聖母は天主の御母であり 私たちの母である
2025年8月17日 聖霊降臨後第十主日
トマス 小野田圭志神父説教 日本の聖なる殉教者聖堂(大宮)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日、聖パウロは「私はあなたたちに宣言する」と言い、次のように言葉を続けます。
天主の霊に感じて語る者は、だれも冒涜の言葉を吐かない、また、聖霊によらなければ、だれも「イエズスは主である」と言うことすらできない、と。
聖トマス・アクィナスによると、聖パウロはこの言葉で、聖寵について三つのことを教えています。
- 聖寵の助けなくしては、罪を避けることができない。
「主が私を助け給わなかったならば、私の霊魂はほとんど地獄に住んでいただろう」
"Nisi quia Dominus adjuvit me, paulo minus habitasset in inferno anima mea. (Ps 94:17)"
- 聖寵の助けを通して罪が避けられる。
「天主から生まれた者は罪をおかさない。」(1ヨハネ3:9)
- 聖寵のたすけなくしては、善を行うことができない。
「私がいないと、あなたたちにはなに一つできない」(ヨハネ15:9)
つまり、聖霊によらなければ「イエズス様が主である」と言うことすらできず、聖霊の助けがなくては、善を行うことさえできないということです。
そこで今日は、聖霊の助けによって「イエズス様が主である」という真理の続きを黙想しましょう。つまり、次の三つの真理についてです。
1:イエズス・キリストは真の天主である
2:聖母マリアは天主の御母である
3:聖母マリアは私たちの御母である
今日、これらの中でも私が特に提案をしたいのは「マリア様が私たちの母である」という真理です。
【1:イエズス・キリストは真の天主である】
今からちょうど1700年前(西暦325年)、カトリック教会は聖霊に満たされ、ニケア公会議を開きました。そこで「イエズス・キリストが真の天主であり、同時に真の人間である」と宣言しました。
もしも真の天主が真の人間とならなかったのならば、霊魂の救いはあり得ませんでした。
そして、もしも救いが無かったならば、何の希望もあり得ませんでした。
さらに、たとえキリストがどれほど素晴らしい存在であったとしても、単なる被造物や単なる人間であったなら、そのようなキリストは、私たちが天主と顔と顔とを合わせて受けるべき至福直観を、私たちに与えることは決してできません。
いえ、本当の救い主(贖い主)は、真の天主でなければなりません。ニケア公会議は断言します。「イエズス・キリストは真の天主、人間となられた真の天主である」と。「天主の御一人子は、天主御父と同一本質(consubstantialis; homoousios)である、だからこそ私たちの霊魂の贖い主である」と。
【「われは信ず、唯一の天主、全能の父、天と地、見ゆるもの、見えざるものすべての造り主を。われは信ず、唯一の主、天主の御ひとり子イエズス・キリストを。主はよろず世のさきに、父より生まれ、天主よりの天主、光よりの光、まことの天主よりのまことの天主。造られずして生まれ、父と同一本質(consubstantiálem Pátri)なり、すべては主によりて造られたり。主はわれら人類のため、また、われらの救いのために天よりくだり、聖霊によりて、童貞マリアより托身し給い、人となり給えり。」】
教皇聖ピオ十一世は、1925年の回勅「クァス・プリマス」で「イエズス・キリストは天主であるがゆえに、私たちの王であり、贖い主であるがゆえに、私たちの王である」という真理を断言します。ピオ十一世は言います。「だから、ニケア公会議は、イエズス・キリストが天主御父と同一本質(consubstantialis)と宣言し、決定した上、使徒信経に「その国は終わることなし cuius regni non erit finis」という言葉を付け加え、キリストの王としての権威を確認した」と。
私たちがミサ聖祭の栄光唱で歌う通りです。
「キリストよ、御身は栄光の王なり!Tu Rex gloriae, Christe!」と。
【2:聖母マリアは天主の御母である】
この真理の論理的結果は何でしょうか? それは、431年のエフェゾ公会議で宣言されました。カトリック教会は聖霊に満たされ、次のように宣言します。
「イエズス・キリストは真の天主にして真の人間である! 天主の本性と人間の本性とは、天主の御言葉の位格(hypostasis)において合体した」と。
だからこそ「イエズス・キリストの母である聖母マリアは、本当に天主の御母である!」と。
つまり「天主の御言葉の位格(hypostasis)において、天主の本姓と人間の本性が極めて密接に分かちがたく合体したので、イエズス・キリストは真の天主にして真の人間である。ゆえに、イエズス・キリストの御母であるマリア様は天主の御母である」ということです。
時は1531年、このエフェゾ公会議からちょうど1100年後に、マリア様は時と場所を超え、エフェゾの町で宣言された真理をもう一度繰り返されるのです。メキシコのテペヤックの丘の上で、フアン・ディエゴというインディオに、この言葉をこだまさせました。
「知りなさい、確信しなさい、わたしの一番小さな子よ。私は完全な終生童貞聖マリアです。私たちがその方のために生きている【in Ipalnemohuani 命の与え主】唯一の偉大な真理の天主【in huel nelli Teotl Dios】の母【in Inantzin】 です。人々を創造した方、私たちのすぐ近くにあるもの、周りにあるものすべてを所有する方、天と地との所有者の母です。」
これはちょうど、1854年12月8日、福者ピオ九世教皇様が聖霊に満たされ「無原罪のおんやどりの真理」を荘厳に定義して発表した四年後、マリア様がまるでそれを確認するかのように、ルルドの洞窟で聖ベルナデッタに現れ「私は無原罪のおん宿りです」と言われたことに似ているではないでしょうか?
【3:聖母マリアは私たちの御母である】
マリア様は、イエズス・キリストの御母であるからこそ天主の御母であり、また同時に、私たちの御母でもあります。これについて説明します。
キリストは、私たちにこう言いました。「私はぶどうの木である。おまえたちはその枝だ」(ヨハネ15:5)と。イエズス・キリストと一致するとはどういうことでしょうか? それは、水の雫(露)が、ぶどうの木にぴたりと止まって、くっついているようなものではありません。イエズス・キリストと一致するとは、同じ樹液が通っているということ、つまり、一つの同じ天主の命を生きるということです。
聖パウロは、聖霊に満たされて「教会はキリストの体(神秘体)だ」と教えています。イエズス・キリストは「体の頭、つまり教会の頭である」(コロサイ1:18)と。
また「私は今、…キリストの体である教会のために、私の体をもってキリストのおん苦しみの欠けた所をみたそうとする」(コロサイ1:24)とも言っています。
その後、聖人たちも聖霊に満たされ、私たちにこう教えています。
「イエズス・キリストの母である聖母マリアは、本当に神秘体の御母である」と。「頭であるイエズス・キリストをお生みになった方は、神秘体もすべてお生みになる」。だから、マリア様は「イエズス・キリストのかけられた十字架のもとで、苦しみの陣痛を通して、私たちを超自然の命に生んでくださった本当の母でもある」と教えています。
まるでそれを確認するかのように、私たちの本当の命の母、超自然の命の母であるマリア様は、今、肉体も霊魂もともに天国におられ、そして母として、子供たちである私たちを愛しておられます。マリア様は、フアン・ディエゴを通して私たちに語りかけました。フアン・ディエゴとは私たちの代表であり、私たちのことです。
「お聞き、わたしの子どもの中で一番小さなフアンちゃん!」
「知りなさい、確信しなさい、わたしの一番小さな子よ。私は完全な終生童貞聖マリアです。唯一の真の天主の母です。」
もしも、マリア様が私たちのことを「子供よ」とおっしゃるならば、それはリップサービスでも、単なるたとえでもありません。マリア様は本当に、十字架の陣痛の苦しみをもって、私たちを超自然の命に生んでくださった、真の超自然の母です。
マリア様は、ご自分が本当に私たちの母であるということを確認されるかのように、日本に住む私たちのところにも来られ、愛の呼びかけをしてくださいました。マリア様から想像を絶するほど愛されているにもかかわらず、最愛の母であるマリア様の声が聞こえない、全聾のような私たちに語りかけます。
顔が擦り切れてしまうほどまでに、毎年毎年200年も踏みつぶされた私たちのお母様です。それでも、私たちのもとを決して離れようとはしませんでした。原爆の熱線で焼け焦げて、瞳が真っ黒い空洞になったとしても、その無い眼(まなこ)で、私たちのもとを離れずにご覧になっておられます。マリア様は「発見というより、まさに目の前におられ」(トラピスト修道会 野口嘉右エ門神父)、子供たちを母の愛で見守り続けて愛し続けておられます。
「聖母は日本を愛しておられます」(秋田の天使の言葉)
マリア様は私たちを特別に愛するがあまり、もはや黙っておられませんでした。フアン・ディエゴを通して語りかけるだけでは足りませんでした。終生童貞なる聖マリア、天主の御母は、湯沢台の丘から、私たち一人ひとりに呼びかけておられます。やさしく語りかけてくださっています。耳を澄まして聴いてください。シスター笹川は私たちの代表です。
「わたしの娘よ!わたしのこどもよ!」
「ここの一人一人が、わたしのかけがえのない子供たちです!」
いったい、マリア様は私たちに何を与えようとされるのでしょうか?
永遠の命を与えるために何をされようとするのでしょうか?
それはイエズス・キリストを与えることです。イエズス様はおっしゃいました。
「永遠の命とは、唯一の天主なるあなたを知ること、そしてあなたが遣わされたイエズス・キリストを知ることにあります。」(ヨハネ17:3)
マリア様は、私たちにイエズス・キリストの知識や信仰を与えてくださいます。マリア様が与えてくださった信仰は、誰も奪うことができません。見てください。250年の恐ろしい残酷な非道な迫害にもかかわらず、何万人ものキリシタンが、七代にもわたって信仰を守り続けました。彼らが探し求めていたものはお母様でした。
「サンタマリアの御像はどこ?」
「サンタマリア様はどこにいらっしゃるのですか?」
子供たちは、いつもマリア様を探し求めていました。原爆があったとしても。
見てください。1949年、聖フランシスコ・ザベリオが来日して、イエズス・キリストの信仰とマリア様を伝えてくださったその400周年を、長崎の原爆で破壊された浦上天主堂で行なった時、何千人という多くの人々の顔は生き生きとしていました。そして、日本の民に洗礼を授けてくださった、聖フランシスコ・ザベリオの右手の聖遺物の前に皆がひざまずき、今、皆さんが与っているのと同じ聖伝のミサが捧げられていました。どんなことがあっても、たとえそれが原爆であっても、マリア様のもとではイエズス・キリストの信仰が保たれます。
【遷善の決心】
最後に遷善の決心を立てましょう。
聖霊にお祈りいたしましょう。マリア様の御取次を請い求めましょう。聖霊の御助けで、私たちが信仰の真理を深く理解し、それを味わうことができますように。
「イエズス・キリストは主である。そして、マリア様は私たちの御母である。私たちは、マリア様の愛される子供らである」この深い意味が理解できますように。
来る8月22日は、聖母の汚れなき御心の祝日です。日本の第一の守護者である、マリア様の汚れなき御心の祝日です。残念ながら、ここではミサを捧げることができませんが、私たちを母の心で愛してくださっている、罪の汚れのない御心、その母の愛を愛して、そして、素晴らしい母親が私たちに与えられたことを天主に感謝しながら、汚れなき御心の祝日を過ごしてください。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。