし、すべてを尽くして、天主を愛しておられた方だからです。
すべては、ただ、ただただ純粋に天主のため!という意向で行われました。思いも言葉も行いも苦しみも、天主をお喜ばせするため、天主のみ旨を果たすため、天主に栄光を帰すため、霊魂の救いのためになされていました。
ですから、‶主の欲することを正確に行おう″といつも願っておられ、主の御旨からそれることは一ミリたりともないようにされていました。主の御旨を行うことこそ、マリア様の最高の幸福(しあわせ)であり喜びでした。
たとえマリア様が悲しみの大洪水になかに押し流されて潰されてしまいそうになったとしても、マリア様の御心の中に燃える愛徳の炎はもちろん消えませんでしたし、それどころか、少したりともちょっとでも冷めるようなことは一切ありませんでした。どのような苦しみの中にあっても悲しみの中にあっても苦悩の中にあっても、マリア様の御心は轟々(ごうごう)と愛の火に燃え盛っていました。
マリア様の汚れなき御心が愛熱のかまどであるのは、すべてを焼き尽くす愛である聖霊ご自身が、マリア様の存在の最初の瞬間から、その汚れのない御心に御自分の天主の愛の炎を点火したからです。ですからマリア様は、最後の息の尽きるまで、この聖霊から頂いた愛の炎をますます拡大させ増加させ発展させておられたからです。
【聖母の汚れなき御心はイエズスへの愛に燃え盛る】
第二に、マリア様の汚れなき御心は、イエズスへの愛に燃え盛っています。マリア様の御心は、愛熱のかまどですが、それはイエズスへの愛に燃え盛っているからです。
なぜかというと、天主御子がマリア様のご霊魂にお住みになられていたからです。そして、永遠に住み続けられるからです。イエズス・キリストはおっしゃいました。「わたしを愛する者は聖父と聖霊とともにその霊魂に住む」と。イエズス・キリストは聖母の御心にお住みになり、その御心のなかで愛の炎をますます燃え立たせようとされておられます。マリア様にとって、愛の火をさえぎるものは一切ありません。
ここで聖ヨハネ・ユードの言葉を借りて申し上げると、
「熱烈なイエズスの聖心の愛熱のかまどが、もう一つ別のマリア様のかまどのど真ん中にあって、同じ愛の火でごうごうと燃え立ち、そこから炎は天高く…セラフィムつまり熾天使たちの最も奥深く…にまで到達して天使たちをも燃え立たせ、さらには御父の懐に在しまし給う…また御父が永遠に愛する…御子にまで到達して、永遠の御父の至福である御子を、御父の懐から聖母の童貞なる胎内に引き寄せた。」
それほどの愛熱の炎が燃えていた…と言います。
さらに聖ヨハネ・ユードはこうも言います。
「聖母の御心の中の聖なる炎に近づく者は、どれほど幸いであるか!」
言葉を続けて、
「聖母の御心の中に燃える愛の炎の火で焼かれる者は、さらに幸せだ。最高に幸せなのは、汚れなき御心の愛の炎の中に飛び込んで、愛の火にまったく燃え尽きる者たちだ。」
これが聖ヨハネ・ユードの言葉です。
実にマリア様は、私たちの心にも、この愛の火を、ご自分の御心の中の愛の火を伝えようとされています。聖母は、聖なる愛の炎を全世界に伝え、広め、そうすることによって主のお望みを果たそうとされます。
なぜかというと、イエズス様はこの愛の火を地上につけに来られたからです。
イエズス様はこうおっしゃいました。
「私は地上に火をもって来た。その火がもうつけられているだろうと、私はどんなにかのぞみをかけている。」(ルカ12:49)と。
もしもこの聖なる火で燃え立とうとするならば、マリア様のように、わたしたちの中から煙を立てて燃えているようなこの世への執着・愛着の火と自己愛の火を消さなければなりません。
いつでも、どんな時でも、主をお愛しするためという意向ですべてのことをよく行い、天主だけをすべてに越えて心をこめてお愛しするということを、マリア様から学ばなければなりません。汚れなき御心に倣って、イエズス様を愛するがために、私たちのすべての喜びまたしあわせを、聖なる御旨を果たすことまた苦しみを受け入れることに置かなければなりません。
【聖母の汚れなき御心は私たちへの愛に燃えるかまど】
最後に、聖母の汚れなき御心はイエズス様への愛に燃えるかまどであるがゆえに、私たちへの愛に燃えるかまどでもあります。すべての人々を愛する愛徳のかまどです。御子イエズス・キリストを苦しめて十字架につけるような最悪の敵たちに対してでも、マリア様の心は母の心で、何万何千万の苦しみを槍で貫くような人々にたいしても、愛で返す愛徳のかまどです。もしもそうであれば、マリア様の汚れなき御心は、聖母を愛するすべてのマリア様の子どもたちにとってはさらなる愛徳のかまどです。
「過去、現在、将来の自分の子供を愛するような全世界にいるすべてのお父さんお母さんのありとあらゆる愛情と愛徳をもしも一つに集めることができたとしたなら、そしてその愛情をマリア様の汚れなき御心に燃える私たちへの愛と比べるならば、その全世界のすべての時代のお父さんお母さんの愛の結晶は単なる火花にすぎないだろう。」と聖ヨハネ・ユードは言っています。
「マリア様は、たった一人の霊魂を救うためだったとしても、地獄のすべての苦しみを喜んでお受けするだろう。」と聖ヨハネ・ユードは言葉を続けて言います。
そのような愛の心を持って、わたしたちへの救霊を燃えるように望むマリア様の心を持って、50年前、日本の秋田の地で、秋田の場所で、マリア様はお涙を流されました。
なぜならば、わたしたちが天主に逆らっているからです。マリア様が50年まえに涙を流されたのは唯一の本当の救い主イエズス・キリストを信じない方々が多くおられるからです。救いの道から遠ざかっている霊魂の不幸を見て涙を流されておられました。
マリアさまが涙を流されたのは、私たちが罪を悔い改めるためです。聖母のお涙を見て、私たちが改心するためです――これは天使の言葉です――聖母を通して、回心して祈り、天主を信じ、天主に希望し、天主を愛するためです。
また、マリア様が涙を流されたのは、日本で聖母の汚れなき御心に対する信心が重んじられていないからです。聖母が涙を流されたのは、マリア様が秋田の地を選んでお言葉を送られたのに、そして聖母は御自ら手をひろげて、恵みを分配しようとみんなを待っておられるのに、反対を恐れて来ないからです――これも天使の言葉です。
天使はこうも言います――主と聖母をお慰めするために、一人でも多くの人々に呼びかけ、聖母を通して、イエズス様と御父に献げられる霊魂たちを集めて、聖主と聖母の御栄光のために、勇気をもってこの信心を広めてください。汚れなき御心に対する信心を広めてください――と言います。
では最後に――私たちに対する愛徳の愛熱の火に燃えるマリア様の汚れなき御心――この火を主イエズス・キリストがマリア様の御心に燃え立たせてくださいました。御自分の至聖なる聖心に燃える愛徳の火を、マリア様の汚れなき御心にも、灯されたのです。霊魂を救いたい!霊魂を救うためならどんな苦しみでもよろこんでうけたい!という愛の火を、マリア様にも与えたのです。この熱烈な愛徳の炎にマリア様は全人類の救いのためにすべてを行い、いまでも天国から行い続けておられます。
では、このようなマリア様の愛を目前にして、汚れなき御心を前にして、わたしたちは、過去犯した罪、愛徳に背いたことを深く痛悔いたしましょう。謙遜に御赦しを求めて、マリア様の汚れなき御心をわたしたちの罪の償いとして、わたしたちの心にあわせてお捧げいたしましょう。またこのミサ、ご聖体拝領、ご聖体降福式、ロザリオ一環などを、汚れなき御心に対して犯される罪を償のうという意向で、初土の信心をする意向で、主と聖母をお慰めするためにおこないましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。