聖ピオ五世教皇は危機に際して、ミサ聖祭を列聖し、ロザリオを祈らせました

ソース: FSSPX Japan

2026年5月5日  教皇証聖者聖ピオ五世

トマス 小野田圭志神父 説教   秋田巡礼

巡礼最後の御ミサとして、聖ピオ五世教皇様のミサを捧げています。今年の巡礼にぴったりの教皇様のミサで、この巡礼を終えることができるのではないでしょうか?

聖アタナシオ司教が、ちょうどカトリック教会の大危機の時代に生きたように、聖ピオ五世教皇も、キリスト教世界を左右する非常に大きな危機の時に生きていました。何故かというと、霊的にそして政治的に二つの危機に見舞われていたからです。

一緒に黙想して、そして最後に遷善の決心を立てましょう。

【キリスト教世界の霊的な危機】

聖ピオ五世は、まず霊的な危機に襲われていました。キリスト教世界が分断していました。何故かというと、1517年から始まった、元アウグスチノ会の司祭マルチン・ルターが、キリスト教を自分の異端で分断したからです。宗教改革と言われるものでした。これは革命でした。

【新しい礼拝儀式】

マルチン・ルターが言ったのは、私たちがどのようにして義となるか、義とされるか、という義化の問題でしたが、しかしその論理はいろいろなところに及びました。自分の異端を民衆に教えるために何をしたかというと、ミサを変えました。ミサを新しくしました。サービスにしました。そしてそれが御聖体を否定し、ミサのいけにえを否定し、新しいミサに変わりました。

いったいどのようなことをしたのでしょうか?

【祭壇の否定】

マルチン・ルターは「ミサとは十字架のいけにえの再現ではない」と主張しました。何故かというと「キリストはたった一回だけで、十字架の上でたった一人でいけにえを捧げて、もうそれで十分だ。私たちは何もすることができない。だから私たちが行うべきは十字架の再現ではなくて、最後の晩餐の記念だ」と言いました。「キリスト者の民の集会を行う。いけにえではない。食事会をするのだ」と言いました。「だから、祭壇ではなくて食卓を囲むのだ」と言いました。祭壇の代わりに食卓を置きました。

そして、司祭は天主の方を向いていたのですけれども、これから牧師は会衆の方を向くようになりました。これが、マルチン・ルターが始めたことです。

【司祭職の否定】

また、マルチン・ルターが言ったのは「洗礼という秘跡はあるかもしれないが、司祭というものはない。叙階という秘跡はない。洗礼を受けた者は皆司祭だ」と言います。「司祭の役割は、福音を告げることだ」と。「だから、最も大切なのは平信徒だ。平信徒がサービスの中で活動しなければならない。牧師とは司会にすぎない、座長にすぎない」と主張しました。

【全実体変化の否定】

マルチン・ルターがさらに言ったのは「司祭がないということは、つまり全実体変化ということもないのだ」です。つまり「パンというのは、キリストの体になるのではなくて、それのシンボルだ、象徴にすぎない」と主張しました。だから、キリストの御聖体拝領というのはキリストのいけにえに与ることではなくて、マルチン・ルターによると「食事会に参加することだ」と。だから「パンを食べ、ぶどう酒を飲まなければならない。両形態で拝領しなければならない」と言いました。

【諸聖人の通功の否定】

また、マルチン・ルターは「キリストがただ一人で贖いを行ったので、他の人間たちはなんらすることができない」と。「ミサも必要ないし、諸聖人の通功も必要ない。」ですから、プロテスタントの会堂からは、マリア様や聖人の像がすべて取り除かれました。もしもあるとしたらマルチン・ルターの像だけです。

【ローマ聖座の否定】

そして、マルチン・ルターはローマからの独立を主張しました。「私たちはローマが使っているラテン語を使う必要はない。だからドイツ語を使うべきだ。だからサービスもドイツ語で行うべきだ。」

これが、マルチン・ルターが作った新しいミサでした。新しいサービスでした。

【カトリックの聖伝のミサ】

聖ピオ五世は、これに対していったい何をしたでしょうか?

トリエント公会議が宣言したように、カトリック教会のミサは、特にその典文と呼ばれるカノンは、一切の誤謬も教義的な誤りもない全く純粋なもので、全く聖なるものであるということを再確認し、そして1570714日、「クォー・プリームムQuo Primum」という勅令を出しました。勅令とは、教皇が出すことができる最も権威のある文書です。その勅令(勅書)によると、

「私たちは古代から伝えられたミサをそのまま続けなければならない。すべての司祭には、このミサをする義務・権利・特権・自由がある。そして誰もこのミサを変えてはならない。もしもあえて変えるような者があったとしたら、聖ペトロと聖パウロの呪いがあるように」と。

「このカトリックのミサをそのまま守り続けなければならない」と、今皆さんが与っているミサ聖祭を列聖しました。不可謬のものとして、永久に有効なものとして宣言しました。教皇のすべての力を使ってこれを定義しました。

このミサを変えてはならないというのは、祝日を加えてはならないということではありません。もちろん、その後多くの聖人たちの祝日は加えられましたが、しかし、ミサの本質、ミサのその儀式は変えられませんでした。何故かというと、カトリック教会の信仰を守るためには、その信仰を最も完璧に、すべてにわたって表現するミサ聖祭を守ることが最も有効な手段であると、聖ピオ五世は判断したからです。そうして、異端に対する防波堤を築きました。この防波堤は非常に効果的に作用して、お恵みを、聖寵をたくさん引き起こし、また多くの聖人聖女を呼び、多くのプロテスタントたちをカトリックに回心させることに成功しました。そして今でも、このミサは多くの人々をカトリックの懐に呼び寄せています。

【キリスト教世界の世俗的な危機】

第二に、聖ピオ五世が直面した大きな危機は、世俗的で政治的な危機でした。それは戦争です。イスラム教のトルコ帝国が、キリスト教諸国に対して莫大な艦隊を率いて地中海を渡り、そしてキリスト教世界を侵略しようとしていました。ローマにイスラムの旗を立てモスクを造るぞ、そうしてキリスト教世界を破壊するぞ、と。キリスト教世界が、プロテスタントとカトリックに分かれて分裂している今こそ最高の機会だと、スレイマンは考えていました。

教皇様はキリスト教世界のトップとして、皇帝よりも王よりもさらに上の者として、諸国の父としてカトリックの王たちに呼びかけました。「どうかキリスト教世界を守って欲しい。」しかし残念なことに、王たちはそれになかなか賛同しませんでした。ようやく動いてくれたのはスペインの王、そしてついにベネチアの王でした。この連合艦隊は、訓練されたイスラムの艦隊の前にあまりにも弱々しく、その勝利は非常に危ぶまれました。キリスト教世界はこのまま滅亡してしまうのではないかと思われました。

いったいどうしたら良いのでしょうか?

そのとき、ドミニコ会の教皇はマリア様に目を向けました。「ロザリオの聖母」に呼びかけ、そして多くのカトリック信者に「ロザリオを祈れ」と命じました。1571年に107日、イスラムとカトリックの連合艦隊との海戦がレパントで行われました。そのとき、奇跡的な大勝利がキリスト教世界にもたらされました。聖ピオ五世は、ついにこれを「ロザリオの聖母のおかげだ」と宣告して、107日を「ロザリオの聖母の祝日」といたしました。

【遷善の決心】

これは、私たちにいったい何を教えているでしょうか?

聖ピオ五世の危機の時代を上回るような危機に今、全世界は襲われているのではないでしょうか?

異端の危機、プロテスタントよりもさらに酷い近代主義の異端の危機、そして戦争の危機、キリスト教世界は、このまま滅亡してしまうような危機に襲われているのではないでしょうか? 私たちはいったい何をするべきでしょうか?

聖ピオ五世は、私たちにこう教えています。

「聖伝のミサを守れ。何があってもこれは守れ。そしてロザリオの祈りをするように。ファチマのマリア様の言うように、汚れなき御心の信心を行いなさい。ロザリオを唱えなさい。そうすれば平和が訪れるでしょう。」