聖霊降臨後第六主日の説教―聖寵とは(大宮)
イエズスの聖心
聖霊降臨後第六主日の説教―聖寵とは(大宮)
2025年7月20日 フランソワ=マリー・ショタール神父
聖霊降臨後第六主日の説教―聖寵とは
おそらく、よく言われるこの格言をご存知でしょう。「聖寵は自然を破壊するのではなく、自然を前提とし、それを完成させる」と。また、聖寵は自然本性へと接木されるものだと言われます。つまり、聖寵は、私たちのもっている自然の輪郭に結合して、それよりも優れた実を結ばせるということです。
また、聖寵とは超自然的な生命だとも言われます。なぜなら、聖寵の生命は確かに自然の上に接木されるものの、自然よりも優れているため、その意味では超自然的なものだからです。
最後に、聖寵とは癒す薬効があるとも言われます。これは、原罪によって傷ついた私たちの自然本性に対して、天主が与えた薬のことを指しています。
したがって、聖寵には調和、高揚、治療という三つのことがあります。
調和
聖寵は自然本性を破壊するのではなく、それに適応します。そのため、自然の生命と超自然の生命が対応するのは当然です。
人間が自然の身体、霊魂、肉体、精神的な能力、知性、意志、下位の能力、情念を備えているように、キリスト者は超自然的な存在として、霊魂を完成させる聖寵、知性を高める信仰、意志を完成させる愛徳、その他の注入された徳、聖霊の賜物によって、この超自然的な存在を完成させています。
しかし、自然の生命と超自然の生命の間に対応関係があるということは、超自然の生命にも、自然の生命に見られるような成長や完成の可能性、そして残念ながら死の可能性も存在することを意味します。
そのため、人間は超自然的な人生において成長することができ、霊的な生命のいくつかの段階があると言われることもあります。子供の時代または初心者の時代、進歩の時代、そして完全な時代です。
同様に、超自然的な生命において、信仰が成長し、その信仰が日々強まり、信仰の真理が日々より深く理解され、より適切に実践されるようになるのは自然なことです。愛徳が根付き、キリスト者の人生においてますます重要な位置を占めるようになることも、自然なことです。
高揚
聖寵の概念に含まれる第二の重要な考え方は、高揚です。なぜなら、超自然的な生命は、自然的な生活と並行する生命ではないからです。むしろ、超自然的な生命は、自然的な生命を向上させ、変えて、高貴にし、より高い次元へと位置付けるものです。
ご覧の通り、人間の霊魂は聖寵によって破壊されるわけではありません。しかし、聖寵が与えられた霊魂は、もはや単なる人間の霊魂ではなく、天主の御子としての霊魂、天主の御姿に似せられた霊魂なのです。
人間の知性は、その本質や機能において変化することはありませんが、聖寵により、これまで到達できなかった知識にたどり着くことができるようになります。
信仰によって、人間は天主の神秘さえも知ることができます。そして、その神秘を知ることができるのは、天主が御自分の知識を人間に与えるからです。人間は、ある意味で、天主の知性に近づくのです。
愛徳によって、意志は天主の愛そのものへと高められます。つまり、愛徳によって、人間は天主が自分自身を愛するように天主を愛するのです。これは天主の心(こころ)に参与することです。皆さんは、特別に知的で善良で、才能がある人々を前にして、このような人々の知性や善良さ、才能にあずかりたいなと感じたことはありませんか?輝かしい人々は、そのような善を放つため、自然と彼らに似たいなと思うようになります。
ところで、聖寵と愛徳によって、私たちは天主に似るようになります。聖ヨハネは「天主は愛である」と言っています。愛徳を持つ時、私たちは天主に似るのです。これはもしかしたらすべてのキリスト者においてまだ明白ではないかもしれませんが、しかし現実のことです。
さらに、聖寵の状態で行われたどんな小さな善い行いにも、永遠の性格が与えられます。キリストへの愛によって、愛徳によって、与えられたたった一杯の水が、永遠の報いを受けることを想像してみてください!
薬効
最後に、聖寵の第三の特性は、それが薬効を持つことです。確かに、地上の楽園では聖寵はアダムとエワの霊魂を高めるだけでした。しかし彼らが罪を犯して以来、自然は傷つき、自分に閉じこもり、破壊されたのではないけれども損傷を受けた状態になりました。これは、足が不自由な人が足の機能を失ったのではなく、容易で快適な使用を失ったようなものです。
これらの困難を補うために、天主は私たちに聖寵を与えました。もちろん、この聖寵は目立つものではありませんが、それでも確かに存在しています。
すでに聖人たちにおいて、欠点は次第に削られ、磨かれ、破壊されています。聖人は、ごく稀な例外を除けば、人間の本性において、ほとんどよそ者のように見えます。虚栄心、情欲、肉欲は、彼らに力を及ばせなくなっています。人間の道徳的なみじめさは蒸発したかのようです。そして内的な人間が姿を現すようになっています。
キリスト教世界においてもそのことは明らかです。キリスト教の思想、カトリックの芸術、キリスト教的な組織制度のもつ正義、憐れみ、慈善事業の繁栄、孤児院、学校、病院、療養所、といったこれらの記念碑的な存在を見てください。
聖寵は個人だけでなく、社会全体を、つまり家族、職業団体、都市全体などを癒してきました。聖寵は、人間が生まれつき持っている利己主義とは正反対のキリスト教的な要素を、社会や政治の仕組みの奥深くまで浸透させてきました。
調和、高揚、薬効、これらが超自然的な生活の三つの主要な特性です。これらが聖寵の価値、美しさ、善さを構成しています。
これが私たち全員にとって、天主の助けで内的な人間を発展させるための励ましとなりますように。内的な人間の発展は、私たちにとって主イエズス・キリストへの感謝の証しとなり、護教のための励ましとなるでしょう。
アーメン。