聖霊降臨後第八主日の説教―おまえの会計の報告を出せ(大宮)

ソース: FSSPX Japan

最後の審判

聖霊降臨後第八主日の説教―おまえの会計の報告を出せ(大宮)

2025年8月3日 パトリック・サマーズ神父

聖霊降臨後第八主日の説教―おまえの会計の報告を出せ

「おまえの会計の報告を出せ」(ルカ16章2節)。

これは、天主なる審判者が、聖なる裁きとしての厳しい言葉を、私たち一人一人に語りかけるということです。「おまえの会計の報告を出せ」。なぜなら、遅かれ早かれ、生と死の主は、私たちをこの世からお呼びになって、主の審判の座に召喚され、私たちにこの世での全生涯を報告させるからです。主は、私たちの死後、直ちに私審判を行われます。私審判は、終末の日の最後の審判のように公的に行われるのではなく、各々の霊魂に対して私的に行われます。ですから、これは私審判と呼ばれます。すべての人が一斉に裁かれる公審判とは異なり、私たちが個別に一人ずつ裁かれるからです。

そこで今日は、私審判についてお話しして、次の三つの問いにお答えしましょう。

一.私審判はいつ、どこで行われるか。
二.私審判は、どのように行われるか。
三.私審判のために、私たちはどのように準備すべきか。

第一部 私審判は、各個人の死後、直ちに行われます。すべての人は、死んですぐに、報酬あるいは罰を受けます。使徒聖パウロはこう言っています。「人間は一度だけ死んで、その後審判を受ける」(ヘブライ9章27節)。私審判の場所については、誰もが死んだ時のその場所で裁かれるというのが、一般的な見解です。なぜなら、天主はどこにでもおられるからです。天主は皆さまをどこか裁く所に連れていく必要はありません。天主はどこにでもおられるので、天主の法廷もどこにでもあるからです。

第二部 私審判は、次にように行われます。

1.霊魂は、付き添う人もなく、ただ一人で、天主なる審判者の前に出なければなりません。霊魂は、肉体から切り離されています。これは霊魂にとって、どれほど恐ろしいことでしょうか。霊魂が知っているのは自分の霊魂と肉体だけなのに、長年にわたって最も親密に結ばれていた伴侶である肉体から離れることは。

2.さて、肉体は霊魂から切り離されますが、霊魂にとっては、この世のすべてのものからも切り離されることになります。家屋、家庭、住居、金銭、名誉、尊厳から。ですから死は、盗人だと言われます。私たちが所有するものすべてを剥ぎ取り、物質的なものやこの世のものは何も残してくれません。

3.また、霊魂は、肉体から、すべての所有物から切り離されるのみならず、この世にいる他のすべての人からも切り離されます。この世では、多くの親族や家族や友人がいたとしても、みな離されてしまいます。そして私たち霊魂は、たった一人で天主の裁きの座の前に行かなければならないのです。弁護士や、私たち代弁してくれる人や、私たちの罪の弁明ができる人は、誰もいないのです。私たちが責めることのできる者は誰もおらず、また誰かの犠牲者であると言うこともできません。

肉体や所有物や他の人々から切り離された霊魂には、キリストが審判者となられます。御父がキリストに審判をお委ねになったからです。この世での生活の間、つまり現時点では、キリストは、霊魂にとって愛とあわれみの天主であり、救いのために数え切れないほどの恩寵を授けてくださいますが、しかし審判の時が来ると、キリストは聖なる正義として、審判者として私たちの前に立たれ、人間の人格を顧みることなく、私たちの人生のあらゆる瞬間の説明をお求めになるのです。

霊魂が審判者の前に現れるとすぐに、調査が始まります。この調査は、私たちの思い、言葉、行い、怠り、与えられた多くの恩寵の使用、私たちの宗教の義務および身分に応じた義務、私たちの行いの状況と意図にまで及び、そのすべてが一瞬のうちに天主の御前にさらけ出されます。罪深い霊魂は、自分の罪がすべてあばかれることに、どれほど震え上がることでしょうか。どれほど恥ずかしく、混乱し、苦悩に打ちひしがれることでしょうか! しかし、イエズスの法廷の前に立つ義人の霊魂は、完全な正義の法廷で義人と認められた霊魂は違います。天主の御旨を行い、人間的な弱さから時には罪に陥ったとしても、その償いをした人たちです。直ちにキリストは、私たちが行った苦業や償いの実践をすべて明らかにされます。うれしい驚きとしては、私たちがもう覚えていなかったり、価値が分からなかったりした多くの善を見て喜び、天主の善さをほめたたえます。常に天主への奉仕に身を捧げた霊魂が幸いなるかな。

そして最後に、この完全で完璧な正しい調査の後に、聖なる審判者が判決を下します。この審判は、霊魂がどのような状態にあるかに応じて、三つの判決があり得ます。

(a)まず、霊魂が、成聖の恩寵の状態にあって、けがれもしみもない場合、その霊魂は直ちに天国に送られます。天主なる審判者は霊魂に言われます。「祝せられた霊魂よ、来て、世の初めからあなたたちのために備えられた国を受けよ」(マテオ25章34節)。我らの主の口からこの判決を聞けば、霊魂はどれほど喜ぶことでしょうか! イエズス・キリストの裁きはなされました。すべての争い、危険、苦しみは終わりました。霊魂は今、永遠に、自分の望みと愛の唯一の対象である我らの主イエズス・キリストと共にいることができ、諸天使諸聖人の仲間とともに天主の家に永遠に住むことができるのです。これが、第一の出され得る判決です。もちろん、これが最も良い、唯一の良い判決です。

(b)第二に、霊魂が、成聖の恩寵の状態でこの世を去るものの、小罪でけがれている場合、あるいは、この世で天主の法が要求するすべての償いを果たせなかった場合、彼らにまだ残されている正義のために、霊魂は煉獄に送られ、我らの主が言われたように、最後の一厘を返してから天国に挙げられます。(マテオ5章26節)。

(c)そして最後に、あり得る中で最悪の結果です。霊魂が、大罪の状態でこの世を去る場合、判決は永遠の地獄の火になります。完全な正義の怒りに満ちて、主は私たちにこう言われます。「のろわれた霊魂よ、私を離れて悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入れ」(マテオ25章41節)。簡単に手に入れることができたのに、永遠に失われてしまった天国のことを思うと、私たちはどれほど嘆くことでしょうか! 永遠に失われてしまうのでしょうか。天主は私たちを天国に入れてくださるのでしょうか、それとも地獄に落とされるのでしょうか。これは、私たち自身にかかっています。ですから、この以上に重要な問いはありません。審判のために、私たちはどのように準備すべきか。

第三部 私審判のために、私たちはどのように準備すべきでしょうか。聖パウロはこう言っています。「私たちが自らわきまえるならば、裁きの下るはずはない」(コリント前書11章31節)。ここで聖パウロは、審判が良い結果をもたらすように、私たちがどのように準備すべきかを教えています。私たちは自らをわきまえ(裁か)なければなりません。つまり、ます私たちの過去の生活を調べ、改めるのです。

1.私たちが過去の生活を、そうすべきだったように過ごしてこなかったことは、あまりにも確かなことです。思い、言葉、行いにおいて多くの罪を犯し、なすべき多くの償いを怠ってきたことでしょう。自分の過去の生活を振り返って自問するのは善いことです。私の問題はどうなっているのか。私はすべての罪からも、以前の生活の悪い習慣からも解放されているだろうか。私は、できる限りすべての傷を修復しただろうか。私は不正に得たものを元に戻し、他人がこうむった損失を補償しただろうか。まだすべての償いがなされていなければ、自分の霊魂を整えるのを送らせてはなりません。主がいつ来られ、審判に呼ばれるか分からないのですから。もしまだ総告解をしていないなら、できるだけ早く行いましょう。過去の生活の罪に対する自発的な償いを怠らないようにしましょう。天主の正義を十分に満足させ、真の悔悛の生活のために、そして徳において堅忍するために、多くの恩寵を得るためです。

2.そして、現在の生活については、私たちは自分自身を調べなければなりません。それは、常に今日というこの日を、今その時を生きられるように、そして自分自身の善い会計の報告を出せるように。ですから、私たちは調べなければなりません。

(a)私たちの聖なる信仰における義務とは何か。何をおいても天主を愛しているだろうか。そのことを私は示しているのか。大罪で天主を侮辱するくらいなら、むしろあらゆる悪による苦しみ、死による苦しみさえも受けるだろうか。私はこの世のものに対して、行き過ぎた愛着を抱いていないだろうか。私は頻繁に天主に心を挙げているだろうか。私は主日と祝日を聖としているだろうか。私は頻繁に秘跡を受けているだろうか。私は霊的読書をしているだろうか。私はカトリック教会を愛しているだろうか。私は隣人にどのように接しているだろうか。私はすべての人の幸せを願っているだろうか。私はすべての人の成功を喜ぶか。すべての人の失敗に忍耐しているか。慈善のわざとして彼らを愛しているか。すべての人のために新設や善いことをすることを好んでいるか。

(b)私たちの身分に応じて、自分自身を調べることができます。結婚していても、独身であっても、若くても年寄りでも、学生でも職業人でも親でも、自分の身分において、良心に反するようなことが起きていないかどうかを調べて確認してください。

私たちはよく「めでたし」の祈りの中で、「天主の御母、聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え」と祈ります。私たちはこれを、毎日何度も祈ります。これは常に、自分の私審判について考え、その準備ができるよう童貞マリアに助けを願い、またマリアの浄配であり、幸いなる死の守護聖人である聖ヨゼフにも助けを願う良い機会です。

そして最後に、私たちは自分の過去の生活を定期的に調べ、誤りや過ちをすべて遅滞なく正さなければなりません。先ほど申し上げたように、もし必要であれば総告解を行ってください。一日も欠かさずに、自分の過ちを心から悔い改め、さまざまな償いのわざによってその過ちを償うように努めましょう。大罪だけでなく小罪も避け、キリスト教的徳を実践し、毎日を人生最後の日のように過ごしてください。そのように自分をわきまえるなら、私たちは裁かれることはありません。我らの主イエズスは、審判の日に恩寵のうちに迎えてくださり、ご自分がお選びになった人々とともに、永遠の幸福に入らせてくださるでしょう。アーメン。