聖霊降臨後第二十二主日の説教―書簡について(2024年、大阪)

ソース: FSSPX Japan

牢獄の聖パウロ

聖霊降臨後第二十二主日の説教―書簡について(2024年、大阪)

2024年10月20日 ブノワ・ワリエ神父

親愛なる兄弟の皆さま、今日の第一朗読は、聖パウロの「フィリッピにいるキリスト・イエズスにおける聖徒に」、つまりギリシャの都市フィリッピの信徒に宛てた書簡の抜粋です。使徒信経(「諸聖人の通功、つまり聖徒の交わりを信じ奉る」)にあるように、彼らは「聖徒」と呼ばれています。なぜなら、私たちは、洗礼の恩寵によって、聖なるカトリック教会に組み込まれているからです。

1章2節:私たちの父なる天主と主イエズス・キリストから、あなたたちの上に恩寵と平和があるように。

これは、使徒パウロが常に用いている挨拶の形式であり、そこにはすべての内的および外的な善が含まれています。

3節:私は、あなたたちのことを思い出すたびに、私の天主に感謝している。

聖クリゾストモスによれば、聖パウロは、天主が彼らにいかに多くの偉大で良き賜物を与えてくださったかを自覚していましたから、天主をたたえると同時に、彼らのために祈るのです。聖パウロは過去のことに感謝し、これからのことのために祈ります。彼は、彼らの最初の回心の時からなされた善行について天主をたたえ、彼らがキリストの日まで耐え忍ぶことができるように祈ります。うまく始める者ではなく、最後まで耐え忍ぶ者が救われるのです。

4-5節:いつもあなたたちみなのために祈るたびに、喜びをもって切に祈りを捧げている。あなたたちは最初の日から今日まで、キリストの福音を広めるために協力したからである。

ひとりの罪人の回心のために天に喜びがあるのなら、その罪人が善において耐え忍ぶことには、どれほどの喜びが天にあることでしょうか。
使徒パウロの喜びの原因は、フィリッピ人たちが福音の宣教者たちを支えるために寛大に惜しみなく支援したことにあります。時々ではなく、ずっと、あなたたちの最初の改宗の日から今に至るまで、ローマで投獄されている私に、あなたたちの司教であるエパフロディトの手を通して、大いなる援助と支援を送ってくださいました。

7節:私の心においても投獄においても、福音を守り固めることにおいても、あなたたちはみな私の恩寵にあずかっている。

フィリッピ人たちは、使徒パウロの必要を満たすために惜しみなく支援することによって、パウロの鎖の徳、護教、キリストの真理の堅持における協力者となったのです。このように、この世の財産に富む者、あるいはこの世の影響力を持つ者は、聖徒たちの徳の分け前に与ることができます。大聖グレゴリウスはこう言います。「彼はニレの木のようなもので、自分では実を結ばないが、自らにつくぶどうの木の豊かな実りにおいて、富んでいる」。

8節:私があなたたちみなを、キリスト・イエズスの心をもって慕っていることは、天主が証明される。

使徒パウロは、自分の心から出た言葉では自らの愛情を表現することができず、イエズス・キリストの聖心をもって、それを表現します。彼はキリストの心でフィリッピ人たちを愛し、いわばその聖心の激しさと炎をもって、彼らの救いと永遠の幸福を切に願います。

9節:あなたたちの愛が、ますます深い知識と理解において、増し加わることを祈る。

知識と賢慮がなければ、私たち自身が盲目となり、盲人の指導者になりかねません。私たちは、天主の真理についての知識と、生活を行う上での賢慮さを求めて祈る必要があります。

10-11節:あなたたちが、よりよいことをわきまえ、キリストの日に、とがのない清い者となり、天主の栄光と誉れを現すために、イエズス・キリストからくる正義の実で満たされるように。

愛が知識や知覚と結びつけば、何が最善かを見分けることができるようになります。これが第一の効果です。第二の効果は、純粋さ、誠実さ、天主の前での良心の誠実さを与えることです。そして第三は、審判の日まで、つまずくことなく、天主をお怒りさせることなく、信仰上の困難や、恩寵によっても克服できない救いの障害に出会うことなく、キリスト信者としての道を歩み続け、耐え忍ぶことができるようになることです。第四の効果は、知識と結びついた愛、つまり、義化において与えられた天主の恩寵から来る善行を、豊かに行えることです。

結論

親愛なる兄弟の皆さま、
今日の書簡は、特に感動的で啓発的です。
聖パウロは当時、ローマの牢獄にいました。しかし、遠く離れたフィリッピの信徒たちは、自分たちに救いの恩寵をもたらしてくれた人を、忘れることも見捨てることもありませんでした。
それに応えて、使徒パウロがフィリッピ人たちのために祈った祈りの最高で究極の目的は、彼らが、天主の栄光と賛美につながる、愛と知識と善い行いに富むようになることです。
私たちが皆、カトリック教会から受けたものに感謝することができますように。
そして、「いとも忠実なる童貞」である聖母に、私たちが最後の息を尽きるまで忠実であり続けることができるように願い求めましょう。アーメン。