聖家族の模範に倣おう
御公現後第一の主日 イエズス・マリア・ヨゼフ聖家族の祝日
トマス小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は2025年1月12日、御公現後第一の主日、そして、聖家族の祝日です。
(今日の午後には、3回のお話とお祈りのための講話を準備しています。2025年がより聖なるものとなるために、皆さんの参加をお待ちしております。明日もまた、ここで10時からミサがあります。
2月も、やはりここで、同じようなスケジュールでミサが予定されています。)
今日は聖家族の祝日ですので、聖家族の神秘を一緒に黙想致しましょう。
イエズス様、聖ヨゼフ、マリア様の模範を黙想して、それで最後に、私たちは遷善の決心を立てましょう。
【私たちが天主の子供となるため】
昨日、少し黙想しましたが、なぜ、イエズス様がお生まれになったか、クリスマスにお生まれになったかというと、それは、「私たちが天主の子供となるため」でした。
たった一言で、全宇宙を無から創造した天主でも、私たちを罪から贖い、悪魔の奴隷状態から解放するためには、とてつもない代価を支払うことが必要でした。
天主の御一人子は、私たちを御自分の子供とするために、永遠の父の懐(ふところ)から、人間としてこの世に来られ、地上での御生活の最期には、十字架の上につけられて、3時間の間、残酷な苦しみを忍ばれました。
そして、贖いの業を達成されました。
しかし、この3時間の贖いの業を達成するためには、3年間の公生活が必要でした。その間、多くの奇跡を行なって、崇高な御教えを垂れ、そして涙を流され、尊い御血も流されました。その間、多くの断食も捧げられましたし、そして、疲労や徹夜の祈り、また、多くの愛徳を行なわれました。
その3年間の公生活のためには、主は、更なる準備を必要としていました。
天から降られて、マリア様の御胎内に1年間、そして、最初の30年間は、この地上でのご生活を、家族生活のうちにお過ごしになりました。
私たちを、無のような私たちを天主の子供とするためには、ただ3時間の十字架では足りず、3年間の公生活でも足りずに、30年間の模範を必要だとお考えになりました。
私たちが、天主の、三位一体の至福の円居に入るためには、この地上でのほとんどの生活を、家族生活で送ることが必要だとお考えになりました。
何故かというと、主のお考えによれば、そして、何故ならば、私たちにとって、私たちが現実に、本当に、家族生活、家庭生活が非常に必要であるからです。
【家族】
家族というのは、皆さんもご存知の通り、天主が定めた制度です。
人間が自由に契約で結んだ、作った、のではありません。
家族とは、天主が創立した制度で、人間にとって最も自然で、絶対に必要なもので、また、人間の社会の基礎です。根底です。
なぜ、天主が家族を創立したかというと、それは、天主が婚姻を定めたからです。そして、家族というのは、基本的には、本質的には、結婚によって成立します。
もしも、人間が一つの家族だ、兄弟だ、というのだとしたら、それは何故かというと、私たちすべては、アダムとエワから来た子孫であるからです。
血で繋がれた一つの家族だという意味です。
もしも、私たちが、家族が人間にとって自然だというのだとしたら、それは、人間の本性に適っているからです。
人間は、どうしても、家族の愛情の中で生まれて、そして育ち、教育を受けなければなりません。人間は、たった一人で生まれてきて、たった一人でロボットのように造られて、この世にやって来るわけではありません。
人間は、家族の中で生まれてきます。お母さんから——お父さんとお母さんから生まれてきます。ですから、人間は、一人では人間らしく生活をすることができません。すべての人が、皆さんも私も、お父さんとお母さんから生まれてきて、私たちの特別の名前を付けられた子供であって、そして、家族の一員です。
家族が人間世界の根底だ、というのは、家族が家族らしく生活するためには、多くの家族と天主様の助けが必要だからです。
たとえば、私は、小野田という苗字を持って、家族の名前を持って、そしてカトリック教会に属していて、日本という国に属しています。
そうして私たちは、そのような社会生活に属して始めて、人間らしく生活することができます。こうやって、私たちが家族によって人間らしく生活すること、そのようにできている、生まれつきそうなっているということ、そして、家族によって人間が存続する、人類が続けられるということは、天主によって定められました。
ですから、天主の御言葉は、30年間の家庭生活を送ることによって、その重大さを雄弁に私たちに訴えています。
【聖家族】
では、聖家族は、どのような生活を送られたのでしょうか。
主の送られた長い家庭生活については、詳しいことは伝えられていません。
私たちが知っていることは、福音ではほんの少しです。
ラテン語ではこうあります。 et erat súbditus illis.
今日、福音で読まれたところです。
イエズス様は、「彼ら――つまり、聖ヨゼフとマリア様――に服従しておられた」ということだけです。これが、主の30年間の家庭生活のすべてです。
誰が誰に服従したか?というと、天主が、全能永遠の天主が、被造物の人間に従っていました。天主が、被造物である人間に従順だったというのは、主のご謙遜を示しています。
そればかりか、被造物である人間——聖ヨゼフや聖マリア様が、イエズス様に、天主に命令することができた、ということは、親が持つ尊厳をも教えています。
イエズス様が服従したというのは、親の方が力が強いからとか、押し付けるから、性格が強いからとか、あるいは、良い親だから、あるいは、その命令が気に入ったから——だから従ったのではありませんでした。
そうではなくて、天主が親に与えた、聖ヨゼフと聖マリア様に与えた権威がゆえに、天主御父の代理者であったから、天主に従い、天主を愛するために「はい」と従いました。
もちろん、イエズス様の方が力がありましたし、イエズス様の方が「こうだ」と言えば、それを押し付けることもできましたし、イエズス様の方が、より良い方でしたし、より最高の、聖なる天主御自身でもありましたから、ですから、自然の力でいえば、もしかしたら、イエズス様は、自分の思い通りにやろうと思えばできたかもしれません。いえ、そうではなくて、親の権威に対する尊敬から、天主御父に対する愛から服従しました。
ともすると私たちは、その役割もその権限も無いのに、自分の思い通りに、あるいは弱い人に、あるいは周りの人に、私の意見を押し付けて人を動かそうとしたり、あるいは、他の人よりも優位だと思ったり、あるいは、天主様のやり方でさえも、文句をつけようとしたりしがちです。
しかし、イエズス・キリストは、私たちに「謙遜と従順の模範」を示しました。
そして、特に子供たちに、従順の模範を示しました。
イエズス様は、30年間のこの模範を示した後には、ついには、十字架の死に至るまで、天主御父に対する謙遜と従順の模範を示されます。
【聖ヨゼフ】
では、聖家族の聖ヨゼフに目を移してみましょう。
福音書には、聖ヨゼフが「義人」であった、とあります。
ヨゼフ様について書かれていることは、ほとんど無いのですけれども、義人だとあります。つまり、天主の御旨に従って、聖家族の長として、頭として、すべての義務を果たすべき聖徳を持っていた、ということです。
たとえば、ローマ皇帝の人口調査の命令が出ると、冬であってもすぐに旅に出て、従順に従いました。
更に、ヘロデが幼児の命を狙っている、と告げられた時は、天使から夢の中で告げられた時に、イエズスを死の危険から守るために、真夜中に起きて、すぐさま天使の命令に従いました。エジプトに避難しました。
聖ヨゼフは、父親としての力強い愛を持っていました。
そして、この愛でイエズス様をお愛しし、そして、夫としての清い愛で、マリア様を愛した義人でした。
もしも、カトリックの文化の中で、レディーファーストとか、女性を、弱い女性を大切にする、お母さんを——母親に対する、子どもたちを持っている母親に対して敬意を払う、というものがあるとしたら、これはカトリックらしい、非常にカトリックらしい文化であって、そして、特徴です。
聖ヨゼフもまさにそうでした。マリア様に対する、特別の清い尊敬がありました。苦しい、そして辛いエジプトへの逃亡生活——聖ヨゼフは、常に、マリア様とイエズス様のそばで、聖家族を守っていました。
ナザレトでの生活のすべての必要なものを、聖ヨゼフが準備しました。
聖ヨゼフの日々の祈りはどうだったでしょうか。
毎日の規則正しい勤勉な労働、どれほど熱心だったことでしょうか。
聖ヨゼフの貞潔、あるいは聖ヨゼフの忍耐、聖ヨゼフの清貧、私たち男性の模範です。
【聖母】
マリア様の方に目を移すと、マリア様は、「祈りと従順の模範」です。
貞潔と女性らしい明るい優しさで、家庭生活を輝かせていました。
そして、マリア様の聖ヨゼフに対する従順は、非常に感嘆すべきです。
考えてもみてください。夜中に、夫から起こされて、
「さあ、マリアや、私たちは、これからエジプトに行く。ヘロデがこの子を狙っている。真夜中に、夢で天使からのお告げを受けた。」
マリア様は、なんの文句も無く、
「はい、わかりました、ヨゼフ。そうしましょう。」
イエズス、マリア様にあったのは、
「我になれかし、おおせのごとく」
「はい」
「はい」
——それだけでした。
ベトレヘムでの御出産、あるいは、エジプトでの長い年月の逃亡生活、ナザレトでの御生活——マリア様は、どれほど多くの困難があったことでしょうか。
聖ヨゼフには、やりきれない難しい問題があったかもしれません。
「言葉がわからない、仕事が無い、家が無い、食べ物も無い、あれが、あれが無い、不足している、どうしよう。」
マリア様は、どれほど、聖ヨゼフの不足を、愛を込めて忍耐してかばい、そして補ったことでしょうか。どれほど熱心な祈りをお捧げになったことでしょうか。
マリア様は、すべてを聖ヨゼフに任せたのみならず、というよりは、聖ヨゼフを補おうと、どれほど愛を込めて家事をなさって、そして、家庭生活を、より良いものとされようとされたことでしょうか。
いつも陰に隠れて、そして謙遜で、そして、従っておられたマリア様——。
【私たちの敵】
現代では、家庭生活を破壊しようとするものがたくさんあります。
たとえば、女性は男性と同じように働いて、ズボンも履いて、男性と同じような言葉を使って、軍隊にも行って、となると宣伝されています。
本当にそれが、女性にとっての幸せなのでしょうか。
それとも、マリア様のようにお母さんとなって、そして、陰に隠れて、そして、家族から愛されて、そして、家族を愛する方が幸せなのでしょうか。
教会は、私たちに、聖家族へと私たちの眼差しを向けるように、そして、聖家族の模範に、それに感嘆してそれに倣うように、また、聖家族の特別の御取次ぎによって、私たちの家族が、聖家族のように少しでもなるようにと、招いています。
【遷善の決心】
最後に、遷善の決心を致しましょう。
私たちにとって、家族団らんの中心とはいったい何でしょうか。
イエズス・キリストでしょうか。それとも、携帯でしょうか。
私たちの家族にとって、一番大切なのは何でしょうか。
イエズス・キリストでしょうか。天主への愛でしょうか。
それとも、娯楽、あるいは気晴らし、あるいは私のやりたいことでしょうか。
今日、聖母マリア様、聖ヨゼフに、是非、御取次ぎを願いましょう。
マリア様のような母、そして妻になることができますように。
聖ヨゼフのような夫、あるいは父親になることができますように。
イエズス様のような、よき子供となることができますように。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。