聖霊の「孝愛」の賜物の黙想と、至福八端の第二「柔和」との関係
2025年8月3日 聖霊降臨後第八主日
トマス 小野田圭志神父説教 聖母の汚れなき御心聖堂(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日、聖パウロは書簡で私たちにこう教えています。
「あなたたちは、…養子としての霊を受けた。これによって私たちは「アッバ、父よ」と叫ぶ。」
これは、まさに聖霊の「孝愛」の賜物について話しています。ぜひこの機会に、聖霊の「孝愛」の賜物について一緒に黙想しましょう。さらには、至福八端の第二「柔和」との関係についても考察しましょう。
【他者:天主と隣人】
最初のポイントは、聖霊が、私たちの人生全てについて影響を及ぼされるという点です。私たちは、たった一人で生きているのではありません。多くの人々に囲まれ、天主との関係、隣人との関係において愛徳の生活を送るように、この地上に生きています。
聖霊は、私たちと天主との関係、私たちと隣人との関係について、私たちが本分を全うすることができるように助けてくれます。
では、どんな関係があるでしょうか?
たとえば、私たちが負債を負っている相手には正義が必要です。私のものは私のもの、あなたのものはあなたのもの、正義です。
では、天主に対して、この正義の関係はどうでしょうか?
それは、宗教の徳で関係づけられます。
私たちの両親あるいは家族、また祖国に対してはどうでしょうか?
これは、孝愛の徳が私たちを関係づけてくれます。
では、私たちの恩人に対しては、どのような態度を取るべきでしょうか?
それは、感謝の徳が私たちを行動づけてくれます。
このように、私たちを取り巻く、天主また全ての人々に対してあるべき関係が必要です。そして、その関係をよく果たすことができるように徳があります。倫理徳があります。正義の徳があります。私たちは確かに、徳を実践してあるべき関係を作り上げますが、しかし、私たちの力だけではどうしても不完全です。そこで、特に聖霊は特別なお恵みで、特に孝愛の賜物で、私たちのさまざまな他者との関係を素晴らしく統一させ、導き、深め、完成させてくれます。
【徳と孝愛の賜物】
では、どうやって統一させ、導き、深め、完成させてくれるのでしょうか? それを一緒に見ていきましょう。それは、徳と孝愛の賜物との関係を見ることによって理解できます。正義の徳あるいは倫理徳によって、私たちと他者との関係が調整され、隣人に与えるべき恩義や負債を返します。
ところで、天主や親に対しては、私たちが受けたものはあまりにも偉大で、それに完全に・数学的に等しいものを返すことはとてもできません。
徳とは、私たちが理性によって実践するものですから、「恩義を受けた」あるいは「これだけの利益を受けた」だから「負債がある」ということにより規定され、計られます。
ところが、この徳に対して賜物は違っています。孝愛の賜物は、天主を父親であると確信させる聖霊の息吹きによってのみ規定されます。今日、聖パウロが私たちに教えている通りです。
「あなたたちは、再び恐れにおちいるために、奴隷の霊を受けたのではなく、養子としての霊を受けた。これによって私たちは「アッバ、父よ」と叫ぶ。」
ですから、徳と賜物を比較してみると、天主から受けた無数の恩に対する義理、あるいは、天主の(みいつ)に対して、私たち被造物が持っている賛美の義務・責務などを果たさせようとするのが宗教の徳です。
これに対して、孝愛の賜物は、そのような天主に対する義務や責務については考えません。そうではなくて、ただ単に天主を父として考え、私たちは子供とみなし、親としての天主を、子供の孝愛の念(敬愛)で、ただ、ただ愛するのです。私たちは子供なので、私たちのお父さんの名誉と栄光を大切にするのです。聖霊は、孝愛の賜物を通して、私たちにこの子供としての愛を成長させてくれます。
また、宗教の徳が、天主を絶対の創造主、支配者、主権者であると考えて、それに対する義務を果たさせようとするならば、孝愛の賜物は、天主を愛すべき父だと考えさせます。
そして、宗教の徳が、天主から与えられたお恵みや祝福を考えさせて、どれほど利益を受け、どれほどのお恵みを受けたということを考えさせ、だからそのお恵みに対するお礼をしよう、礼拝をしようと考えさせるならば、孝愛の賜物は、受けたお恵みではなく、父の名誉と栄光だけを考えさせます。たとえば黙示録では、聖人たちが感謝してこう言っています。
「主よ、今在り、かつて在られた全能のお方よ、あなたのみ国を立てるために、その偉大な力をふるわれたことを感謝します。」(黙示録11:17)
ここをよく見ると、天主から受けたお恵みのためでもなく、天主の御国に入らせて頂いた賜物のためでもなく、天主から創られたという創造のお恵みでもなく、ただ単に、天主の偉大な力のため、天主の勝利と凱旋のために感謝しています。ちょうど先ほど、私たちがミサ聖祭の栄光頌で歌ったのと同じです。
Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam!
御身の偉大なる栄光のために私たちは御身に感謝し奉る、と。
御身の偉大なる栄光のために。
孝愛の賜物は、こうして徳とは区別されます。また、愛徳とも区別されます。愛徳とは、皆さんもご存じの通り超自然の徳で、その愛の対象は天主御自身です。でも、孝愛の賜物の対象は、天主の栄光と名誉です。確かに、聖霊の賜物の根源は聖霊の愛ですから、愛徳によって動かされているとは言えます。しかし、愛徳が天主を天主として愛させるに対して、孝愛の賜物は、天主の栄光と名誉がますます増えるようにと、子供としての私たちの心を動かします。
ロヨラの聖イグナチオは、こういうモットーを持っていました。
「天主のより大いなる栄光のため」Ad majorem gloriam Dei 。
また、マクシミリアノ・コルベ神父様は「天主の最大の栄光のため」をモットーにしていました。
今、徳について話していますが、孝愛の徳は、私たちの親に対して、家族に対して、祖国に対して、私たちの持つべき義務や務めを果たさせます。それに対して、孝愛の賜物は、天主を父と覚えさせるので、全ての人々を愛する兄弟姉妹と確信させます。そして、父なる天主の栄光と名誉を分かち合う、愛すべき兄弟姉妹であると思わせます。
ですから、孝愛の賜物は、隣人に対する厳格な正義の徳の規定というよりは、兄弟姉妹に対する家族愛によって、隣人を愛させます。正義による義務というよりは、愛情です。聖トマス・アクィナスによると、愛には、はかりがないと言います。愛とは、寛大に私たちの心から湧き流れ出るものだからです。そして愛とは、他の隣人に与えて、それがうれしく、喜びとなるものだからです。こうして、孝愛の賜物は、父なる天主という真理のもとに、全ての関係を一致させ、統一させて、導き、深め、完成させてくれるのです。
【孝愛の賜物の効果:天主に対して】
では、孝愛の賜物を私たちが受けると、どのような効果があるでしょうか? それを簡単に見てみます。天主に対してはこうです。孝愛の賜物は、子供としての信頼の念と、自分を天主に委託する心を与えてくれます。小さな赤ちゃんや子供を見てください。親に信頼して、身を全く任せています。それと同じように、孝愛の賜物によって、私たちは天主を完全に信頼し、自分を全く委託します。イエズス様は言われました。
「まことに、私はいう。あなたたちが、子どもの状態に立ちかえらないなら、天の国には、はいれないだろう。」(マテオ18:3)
20世紀前にイエズス様が言った言葉ですが、この御言葉を深く理解し、実践した聖人がいました。幼きイエズスの聖テレジアです。霊的幼子の道と言われています。孝愛の賜物に息吹かれた教えです。聖テレジアは、この霊的幼子の道を「天国へのエレベーター」と呼んでいました。もしも、聖テレジアが現代に生きていたら、天国への飛行機とか、天国へのロケットと呼んでいたかもしれません。孝愛の賜物に息吹かれた無制限の信頼、そして完全な天主への委託の心です。
さらに、孝愛の賜物を頂くことによって、天主に信頼し、天主に委託するのみならず、さらに道を進みます。霊魂は、御父の栄光のためにいけにえとなった、イエズス・キリストと共にいたいと思います。そこで罪の償いのため、父なる天主の栄光のために力を尽くそうと思います。御父の栄光を渇望して十字架につけられたイエズス・キリストと共に、自分をいけにえとして捧げたいと思うようになります。特に御聖体拝領で、イエズス様の犠牲にあずかり、イエズス様と共に自分を捧げるようになります。御父の栄光のために、罪によって侮辱される天主の栄光を償おうと、孝愛の賜物によって動かされます。
【孝愛の賜物の効果:隣人に対して】
孝愛の賜物の効果は、天主に対してのみならず、隣人にも及びます。霊魂は、まず隣人に対して、ますます寛大になります。段階を追って寛大になりますが、次の段階として、霊魂は、自分の余っている余分なものだけではなく、必要なものさえも与えたいと思うようになります。
聖パウロは、同じユダヤ人たちのためにこう言っています。
「私の兄弟と、肉親の者のためならば、私自身は呪われてキリストから棄てられた者となることさえ望む。」(ローマ9:3)
こうして、孝愛の賜物の隣人に対する影響の最後の段階は、隣人の霊魂の救いのために、自分の全てを与え尽くすところまで動かされることです。
聖パウロはこうも言っています。
「私は、あなたたちの霊魂のために大いに喜んで、すべてを費やし、私自身さえも費やすつもりである。私があなたたちを愛すれば愛するほど、あなたたちから少なく愛されることになるとしても。」(コリント後12:15)
こうやって、養子の霊をうけて愛徳から湧き出る孝愛の賜物には、計りも限度もありません。このようにして、聖霊は私たちを天国の高みへと導いてくださいます。
【至福八端の第二】
では最後に、至福八端との関係を申し上げます。孝愛の賜物は、父なる天主への孝愛の念から怒りの感情を清め、鎮めます。天主の柔和が、霊魂に注がれるからです。私たちの霊魂に柔和が広がります。イエズス・キリストもこの地上で、柔和で心の謙遜な方であられました。
「私は、心の柔和な、謙遜な者であるから、私のくびきをとってならいなさい。そうすれば、霊魂は休むであろう。」(マテオ11:29)
孝愛の賜物は、天主を父として見させるので、天主に対して柔和にさせ、また隣人を兄弟姉妹と見させるので、隣人に対しても柔和にさせてくれます。また自分において、父なる天主の輝きと息吹きを見出させるので、自分自身に対しても柔和になります。イエズス様は、至福八端の第二でこう言われました。
「柔和な人はしあわせである、かれらは地をゆずりうけるであろうから。」
まさに、聖霊の孝愛の賜物により動かされ、そして柔和で、謙遜でおられた心が、その模範がマリア様の汚れなき御心です。最後に、マリア様に御取り次ぎを願って、聖霊の賜物、孝愛の賜物を請い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。