聖母の愛に感謝する

ソース: FSSPX Japan

2025年9月7日 聖霊降臨後第13主日

トマス 小野田圭志神父説教  

日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)  聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

明日はマリア様のお誕生の祝日ですから、マリア様にバースデープレゼントをお捧げしたいと思っています。そこで、今日の福音に出てきたサマリア人にならい、マリア様の愛に感謝することについて、一緒に黙想することを提案します。

まず、サマリア人の模範を黙想しましょう。今日の福音の中で、イエズス様が感謝をしに来たこのサマリア人を祝福されたこと、また、このサマリア人が私たちに良い模範を示していることを黙想し、次に、私たちの先祖のキリシタンたちが、マリア様にいったいどのように感謝を表してきたかについて黙想しましょう。そして最後に、私たちもマリア様に、お誕生日のプレゼントとして感謝をお捧げできるよう、遷善の決心を立てることにいたしましょう。

【1:今日のミサ:主の契約】

今日のミサでは、入祭唱でも昇階唱でも、繰り返し「主よ、御身の契約を見給え Réspice, Dómine, in testaméntum tuum. 」と歌っています。これは無力な旧約の律法ではなく、主がアブラハムに約束された契約、つまりキリストが送られるという約束を願い、その成就を願っての歌です。つまり、肉体のライ病が治ったと宣言することしかできなかった旧約の司祭ではなく、霊的なライ病である罪を赦し、癒すができる新約の司祭キリストを送ってほしい、その約束をご覧くださいということを歌っています。

実際、今日の福音を見ると、この約束が成就していることがわかります。十人のライ病患者が、イエズス様によって癒されます。そのうちの一人は異邦人のサマリア人でした。ライ病だった九人のユダヤ人たちは、治って当然だと思ったかもしれません。律法に従って行動すれば、それで十分だと思ったのかもしれません。お礼のことは考えていませんでした。ところが、異邦人のサマリア人は、天主のお恵みに感謝します。たった一人でも、イエズス・キリストに感謝するため、わざわざ戻ってきました。まさにこのサマリア人こそ、日本にいる私たちにとって、感謝をするということの模範です。

もしも、イエズス様が私たちを癒してくださらなければ、私たちの霊魂は、罪にただれたまま醜く変形し、良心の感覚も麻痺して、もはや死んだかのようでした。たとえ肉体は生きていたとしても、霊魂は天主の命には死んでおり、地獄の火に燃やされる運命でした。この死んだも同然の私たちの霊魂を癒し、生き返らせて、ついには、天国の至福の命へと導くことができる御方はただ一人、真の天主イエズス・キリストだけです。このイエズス様を、マリア様は私たちに与えてくださいました。

【2:聖母の愛は、イエズス・キリストを私たちに下さった】

いったい、主の契約はどのように成就して、イエズス・キリストが私たちに送られたのでしょうか? イエズス・キリストは天主から、マリア様の"fiat!"「仰せのごとく我になれかし」という同意により、初めて私たちに与えられました。

マリア様がいらっしゃらなければ、マリア様が「はい」とおっしゃってくださらなければ、私たちにキリストは与えられず、主の契約は成就しませんでした。

では、マリア様は、日本に住む私たちに何をしてくださったでしょうか?

それは特に、1549年の聖母被昇天の大祝日、イエズス様の福音が、まるでマリア様からの特別なプレゼントであるかのように、聖フランシスコ・ザベリオによって私たちに与えられました。

また、マリア様は、日本にいる私たちに、ご自分を特別な姿で示されました。まるで、私たちをご自分の膝におき、ご自分の保護のもと、ご自分のマントにくるんで、腕(かいな)の中に抱いておられるかのような、私たちに対する母の愛を、鹿児島で、島津貴久を通して私たち全てにお示しになりました。私たちをどのようにお愛しくださるかということを見せてくださいました。このマリア様のお母様としての愛は、500年たった今でも続いています。何故かというと、マリア様の愛、天国から送られる愛は、昨日も今日も、代々とこしえにいつも同じであり、変わることがないからです。

実は、マリア様は、たとえ場所は違っても、すでにご自分の愛を語ってくださっていました。しかも、御姿で見せたのみならず、語ってくださったのです。それは1531年のことでした。マリア様から隠れて逃げようとするフアン・ディエゴに近づいて、ご自分の愛を語り、示されました。テペヤックの丘から、フアン・ディエゴを通して、日本に住んでいる現代の私たちにも、美しい微笑みを浮かべ、同じ言葉を語りかけておられます。マリア様の御言葉をお聞きください。

「わたしの子どもの中で一番小さなものよ、()あなたの母はここにいるのではないですか? あなたは私の保護のもと、覆いの中にいるのではないですか。私はあなたの喜びの泉ではないのですか? あなたは私のマントにくるまれ、私の腕の中にいるではないのですか? このうえ何が必要なのでしょうか?」

マリア様は、この愛の言葉を、今でも私たちに言い続けておられます。

「日本にいる子供たちよ、あなたは私の膝のうえに抱かれていますよ。」

マリア様は、この甘い母の愛の言葉を、今でもおっしゃり続けています。たとえ、私たちがその昔、何度も何度もマリア様を悲しませてきたとしても、聖母の汚れなき御心は、私たちに対する愛で満ちあふれておられ、その愛は枯れることを知りません。マリア様は、愛の言葉では足りませんでした。

天地の創造主である天主の御母にして、全てを所有しておられる威厳に満ちたマリア様は、貧しいフアン・ディエゴが身に着けていた粗末なティルマという服に、この世がかつて聞いたこともなく、嗅いだこともないような、かぐわしい香りのする美しい薔薇を、愛の花々をご自分の手で置かれました。

みすぼらしく貧しいフアン・ディエゴのティルマ、粗雑な素材からできている服は、マリア様の全ての子供たちの霊魂のシンボルです。ですから、21世紀の日本に住む、みじめでみすぼらしい、憐れな私たちの霊魂のことでもあります。清く優しく、そして美しいマリア様は、このティルマに、すなわち私たちの霊魂に、薔薇というご自分の愛の花を、ご自分の愛をきれいに置いてくださいます。そして、ご自分の美しい母としての御姿を、私たちの霊魂に、良心に写し出してくださるのです。この御姿は、決して消えることがありません。何故かというと、マリア様が一つに結んだものは、誰もこれを離すことができないからです。

「あなたの母はここにいるではないですか? この上、何が必要なのですか? あなたは、私の保護のマントにくるまれていますよ」

マリア様は、私たちの心に愛の言葉を響かせておられます。マリア様は、独り言をおっしゃったのではありません。私たちに語られているのです。ちょうど、復活されたイエズス様が、ティベリアデの岸辺でシモン・ペトロにおおせられたのと同じです。

「あなたは、この人たち以上に私を愛しているか?」と。

私たちの答えを、返事を待っている御言葉です。

【3:感謝】

では、私たちの先祖は、マリア様の愛にどうやって感謝を示し続けたのでしょうか?

まず、聖フランシスコ・ザベリオです。彼は、1549815日に鹿児島へ到着し、その数か月後の115日、マラッカの総督で友人であった、ドン・ペドロ・デ・シルバという男に宛てて、鹿児島から手紙を書いています(書簡 LXXXIII)。ドン・ペドロ・デ・シルバとは、有名なヴァスコ・ダ・ガマ(喜望峰を通ってインドに行く海路を発見した)の三番目の子供です。

聖フランシスコ・ザベリオは、その手紙の中で、聖母被昇天の大祝日に日本へ到着したことに触れ、だからこそ感謝のあまり、二年もたたないうちには、日本の中心である京の都に、マリア様に奉献された教会を建てたいと、「都の聖母」という御名を呼び求めたいとも記しており、マリア様に対する感謝を述べています。

つまり、聖フランシスコ・ザベリオが何を求めたかというと、天主の御母であるマリア様の愛、その特別なご配慮に対する感謝として、マリア様が私たちにくださった救い主の御業を行い続け、そのための教会をお捧げしたい。要するに、私たちを愛するがゆえに贖いを成し遂げられた主の十字架、愛と救いと希望の源である十字架の神秘が日ごとに再現され続ける祭壇を、ミサ聖祭が行われ続ける教会をマリア様にお捧げしたい。マリア様の愛が勝利し、凱旋するための教会を建てたい、と思ったのでした。

【教会を建てるのみならず、セルケイラ司教は陰暦の正月を――キリシタン時代の日本では一般に陰暦を使っていたので特別に陰暦の正月を――「守護の聖母の祝日」(feast of Our Lady of Protection)という聖母の祝日をして祝っていました。】

そして、そのフランシスコ・ザベリオの願いの通り、マリア様に捧げられた教会が、日本では多く建てられました。京の都を始め、日本各地に建てられました。マリア様は、教会において、その聖なる地を天国のように変えてくださり、マリア様のお恵みで満たしてくださいましたが、天主の御摂理は、日本に迫害と殉教という時期をお与えになりました。マリア様に捧げられた教会も壊されてしまいましたが、それと同時に、マリア様は私たちに慰めをもくださいました。カルワリオの十字架という悲劇という最大の愛のかたちが、日本に住む聖母の子供たちに与えられたのです。いったいなぜ? これは天主の愛の神秘です。御父は、御子を無限の愛で愛していたがゆえに、御子を容赦せずに、十字架というむごたらしい死に渡されました。そうして御子に、十字架を通して、全てにまさる名前と、栄光に満ちた復活をお与えになりました。イエズス様は、私たちに苦しみや悲しみを廃止せず、その代わり、苦しみに特別の価値を付けて、私たちに遺されました。御父は、その同じ愛で、日本のマリア様の子供たちを愛され、マリア様もまた、その同じ愛で、ご自分の子供たちを愛されたのです。

私たちの先祖は、この主からの十字架の愛をどのように受けたのでしょうか? 

それは、殉教の血潮をもってマリア様の愛に感謝しました。

——感謝した

はい。キリシタンたちは、全てに感謝をしたのです。このキリシタンの心を、パウロ永井博士はこだまして、現代にこう伝えています。パウロ永井博士の言葉をお聞きください。

「浦上を愛し給うが故に浦上に苦しみを与え給い、永遠の生命に入らしめんが為に此世に於て短きを与え給い、しかも絶えず御恵みの雨をこの教会の上にそそぎ給う天主に心からの感謝を献ぐるものでごさいます。」

長崎に原爆を落としてくださったことを感謝しようとおっしゃったのです。

【4:私たちがしなければならないことは?遷善の決心】

では、遷善の決心を立てることにいたしましょう。

マリア様は、フアン・ディエゴを通して、21世紀の日本に住む、現代の私たちに母の愛の言葉を語り続けておられます。マリア様は、500年前のメキシコのインディアンだけに語られたのではありません。絶対に違います。マリア様の私たちに呼びかける言葉を聞いてください。

「知りなさい、確信しなさい、わたしの一番小さな子よ。私は完全な終生童貞聖マリアです。唯一の偉大な真理の天主の母です。」

そしてマリア様は言葉を続けます。司教様でも司祭でもなく、スペインの王様でもありません。コンキスタドール(征服者)のコルテスでもなく、貧しいインディアンであったフアン・ディエゴにおっしゃるのです。

「()私は、ここに私のために小さな聖堂が建てられることを強く望んでいます。この場所(聖堂)で私は【人々に】彼(イエズス・キリスト)を示し、彼を高め、彼を明らかにしましょう。私の愛、私の憐れみ深いまなざし、私の助け、私の救いにおいて、私は主を人々に提供しましょう。なぜなら、私は本当に、あなたの憐れみ深い母であるからです。あなたやこの地に共に暮らす全ての人々の母、他の祖先のすべての人々、私を愛し、私を呼び叫び、私を探し求め、私に信頼する多くの人々の母です。その場所(聖堂)で、私はみなの泣き声と悲しみに耳を傾け、みなのすべての悩み、みじめさ、苦しみを癒し、清め、看護しましょう。」

これは、マリア様の私たちへの御言葉です。マリア様は、フアン・ディエゴに「聖堂が欲しい」とおっしゃいました。それは、自分のためというよりは「あなたたちの悲しみを慰め、苦しみを癒し、保護し、耳を傾け、助け、そして守るためです」とおっしゃっているのです。

実際、マリア様を探し求め、迫害を耐え抜いたマリア様の子供たちは、日本が開国して二番目にできたフランス寺、日本の二十六聖人の殉教者たちに捧げられた天主堂で、喜びのうちにマリア様を発見しました。

「サンタマリアの御像はどこ?」

「ああ本当だ! 御子ゼスス様を抱いておられる!」

はい、ですから私たちも、マリア様の愛に感謝し続ける、先祖の愛を続けたいと思っています。過去に先祖がしたように、マリア様に感謝して、マリア様に特別なプレゼントを捧げたいと思っています。マリア様がお望みの教会を、私たちも感謝としてお捧げしたいと思っています。日本で最初にできた、常駐の聖ピオ十世会のお聖堂が、マリア様の汚れなき御心に捧げられたことは、本当に御摂理だと思っています。また、今現在ある教会設立プロジェクトは、まさに、私たちからのマリア様の愛への感謝です。そのために、多くの方々が、寛大なお祈りと犠牲をお捧げくださり、さらに、このプロジェクトのために多くの大切な献金も集まっています。

この教会で、イエズス様とマリア様をお愛しする、隠れキリシタンたちが発見され、またやってくることでしょう。私たちはマリア様をお愛し申し上げ、感謝を捧げるために、イエズス・キリストの犠牲である十字架の神秘が、毎日捧げられる教会をお捧げしたいと思っています。聖伝のミサが続けられ、御聖体が礼拝され、日本で一番愛される教会をマリア様にお捧げしたいと思っています。それは、主日ごとイエズス様のもとへ戻り、ミサ聖祭に与って感謝をお捧げするためであり、私たちが、このサマリア人の感謝の模範を続けていくためです。

私たちの捧げるものは、もちろん貧しくみじめで、拙いものでありながらも、私たちはマリア様に感謝を込めて、私たちの愛のすべてを差し上げたいと思っています。

ですからマリア様、どうぞ母の愛のまなざしで、私たちのこの愛を、私たちの捧げるものをご覧ください。傍から人間の目で見れば、私たちの捧げるものは、まるで幼子のお母さんの方に向かうハイハイのようで、一人では立つことができない、弱々しいものであるかもしれませんけれども、マリア様の母の目にとっては、とてつもなく価値のあるものではないでしょうか? そのように信じております。どうぞ、私たちの愛の高い高価な宝をご覧ください。

ですから、今日はサマリア人の真似をして、マリア様のもとへ戻り、日本の聖なる殉教者聖堂、聖母の汚れなき御心聖堂の全ての信徒、兄弟姉妹を代表し、また日本に住む全ての人々、そして私の祖国の同胞の名前、日本人を代表して、マリア様にお礼を申し上げたいと思っています。

マリア様が、心から、とてつもなく極みがたい愛によって、私たちを愛してくださっていることを、私たちはよく知っています。私たちはマリア様に、そしてその愛に全幅の信頼を置いています。それでも、私たちは心の秘密を黙っていることができません。私たちは福音にならい、聖ペトロのように、マリア様に心からの愛を込めてお応えしたいと思います。

「マリア様、あなたは全てをご存じです。私たちがあなたを愛していることは、あなたがご存じです。私たちの拙い愛を、どうぞお受けください。マリア様、ありがとうございます! マリア様、感謝します!」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。