聖母は主の後を慕って、主とともに十字架の道を歩みます 私たちも聖母とともに十字架の道へと参りましょう

ソース: FSSPX Japan

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は2021年3月28日、枝の主日です。今日のミサでは私たちの主の御受難を朗読します。一緒に主の御受難を黙想いたしましょう。

私たちの主イエズス・キリストは、罪がないにもかかわらず死刑の宣告を受け、十字架を担います。主の十字架の道行きが始まります。聖母は主の後を慕って、主とともに十字架の道を歩みます。私たちも聖母とともにエルサレムへと、十字架の道へと参りましょう。イエズスの至聖なる聖心と聖母の汚れなき御心との中に燃える愛徳の炎を、私たちも感じ取って、私たちも愛に燃えることができますように祈りましょう。

 

1:十字架の道行きでの主の聖母との出会い

重い十字架を担ぐイエズスは、道すがら愛する聖母に出会います。聖母は悲しみに満ちて御子イエズスをご覧になります。そのような聖母をご覧になることは、主にとって、御悲しみを軽くするよりは更に重くすることでした。聖母も、苦しむイエズスをご覧になって更に苦しみました。二人の苦しみは、十字架での実際の拷問よりもさらに苦痛となって二人の胸を貫きました。主と聖母の苦しみがどれほどであったか、この地上で最も苦しんだ霊魂でさえも、二人の苦しみのもっとも小さな部分を味わうことさえほとんどできず、私たちの想像をはるかに超えていました。御子とその聖母の二人の持っていた高貴で繊細で寛大な心は、私たちのために苦しんでいました。私たちを地獄の火から救い出すために、残酷な殉教の苦しみを味わっていました。私はどうして主と聖母の苦しみに無関心でいられるでしょうか?主と聖母は、私のために全ての愛情と平穏を犠牲にくださったのですから。

キリスト者の召し出しとは、イエズスの御跡に従うこと、イエズスに倣うことです。聖母は私たちにどうやってイエズスに従うべきかを教えてくださいます。愛と勇気と寛大さをもって、天主の御旨に従順に従うことを教えてくださいます。

聖母は、主の犠牲にご自分を一致させ、イエズスの聖心の全ての苦しみを分かち合います。天主は、私も聖母の真似をして主に従って歩むようにと、私を招かれておられます。天主が私を正義で打つ時、私は苦しみを感じることを許されています。私の心も剣で貫かれる苦しみを味わい、嫌な辛い思いを感じることでしょう。しかし、天主は、私も聖母のようになり、私の意思がいつも主に従ったものとなることをお望みです。聖母とともに、私も主の十字架に付き従うことをお望みです。

 

2:十字架につけられる主をご覧になる聖母

カルワリオ山でイエズスは十字架につけられます。十字架で両手を広げて釘付けにされます。ちょうど私たちを歓迎するのを待っているかのように主は十字架で両手を広げておられます。私たちの祈りをよく聞くかのように主は頭をたれておられます。

聖母は悲しみに満ちて主のお姿を凝視しておられます。聖母の霊魂を貫く悲しみの苦々しい思いを一緒に味わいましょう。人々から棄てられ、御父からも棄てられたかのような御子の悲しみに、聖母は御心を添えます。聖母の憐れみ、愛徳を味わってください。私たちの罪が聖母のこれらの悲しみ全てを準備しました。朱の血で染まる十字架のごわごわとした冷たい木に触れてください。

聖母とともに、イエズスの最初の言葉をよく聞いてください。「父よ、彼らを赦し給え、彼らはそのなすところを知らざるがゆえに」。えっ!何ですって!周りの人々は主に対して冒涜と悪口をはいているのに、彼らを罰するのではなく、彼らに復讐をするのではなく、償いを求めるのでもなく、主は赦しを求めておられるのですか?イエズスはご自分の正義を忘れて、憐れみしか考えておられないご様子です。イエズスは更に、ご自分の右につけられた悔い改めた盗賊を赦します。「今日、なんじ、われとともに楽園にあらん」。

主よ、十字架の足元に聖母と一緒にたたずむ私をご覧ください。多くの罪に汚れた私をご覧ください。御身の無限の憐みにひたすら信頼申し上げます。御身の御血で私の霊魂を洗い清めてください。主の右につけられた盗賊に与えた憐れみと赦しを恵んでください。

茨の冠を被(かぶ)されて、十字架につけられたままの主は、十字架の足元に立っておられる聖母にまなざしをしっかり向けられ、次に愛する御弟子をご覧になります。聖母はイエズスの動きを一ミリも逃さずに注視しています。

聖母には御子がご自分に何かを言おうとしているのが分かりました。御弟子の方を目で指し示しながら、「女よ、汝の子、ここにあり」(ヨハネ1926)と主は聖母に言われます。そして弟子には「汝の母、ここにあり」(ヨハネ1927)と。この言葉は私と全てのキリスト者に対して言われたものでした。

イエズスは、「天にまします我らの父よ」と祈れと教えて御父を私たちの父として与え給い、ご自分の御体と御血を御聖体で与え、十字架の上で命までも与え、聖母さえも私たちの母として与えます。聖母は、私たちをご自分の子供たちとして受け入れ、愛します。聖母の母としての優しさ、世話、気遣いを私は何度も体験してきました。私がどれほど聖母に対して恩知らずで、忠実を守らなかったとしても聖母はいつも私に対して優しくしてくださいます。聖母の子供という素晴らしい身分にどれほど私は不相応だったことでしょうか!私はどれほど母の心を悲しませたことでしょうか!

悲しみに沈める御母(おんはは)は涙にむせびて、御子(おんこ)の懸(かか)り給える十字架のもとにたたずみ給えり。

歎(なげ)き憂い悲しめるその御魂(おんたましい)は、鋭き刃(やいば)もて貫かれ給えり。

天主の御独り子(おんひとりご)の尊き御母は、いかばかり憂い悲しみ給いしぞ。

尊き御子(おんこ)の苦しみを見給える、慈しみ深き御母は、悲しみに沈み給えり。

キリストの御母のかく悩み給えるを見て、たれか涙を注がざる者あらん。

キリストの御母の御子と共にかく苦しみ給うを見て、たれか悲しまざる者あらん。

聖母は、イエズスが人々の罪のため、責められむち打たるるを見給えり。

聖母はまた最愛の御子が御死苦(ごしく)のうちに棄てられ息絶え給うを眺め給えり。

慈しみの泉なる御母よ、われをして御悲しみのほどを感ぜしめ、共に涙を流さしめ給え。

わが心をして、天主たるキリストを愛する火に燃えしめ、一(いつ)にその御心(みこころ)に適(かな)わしめ給え。

 

3:十字架上で死し、十字架から降ろされて聖母のもとにおかれる

主は十字架の上で死し給います。天主が死なれました。命が死を味わいました。その時世界はにわかに夜のように暗くなります。地震が起こり、墓が開けます。エルサレムの人々はそれを見て恐れます。司祭長たちはもっと恐れました。しかし、彼らは心を開いて回心するには至りませんでした。

死に給うた血だらけのイエズスを見て、聖母は悲しみの剣を胸に刺し貫かされました。愛弟子も、悲しみのうちに愛の殉教を耐え忍んでいます。マリア・マグダレナは、自分も十字架につけられたかのように感じて、止まらない涙を流しています。その他の聖なる婦人たちも熱い目頭を押さえ、喉の奥に熱い痛みを感じながら、嗚咽(おえつ)をこらえて深い悲しみに沈んでいます。イエズスの友人の中で、悲しみを感じていないのは私だけなのでしょうか?主の死と悲しむ聖母を見ても、私の心は冷たく、何も感ずることなく、なぜ乾いた目をしていているのでしょうか?主と聖母の御苦しみは、私のためだったのに、私の罪がここまで苦しませたのに、なぜ私は平気な顔をしていることができるのでしょうか?

私は何を憎しみ、何を貴重で大切なものだと考え、何を愛するべきでしょうか?

私はこれからは、罪と罪の全ての機会を憎しみ、十字架を貴重で大切だと考えるべきです。この世の屈辱、苦痛、苦悩、試練、艱難を大切だと考えるべきです。何故なら、イエズスは十字架で私たちを救ってくださったからです。私たちが主の功徳を自分のものとし主の愛を知ることができるのは、十字架を通してだけだからです。私はイエズス・キリストを愛さなければなりません。イエズス・キリストに倣わなければなりません。イエズス・キリストのようにならねばなりません。

主の命のない体は、十字架から取り外されます。天主の血に染まった釘、茨の冠、そして息の絶えた主の御体は聖母のもとに置かれます。殉教者の元后なる聖母は、ご自分の唯一の愛の対象を抱きかかえます。愛をこめて御子をご覧になります。ご自分の涙で御子の体を濡らします。シメオンの預言が33年後に、こうやって成就しました。イエズスの以前のあの優しいまなざし、あのきよらかな眼、聖母を愛をこめて眺められた視線、今では死んで閉じられています。聖母が触れた主のあの優しい御手、聖母が最初に洗った御足、どれも恐ろしい釘の跡がついています。主の優しい聖心は、広く大きく深い傷でパカリと口を開いています。聖母の涙は止まることをしりません。マリア様、私の罪がこうさせたのです。主は、私の霊魂のためにこれほどの値を支払ってくださったのです。マリア様、主の御死去の功徳を私にお与えください。マリア様、愛の聖母!悲しみの聖母!愛は御身に十字架を与えました。十字架が私に愛をくれるようにしてください。

慈悲深き童貞マリア、御保護によりすがりて御助けを求め、あえて御取次ぎを願える者、一人として棄てられしこと、古より今に至るまで世に聞えざるを思い給え。ああ,童貞中の童貞なる御母、われこれによりて頼もしく思いて馳せ来り、罪人の身をもって御前に嘆き奉る。ああ御言葉の御母、わが祈りを軽んじたまわず、御憐れみをたれてこれを聴き給え、これを聴き容れ給え。

 

4:遷善の決心

聖母に祈りましょう。主が今日私たちに送り給う試練・苦しみを、私たちがいつも聖母と一致して、喜んで捧げることができますように聖母よ、私たちを助けてください。

天主御父は、私たちの罪の償いを果たし尽くすために、御子を容赦することなく正義を要求しました。聖母よ、私たちにも罪の醜さを教えてください。

聖母よ、御身は唯一のまことの天主と唯一のまことの救い主・贖い主をご存知です。私たちの救い主は、十字架で天主の血潮を全て流されたイエズス・キリストだけです。主の御受難の功徳によらなければ誰一人として天主に行くことはできませんし、誰一人として地獄の火から逃れることはできません。聖母は、現代のエキュメニズムがどれほどイエズス・キリストの贖いを無にするものであるかをご存知です。聖母は、十字架の犠牲の再現である聖伝のミサがどれほど価値のあるものかをご存知です。

聖母とともに、唯一の救い主の十字架の足元に留まる恵みを私たちのために祈り求めてください。

ああ聖母よ、十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、わが心に深く印し給え。

わがためにかく傷つけられ、苦しみ給いたる御子の苦痛を、われに分(わか)ち給え。

命のあらん限り、御身と共に熱き涙を流し、はりつけられ給いしイエズスと苦しみを共にするを得しめ給え。

われ十字架の側(かたわら)に御身と立ちて、相共(あいとも)に歎(なげ)かんことを望む。

童貞のうちいとも勝(すぐ)れたる童貞、願わくは、われを排(しりぞ)け給わずして、共に歎くを得しめ給え。

われにキリストの死を負わしめ、その御苦難を共にせしめ、その御傷を深くしのばしめ給え。

御子の御傷(おんきず)をもつてわれを傷つけ、その十字架と御血(おんち)とをもつて、われを酔(よ)わしめ給え。

聖なる童貞女(どうていじょ)よ、われの地獄の火に焼かれざらんため、審判の日にわれを守り給え。

ああキリストよ、われこの世を去らんとき、御母によりて勝利の報いを得しめ給え。

肉身(にくしん)は死して朽(く)つるとも、霊魂には、天国の栄福(えいふく)をこうむらしめ給え。