聖母の汚れなき清さ

ソース: FSSPX Japan

2026年1月1日  主の御降誕の8日目

トマス 小野田圭志神父説教  日本の聖なる殉教者聖堂(大宮) 

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

神父様、愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、この新年の始まりの日に、カトリック教会は、私たちにマリア様を思い出させ、集祷文でこう祈ります。

「天主よ、御身は、聖マリアの実り豊かな童貞性により、人類に永遠の救いの報いを備え給うた。聖母を通して生命のつくり主である御子われらの主イエズス・キリストを受けることができたわれらが、願わくは、この聖母がわれらのために取次ぎ給うことを我らが知るを得んことを。」

Deus, qui salútis ætérnæ, beátæ Maríæ virginitáte fecúnda, humáno géneri prǽmia præstitísti : tríbue, quǽsumus ; ut ipsam pro nobis intercédere sentiámus, per quam merúimus auctórem vitæ suscípere, Dóminum nostrum Iesum Christum, Fílium tuum : Qui tecum vivit.

この世の人々は、たとえば、日本一高い山である富士山に登り、昇る初日の出を、太陽の光が日本を照らす瞬間を見ようとします。

そこで、私たちも、観想(contemplation)を通していと高きところにおられる天主へと昇って、太陽を着たような女性――マリア様――の美しさとその輝きを一緒に黙想して新年を迎え、また、良い年になるよう決心を立てたいと思います。

このお説教では、マリア様を飾る「成聖の恩寵」と、聖母の聖徳と聖霊の賜物を垣間見ることによって、イエズス様とマリア様が、どれほど霊的に一致されているかを見ていきます。こうして集禱文にある「マリア様の実り豊かな童貞性」と、聖母の汚れない清さについて、一緒に黙想することにいたしましょう。

【聖母の霊魂の清さは全てイエズス・キリストに由来する】

まず、これだけは押さえておかなければならない点があります。それは「マリア様の霊魂の清さは全て、イエズス・キリストに由来する」ということです。

大天使聖ガブリエルは、お告げの時、聖母にこう挨拶されました。

「あなたに挨拶します、聖寵にみちたお方! 主はあなたとともにおいでになります。あなたは女の中で祝福された方です」(ルカ128

マリア様が「聖寵にみちたお方」であるのは、聖ヨハネがその福音の最初で言うように、イエズス・キリストの無限に「みちあふれるところから」(ヨハネ116)全てを受けたからです。

【成聖の恩寵】

では、最も核心である「成聖の恩寵」について見てみましょう。

マリア様は、その存在の最初の瞬間から「成聖の恩寵」の状態にありました。つまり、罪の汚れのない状態――天主の超自然の生命に参与して、霊魂があたかも天主であるかのようになっている状態です。

「成聖の恩寵」とは、私たちの霊魂の奥深くに聖霊が息吹いて、私たちの霊魂が、天主の本性に与ることができるようにしてくれる超自然のお恵みです。被造物の働きは非常に表面的ですが、天主のはたらきは霊魂の核心にまで到達し、その最も深いところから霊魂を新たにします。聖パウロはこのことを「新しい人」 nova creatura 新しい被造物(ガラチア615)だと言います。聖ヨハネの福音によれば、非常に大胆な言い方ですが「霊から生まれた人」(ヨハネ38)だとイエズス様がおっしゃっています。

聖母以外の私たちは、洗礼を受けた時に、初めてこの「成聖の恩寵」の状態にして頂きます。原罪と自罪が全て赦され「成聖の恩寵」の高みにまで高められます。しかし、マリア様は罪を赦されたのではありません。何故かというと、赦すべき罪が無いからです。マリア様は原罪から免れ、守られていました。初めから、罪のない清い状態で存在し始めたのです。これを、日本語のカトリックの用語で「無原罪の御やどり」といいます。無原罪の御やどりとは、アダムとエワから伝わる原罪の汚れ(macula)が一切ない(im-maculata)状態で、マリア様が存在し始めたということです。

聖徳の極めて高い大聖人たちが、死の間際に到達することができた、豊かな成聖の恩寵よりももっと多くを、マリア様はすでに、無原罪の御やどりのその最初の瞬間に、豊かに受けておられました。マリア様の霊魂は、花婿であるイエズス様の心とまなざしを奪ってしまうような、美しい婚礼の衣装(晴れ着)を着けておられたかのようです。最初の瞬間から、マリア様の霊魂は、美しさによって輝きだしていました。それは、マリア様が天主の御母となるためでした。それを出だしとして、それを最初として、マリア様の霊魂はどんどんどんどん、ぐんぐんぐんぐんと成聖の恩寵をいや増していったのです。ますます美しくなっていかれました。

考えてもみてください、マリア様が送られた、30年間のナザレトでの御生活を。天主の御子イエズス様と、最も緊密で親密な生活を送られました。また、全ての聖寵の源であるイエズス様に寄り添った3年間の生活。これらを通して33年の間、マリア様は主を直接にご覧になり、主のお言葉をお聞きになり、主に手で触れ、その御頭を撫で、主に奉仕し、また、主から挨拶などのお声をかけられ、主から母としての信頼をお受けになり、どれほど聖なるものだったことでしょうか! どれほど多くの恵みを受けられたことでしょうか! 主が微笑まれ、優しさに満ちた尊敬の念をマリア様に表した時、マリア様はどれほどの喜びに満たされたことでしょうか! マリア様は、イエズス・キリストがいったいどなたであるか、聖霊によって宿られた、真の天主のみ言葉であるということをはっきりと知っておられました。イエズス様をご覧になったその御生涯は、主に対する聖なる愛が、どれほど燃え盛っていたことでしょうか!

ところで、私たちは、太陽を直接ずっと見つめていると目が焦げてしまいます。盲目になってしまうかもしれません。マリア様は、いったいどうやって、まぶしく輝く太陽であるイエズス様を、33年間もずっと直視し続けることができたのでしょうか? ごうごうと燃え立つ炎のこれほど近くにいて、燃え尽きてしまわなかったのでしょうか? いいえ、マリア様は燃え尽きませんでした。何故かというと、マリア様ご自身があまりにも清く、輝く方、燃え盛る炎であったからです。ですから、マリア様の清らかな御眼差しは、イエズス様の聖なる御眼差しを見つめ、全てをご覧になっておられました。マリア様の御心と、イエズス様の至聖なる聖心とは、あたかも一つであるかのように一致していました。このように、マリア様は成聖の恩寵に満ち満ちておられたのです。

【清らかな聖徳の数々】

そればかりではありません。マリア様は無数の聖徳に飾られていました。主が、私たちに成聖の恩寵を与える時には、色々な聖徳と聖霊の賜物で、私たちの霊魂を装ってくださいます。もちろん、マリア様の時もそうでしたが、聖母の霊魂の美しさ、色とりどりの輝き、清らかさと崇高さそれらは、私たちの想像を絶するものです。少し例えて申し上げますと、ここに世界最高の王のお姫様がいらしたとします。その方がお召しになる世界で最高の着物は、高級な絹の生地に、金銀の糸がふんだんに使われた刺繡が施され、ダイヤモンドなどの輝く宝石がちりばめられた豪華なものです。しかし、マリア様の美しさと比べれば、それは床を拭く雑巾であるかのように見えてしまうほどのマリア様の美しさ! マリア様の聖徳は、純粋であればあるほど、清らかであればあるほど、ますます天主に近い「徳」となっておられました。

たとえば、マリア様の聖徳の一つである信仰の徳は、非常に純粋なものでした。天主のみ言葉のみに寄りすがり、何があっても、主のみ言葉を深く強く固く信じておられました。

マリア様の希望の徳も、最高に純粋でした。天主のみを希望し、天主から全てを希望しました。

マリア様の愛徳もそうでした。自己愛が全くなく、その霊魂に天主への愛以外のものは一切ありませんでした。天主のみを愛し、心の限り、力を尽くしてご自分の全ての愛を天主に注がれました。

マリア様の苦しみもそうでした。天主を愛するという動機と、天主を愛するという目的のためだけに、マリア様は純粋に苦しまれました。

マリア様のありとあらゆる聖徳は、全てが全て最高度に純粋で清らかでした。マリア様の御心の中心にはいつも天主がおられ、全てを天主のためにお捧げになっておられたのです。

そればかりではありません。聖霊はさらに、その賜物でマリア様をもっと清らかに、その聖徳を最高の純度にまでに高められました。マリア様の霊魂の美しさ・優美さは二つとない、その他の聖人聖女たちを遥かに超える麗(うるわ)しさです。ただ唯一、イエズス様の絶大な清い美しさだけが、マリア様を上回っているだけです。

しかしながら、マリア様は、このように果てしない大海原のような聖なる徳と聖霊の賜物をお持ちだっただけではありません。何故かというと、イエズス様の聖心は、マリア様に特別な愛を注いでおられたからです。マリア様だけには、どのような聖人聖女にも与えたことがないような特別のお恵みを与えました。それは、特別な純粋さ・清さの恵み、つまりイエズス様の完全な生き写しとなる恵みでした。すなわち、天才芸術家である天主がなしうる最高傑作、それがマリア様なのです。

【聖母とイエズス】

霊的に、あまりにもぴったりと生き写しのようであるイエズス様とマリア様は、分かち難く一致しておられます。天主が一つにしたものを、誰も離すことはできません。

御托身の神秘によって、イエズス・キリストは真の天主にして真の人となられました。そして、天主の特別な聖寵によって、マリア様は天主の御母となられました。イエズス様は天主ですから「恩寵と真理とにみちておられ」(ヨハネ114)ますが、マリア様は天主の御母であるがゆえに、全ての天使と聖人聖女にまさって「聖寵にみちみちたお方」(ルカ128)です。

ですから、マリア様と私たちは比較にもなりません。何故かというと、私たちは天主の子供であり、しかも養子です。しかし、マリア様は天主の御母、真の天主イエズス・キリストをお生みになった聖なるお母様なのです。マリア様と私たちとの間には、どれほどの違いがあることでしょうか!

しかも、私たちは赦された罪人ですが、マリア様は罪が一切ない、罪から守られた御方です。その違いの大きさは、とても計り知れるものではありません。

【御托身・贖い・聖寵の分配の神秘】

汚れなき清らかなマリア様は、主のはしためとして完璧に、御托身(天主が人となる神秘)に協力されました。その結果、マリア様は完璧に贖いの神秘にも協力され、その結果として、さらに聖寵の分配の神秘にも完全に協力なさいます。

御托身・贖い・聖寵の分配――この三つの神秘は、イエズス様とマリア様において完全に一つに調和する神秘です。それはまるで、三番までの歌詞がある一つの美しい愛の聖歌であるようです。

ナザレトにおける御托身の神秘によって、マリア様はイエズス様の聖寵に結び付けられ、天主の御母となられました。

カルワリオで成し遂げられた贖いの神秘において、マリア様はイエズス様の苦しみと結びつけられ、共贖者となられます。

その後、聖霊降臨の高間(チェナクルム)で実現された聖寵の分配の神秘を通して、マリア様はイエズス様の栄光と豊かさに結びつけられ、全ての聖寵の仲介者となられたのです。

【遷善の決心】

では、最後に遷善の決心を立てましょう。

マリア様の清さ・美しさを垣間見た私たちは、いったいどのような遷善の決心を立てるべきでしょうか?

私たちの念頭に浮かぶのは、去年、カトリックの聖職者――高位聖職者の方でさえも、マリア様の特権を否定するかのような、マリア様の特権に関する理解が、人々の心から失われ、消されてしまいかねない発言をされたことかもしれません。

マリア様の御心は、この出来事を通してどれほど傷つけられ、お悲しみになられたことでしょうか――

そこで、今年を「マリア様の汚れなき御心に対する信心を行う年として奉献する」のはどうでしょうか?

特に「初土の信心」を行うことを提案いたします。たとえば、来たる一月三日は初土曜日ですが、ぜひ、マリア様の汚れなき御心に対する信心を行うことをおすすめしたいと思います。この年を、マリア様の清さを黙想して始めましょう。

聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うためにロザリオを唱え、告解をし、ミサ聖祭にあずかって御聖体拝領をし、十五分の黙想を行ってください。

そうすることによって、今年、マリア様の汚れなき御心をふさわしくお愛しして、罪の償いを果たすことができたなら、どれほど恵みにあふれた、豊かな聖なる一年となることでしょうか!

愛する兄弟姉妹の皆さまに、そのお恵みを心からお祈り申し上げます。

マリア様の汚れなき御心の清さと美しさがますます賛美せられ、褒め称えられ、そして愛されますように、また、良き新年となりますようマリア様にお祈りいたしましょう。

「天主よ、御身は、聖マリアの実り豊かな童貞性により、人類に永遠の救いの報いを備え給うた。この聖母を通して生命のつくり主である御子われらの主イエズス・キリストを受けることができたわれらが、願わくは、この同じ聖母が私たちのために取次ぎ給うことを我らが知るを得んことを。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。