聖霊降臨後第六主日の説教―創造(大宮)
パンと魚の増加の奇跡
聖霊降臨後第六主日の説教―創造(大宮)
2025年7月20日 ニコラ・カディエ神父
聖霊降臨後第六主日の説教
• 1. 今日の福音書には、パンの増加のはなしが記録されています:
• 私たちの主は人間的で、同情深く、現実主義的です。人々は主に従いましたが、食べもの用意を忘れていました。彼らが主に従ったために罰せられるようなことがあってはなりません。
• イエズスは霊魂だけでなく、足を洗い、癒し、よみがえらせ(さらに食べ物を与え)、婚姻の席に参加されるなど、様々なことを行われました。
• 確かにこれは人々の心を勝ち取るためだったかもしれませんが、主はこれらの細部に気を配ることが普通であることを示しています。
• この配慮の理由は何でしょうか?天主は万物の創造主です。肉体と霊魂を創造されました。(このことは、肉体を悪とするマニ教徒や、霊魂を否定する唯物論者に反対しています。)天主は知性と意志をつくられました。(このことは全てを知識に帰するグノーシス主義や意志だけを重んじるルターの反知性主義に反対しています。)主は個人と社会を創造しました。 (これは個人を否定する全体主義や、社会を否定するアナキストと個人主義に反対しています。)天主の摂理はすべてを統括しています。
• そのため、イエズスと、主に従うカトリック教会もまた、人間のすべての世話をします。(病院を経営する修道会、知的教育を行う学校や大学の運営、人格と徳の形成、聖人の模範、文明社会の形成、宣教の事業などを見てください。)
• この福音書の最初の教訓は、すべての創造物は善であり、はぐくむべきものであるということです。問題なのは、被造物の使い方が常に善ではない点です。キリストは万物の王であり、創造物のいかなる部分もキリストの支配から逃れることはできません。
• 2. 天主は御摂理です。主はすべてを創造しただけでなく、ご自分の被造物を世話し、完成へと導きかれます。野の花や空の鳥を顧(かえり)みられるように、ましてや人間を顧みられるのはなおさらです。
• 天主は常に直接的に世話するわけではなく、二次的な原因を通じて支配されます。例えば、子供の教育は、教師によって行われ、注入された知識によるのではありません… 土地の管理に関しては、人間がその守護者です。
• しかし注意してください、人間は単なる守護者であり、創造主ではありません。天主が定めた自然の法則に従わなければなりません。この法則を無視することは、創造主への冒涜であり、罰を受けることになります。エイズのような病気は、自然の法則の違反に対する自然の反撃です。
• 安楽死、自殺幇助、自然に反する罪の行為、結婚以外の関係で子供を産むこと、その子供の売買など、これらの悪行は、天主の権威を否定する行為です。啓蒙主義者は、自分自身が定めたものでないような秩序を認めません。これは、天主が判事サムエルに説明したことです。ユダヤ人らはサムエルに王を求めたのは、「おまえ(ユダヤ人たちを長く裁いてきたサムエル)に反対しているのではなく、彼らは私に反対して不満を抱いているのだ」と。
• 自然の法のために可能な限り闘わなければなりませんが、そのためには自然の法を知らなければなりません。私たちは自然の管理者であるに過ぎないからです。
• 3. この自然の管理において規則があります。すべてのことを要約するとその規則とは、すべては秩序に従わなければならない、最終的な目的へと向かう秩序に従わなければならないということです。では何のためにすべてが作られたのでしょうか?
• すべては天主の栄光のために存在します。(これは第一バチカン公会議で明示された教義です!)物質は精神のためにあり、大地は天のためにあります。
• 私たちは体の健康を守ろうと、いつもおびえているかもしれません。しかし、霊魂の生命の方がもっと重要です!病気であっても聖人である方が、健康な罪人であるよりましです!
• 地球の保全は確かに正当な懸念ですが、信仰の保全の方がさらに重要です。絶滅の危機に瀕し、緊急に保護すべき種(しゅ)は、忠実なカトリック信者です!
• 4. すべての物事を秩序だてて整えると、聖寵がそこに与えられます。「まず天主の国とその正義とを求めよ。そうすれば、それらのものも加えて、みな、お与えくださる。」
• 聖寵は癒し(sanans)高める(elevans)ものです。聖寵は原罪が自然にもたらす影響を是正して癒し、さらには私たちが天国で天主を至福直観で見るための手段を与えて高めます。
• その時、本当の文明が自然に生まれます。確かに、御聖体は経済を回復させませんし、身体の病気を治すわけでもなく、富をもたらすことはありません。しかし、御聖体は霊魂を強め、より良いものとします。人間が聖徳を積む時、文明は花開きます。これがルフェブール大司教がアフリカでミサ聖祭の影響について証言した内容です。
• したがって、キリスト教信者は自然を超自然的な視点で見ることができます。現代の環境主義がやるように自然を天主であるかのように愛するのではなく、天主へと到達する手段として愛するのです。